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評論3 主体性の解体と存在神話」への応援コメント


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     なろう系をサブカル解析の手法とは別領域から分解するこの作品はとてもよい試みであると思います。

     近代芸術が高尚、前衛の名において暴走(自分の目には)をしていることはなぜだろう、と僕はよく考えていますね。結局キュビズムの表現手法は分かっても、それが何を指し示し高尚であるのか、一生かけて僕は分からないかもしれません。しかし、紋切り型の流行にも嫌気は差します。小田和正あたりの個性と大衆的要素が欲しいものです。
     被差別階層の解放がもたらしたことには知ったかぶり程の知識は持っているつもりです。同和問題と、奴隷解放と。

     本文の趣旨の方は、読者が憐れむべき主人公を期待をもって見つめた結果、その愛に報恩する形で、主人公は読者に神として恩恵をもたらす、で合ってますよね。
     僕もなろう論を少し書いたので良かったら。(売名行為)

    作者からの返信

    はい、奴隷と主人は役割を交代しながら解放=救済するという形で話が進んでいるという理解でOKです。
     
    ちなみにキュビスムとは写真技術の到来により絵画の価値を問われるなか。遠近法に代表される幾何学的=写実的な空間理解を超越した(その頃には非ユークリッド幾何学という幾何学の到来により空間理解に激震が走っている)つまりユークリッド幾何学という2000年間、西洋の知性のお手本として君臨した体系の解体を絵画的表現に、落とし込んだので高尚と言われるのだと私はなんとなく考えました。

     高尚文学とは、哲学すなわち今の世界への挑戦としての最新哲学を取り入れ、あるいは影響させたモノとして個性的であり(つまり常識を越える)、常識的な欲望に奉仕しない姿勢ゆえに売り上げに繋がらないのだと考えています。(その意味で村上春樹は特別なのです)

     あと最初の理解しにくかったと申し上げられた箇所を改編しておきます。

     誠に丁寧なコメントありがとうございます!

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