評論4 語り部としてのとしてのなろう作家。
『なろう系』と通常のサブカル小説の最大の違いはインターネットにある特定のプラットホームでの投稿という点にある。
これは非常にメタフィクション的な構造をもつ。
なぜなら、通常の小説において作者は読者に直接的な影響を受けないからだ。
インターネット小説はダイレクトに読者とのやり取りを可能と来るし、いつでも書き換えることができる。
そのため読者が小説に介入できるという特異な現象が起きる。なぜならテキストとは本質的に改編不可のそこに現にある変わらないものとして在るモノだからだ。
ここでいかにも。フランス思想的な言葉として
かつて、古典ギリシア世界では
これは小説というある種の聖典(聖典は書き換え不可能とされる)が書き換え可能の、いわば別の言説に侵犯される(文字通りテキストは別の言説によって改編される余地を常に保持する)、『なろう系』はまさに小説つまり作者=神(小説は世界を創造し、読者は介入する余地がない)という小説そのものの根本的な構造をインターネットというテクノロジーによって解体したのである。
そのため『小説かになろう』とは小説家になるというよりは吟遊詩人になろうと言った方が的確と思われる。
吟遊詩人は盲目の人(つまり字を読めない)やあまり高度な教育を受けられなかった人も多い、彼らはいくつも長大な物語を覚えているが、それは決まり文句やテンプレート的なあらすじの寄せ集めゆえに物語のデータベースをいくつか覚えその都度組み合わせていればよいのからである。
『なろう系』はテンプレートが完成されいわば一つのなろう世界を構築している。
作者=語り部たちは形而上学(つまり本当の姿を知ることができず背後的な世界を持つ)1神話として『なろう系』を書く。
かつてニコニコ動画のmad文化があったが、それは伝統芸能のごとくある種のテンプレート的なキャラ付け(大抵は誇張や反転を含む)をされたキャラクター達が戯れる
『なろう系』とは『機動戦士ガンダム』に近い物語構造を持つ。つまり明示化されていない世界のルールに乗って物語が創造される。
しかし、ガンダムはアニメであり改編不可のでありその点では従来の小説に近い。たが『なろう系』は現実にはどうあれ理念的には読者参加型の物語である。
それゆえに作者と読者の境界線は薄れている。『なろう系』作家は別にテンプレを書きたいわけではないと語っているのにも関わらず作者の願望と揶揄する言説が蔓延っているのはこの作者と読者の境界線の崩落を示している。
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