ウィーザーズの事情

 どれだけ気を使おうが思い通りにならないことは、いくらでもある。とくに街の生活を今後一〇年二〇年と維持していくならなおさらだ。


 その、ままならないことのひとつが、ウィーザーズの出産である。


 一般的に街の人口比は、ウィーザーズ、マージナルス、シリンダーズが、それぞれ一対八対一の割合になるとされている。しかし、三四三番では過去になにがあったか一対一六対二――ようするに通常の半分しかウィザーズがいないのだ。移住者を募ろうにも周辺の街も手一杯。ウィーザーズは自ら繁殖するしかない。


「産めよ増やせよ地に満ちよ、か」

「そういう言い方すんなよ。俺らは――」

「わーかってる、わかってるよ。愚痴じゃねぇ。身を挺してくれてる仲間に同情してんだ」

「だから……」


 なおも苦言を呈そうというマージナルスに手を振り、ラズリは重い腰をあげた。

 そんならそうで、仕方がない。

 ウィーザーズは繁殖力がすこぶる低い。繁殖力が低いといっても繁殖能力が低いという意味ではなく、ラズリも若いころ(ようは三年前――つまり一四のころ)は人並み以上に繁殖能力が高かったと思うし、繁殖したがっていた。


 しかし、男性ウィーザーズと女性マージナルスの交配でウィーザーズが生まれてくる確率は一パーセントにも届かないのだ。一方で、女性ウィーザーズは相手の人種がなんであれ、約三〇パーセントの確率でウィーザーズを産む。ご先祖様が自ら課した『世界をこんなふうにした』責任。呪いだの罰だのいうやつだ。


 てめぇらの不始末を子孫に押しつけてんじゃねぇよ、と敬愛すべきご先祖様がたに毒づきながら、ラズリは手早く身支度を整えていく――といってもやることは少ない。顔を洗い、歯を磨き、寝癖をテキトーに直し、汗臭い服を着替え、『ディープ・シー』を――


「おいラズリ! それ吸うなって! せっかく歯ぁ磨いたんだろ!?」

「うっせぇなぁ、行きたくねぇって俺の気持ちを慮れよ」

「なんだよ、その、オモンパカレ、って」

「無学だねぇ、嫌だねぇ、本を読めよ、本をよ」

「うっせ。伝わらねぇ言葉を使うやつをバカって言うんだ」

「正解だな。俺は三四三番いちのバカ野郎だよ」


 ラズリは脳裏にちらつく妹の幻影を振り払い、靴をつっかけた。


「……悪ぃ、今日、命日か」


 ジルコがガラにもなく声を暗くした。


「おお? 慮れたじゃねぇか」

「……それ使い方あってんのか? つか、靴、間違えてんぞ」

「ああ?」


 と、ラズリは足元に目を落とす。ごく普通の革靴だった。ため息をつき、靴箱から探索用の靴を出す。見た目には真っ黒い革のショートブーツだが、靴底のつま先と踵に金属の鋲付き板が貼られている。ラズリがウィーザーズのもうひとつの力を使うための呪具、〈タップス〉である。

 ラズリは靴を履き替えながら肩越しに言った。


「お気遣いどうも。けどな、もう三年だぞ? ……いい加減、靴脱いで上がってくれよ」

「……悪ぃ……」


 そっちかよ、というツッコミはなかった。

 ラズリはジルコと一緒に家を出て、うだるような街を歩きながら、塔から少し離れた操車場に向かった。誘雷塔で受けた稲妻の力を整流し、トレインと呼ばれる車両に蓄積するための設備である。もちろん、車両の整備場も兼ねている。


「あー、っつぅ……て、やべぇ、予報表もらってきてねぇぞ」


 ラズリは言った。


「大丈夫だよ。先に車両基地に届けといた。ラズリは乗っかるだけでいい」


 と、ジルコ。


「農夫なメッセンジャーが、気楽に言ってくれるよ」

「ざけんな。てめぇが昨日食ったマッシュポテトは俺が取ったもんだぞ?」

「昨日はポテト食ってねぇ」


 ラズリはテキトーなウソをつきながら鋼とコンクリートで構成された家並を抜け、風が吹けば土埃舞う道を進む。近所のチビどもが脇を抜ける間際に「ちわー」といい、「おう」と応じたラズリに怪訝な顔をみせ、ジルコの「気をつけろよ」に破顔した。


「……このラズリ様への敬意はどこにいっちまったんだ?」

「アホ。あの子ら、まだ七歳だ。お前が大将やってたころはママのおっぱい吸ってたよ」

「四歳にもなっておっぱい吸うか? ……ああ、でも、いまはおっぱい吸いてぇか」


 ラズリの冗談に、ジルコは失笑しながら言った。


「ばーか。女はケツだろ、ケツぅ。つか吸いてぇなら頼めばいいだろ、相棒に」

「……お前、殴っていいか?」


 舌打ちののちに脅しをかけた途端、


「だーれが吸わせるか! ばか!」


 ラズリの頭に雷声。ブルーだ。車両基地の入り口で腕を組み、形の良い眉を寄せていた。天気のいい日の太陽みたいな明るい髪に、日に焼けた健康的な肌。なかなかに吸いごたえありそうなおっぱいが、それを支える左腕の震えに揺れていた。怒っていそうだ。


「……なんか、すっっっっごい嫌な匂いがするんだけど?」


 ブルーは右目を蒼く光らせ唇の片端を引きつらせる。黒い長手袋で二の腕まで覆われた右腕がぶるっと震えた。意図がなければ微動だにしないはずだ。間違いなく怒ってる。

 ジルコは喉を鳴らしてラズリの肩を小突いた。


「だから吸うなっつったろ……!」

「違うわ……! お前がおっぱいの話なんか……」

「りょ・う・ほ・う・だ・よ!! バカふたり!」


 ブルーは右手の人差指で蒼く光る右目を指差し言った。


「こそこそ話してたって、お見通しだかんね? わかってるよね?」


 夏場の陽炎のようにゆらゆら揺れるブルーの怒気に、ジルコはふっと踵を返した。


「んじゃ! 俺行くわ! いやこの間からトマトが――」

「ジルコ!」


 びくん、と首をすぼめて恐る恐る振り向くジルコの顔に、ブルーは鼻で息をついた。 


「……ありがと。帽子かぶんなよ? 暑いんだからさ」

「お、おう! またな! そっちも気をつけて!」


 脱兎のごとく駆け出す背中に裏切り者と呟き、ラズリはブルーを見上げた。


「……連勤明けで引っ張り出された俺に同情はなしか?」

「お酒とくっさいくっさい煙草の匂いをさせてなければ同情してた。さっさと来て」


 ぷりぷり怒る丸っこい尻を追いかけつつ、ラズリは「煙草じゃなくて『ディープ・シー』だっつてんだろ」と唇を動かした。

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