第3話 たまごかんさつ日記

たまごかんさつ日記

□3月1日

「誕生日おめでとう!」

眠い目をこすりながらリビングに降りると、パパとママが満面の笑みで拍手してくれました。壁を見ると、「ユキちゃん たんじょうびおめでとう」と一文字ずつ書かれた折り紙が貼ってあります。ユキは、うれしくて一気に目が覚めました。そうだった、今日はユキの6歳の誕生日だった。ママが持っているきらきらした大きな箱はプレゼントに違いありません。いったい何が入っているんだろう。春からは小学生のお姉さんになるから、ランドセルでしょうか。ずっと欲しかったワンちゃんかもしれません。星柄のラッピング紙を破るように開けると、そこには卵が3つ入っていました。卵といっても、とっても大きな卵です。サッカーボールくらいの大きさで、両手でやっと持ち上げられるくらいです。

「これって、何のたまご?」

「そう、卵よ。大事に育ててちょうだいね」

パパとママに聞いてもそれ以上の説明はしてくれません。どうだ、素敵なプレゼントだろうと言いたげな二人の顔を見ると、なんだかとっても良いもののような気がしてきました。

「ありがとう、パパ、ママ! ユキ、大事にするね」

その日の夜は、3つの卵をお布団の中に入れて一緒に眠りました。


□3月2日

 いったい何の卵なんだろう。おうちにあった生き物の図鑑を見てもよくわかりませんでした。ワンちゃんかネコちゃんがほしいなあ、ウサギさんでもいいな。でも、パパに聞いたら、それらはみんな卵からは生まれないそうです。がっかり。

  夜寝る前に卵に耳をあてると、ことことと中で何かが動く音がしました。中で生き物が育っているみたいです。早く会いたいな。わくわくします。


□3月3日

 「だから言ったじゃない!」

 ママの叫ぶ声の後にガチャン、というお皿の割れる音が聞こえてきて、ユキは耳をふさぎました。パパとママが久しぶりにけんかをしているみたいです。

ユキがもっと小さいころ、うちは今よりずっと貧乏で、パパとママはお金のことで毎日けんかをしてました。パパの怒った顔も、ママの泣いた顔も見たくなくて、おうちではずっとベッドの中で泣いていました。でも、毎日コウくんとモモちゃんが慰めてくれるから平気でした。ある日、幼稚園のアヤカ先生に、ユキちゃんはおうちでは何をしているの、と聞かれて、仲良しの二人のことを教えてあげると、アヤカ先生の顔がさっと曇りました。何かいけないことを言ったかな、と不安になるユキの横で、アヤカ先生はパパとママに電話をしているようでした。その日、家に帰るとパパもママは順にユキのことを抱きしめて、ごめんね、と言ってくれました。


□3月4日

 卵の中の生き物はどんどん大きくなっているみたい。コトコトという動きで卵ごと揺れています。もうすぐ卵がかえるんだよ、と、モモちゃんに教えてあげました。モモちゃんはくまのぬいぐるみなので、じっと黙っています。

 ある時、パパとママが宝くじを当てました。これでうちは貧乏じゃなくなるわ、とママはにこにこしていました。それから、パパとママがけんかすることはなくなりましたが、それと同時に、コウくんの姿は見えなくなって、モモちゃんはただのぬいぐるみになりました。びっくりしてパパとママに報告すると、それは今までがおかしかったのだと教えてくれました。本当はいないお友達が見えたり、ぬいぐるみとお話しできたりしたのは、パパとママがいつもけんかをしていたせいだったということです。こんな小さなユキちゃんに辛い思いをさせちゃってごめんね、とパパもママも抱きしめてくれました。それからは、コウくんとモモちゃんの代わりに、パパとママがユキのお話を聞いてくれるようになりました。もうお話しできないのはさみしいけど、ふたりは今でもユキの大事なおともだちです。


□3月5日

 その日の朝、ついにひとつめの卵にひびが入りました。いったい何が生まれるんだろう。ベッドの中からユキがじっと見ていると、そのまま、ぱきり、ぱきりと音を立てて殻が割れ、破片が床に落ちていきます。中から現れたそれは肌色をしているようでした。二本の足で立ち上がると、なんと、それはユキの良く知っている人でした。

「ママ!」

中から出てきた裸の人はママそっくりでした。じっと黙ったまま、一瞬ユキと目を合わせたかと思うと、回れ右をして開きっぱなしのドアから出ていきました。ユキも後をついて廊下に出ます。耳を澄ますと、ママの部屋の方からかすかに叫び声が聞こえたような気がしました。慌てて部屋の前まで行き、ドアにそっと耳をつけると、何だかくぐもった音が聞こえてきます。もぐもぐ、ごきゅごきゅ。それから、少しだけ間があって、ドアが開きました。

「ユキちゃん、どうしたの? 怖い夢でも見たのかしら」

 そこにはいつもの笑顔のママがいました。ユキはかがんだママの胸に飛び込み、背中に腕を回しました。

 「あらあら、ユキちゃんは6歳のお姉さんなのに甘えん坊さんね」

 頭をなでてくれるママの手はとても温かかったです。


□3月6日

今日はパパとママと3人でレストランに行きました。

 「何だかちょっときれいになったんじゃない?」

パパにそう言われてママは嬉しそうでした。ビーフシチューがおいしかったです。


□3月7日

 昨日のレストランにまた来ました。ウェイターさんがママの前にビーフシチューを置くと、あらありがとう、と言ってママはそれをお皿ごと持ち上げて、かじりはじめました。ぱきり、ぱきり。一口ごとに音が鳴ります。ママ、お腹壊しちゃうよ、とユキが止めても、ママはまっすぐ前を見つめたまま、お皿を食べつづけています。ママの黒目はのっぺりとしていて、夜のお空みたいに真っ暗でした。ぱきり、ぱきり。

 「ママ!」

大声で叫んだところで目が覚めました。しーんとした部屋の中で、ぱき、とかすかな音が聞こえました。枕元のリモコンを探してぱちんと電気をつけると、床には卵の破片がたくさん落ちていました。どうやらふたつめの卵が孵ったみたい。さっきの音は、破片のひとつが踏まれた音だったようです。破片を踏みつけた裸の人がそのまま部屋を出ていく後すがたを見ているとなんだか眠くなってしまって、ユキは電気を消すとまた眠りにつきました。さっきの人の後ろ姿、パパにそっくりだったな。


□3月8日

 部屋を片付けなさいとママに怒られたので、たくさんあった卵の破片を全部ゴミ箱に入れました。ついに卵はあとひとつです。


□3月9日

 今日は、お昼からずっと卵を眺めて過ごしました。ずっと見ているとなんだか愛しく思えてきて、ユキは卵をなでてみました。改めてさわると、表面は思ったよりもざらざらしていました。


□3月10日

 卵が割れました。割れた卵の殻の山から、まずは右手、それから左手が現れ、這い出るように全身が出てきました。顔は卵の殻のかけらでまだ隠れています。今回の人は少し小さめで、まだ子供のようです。ユキはごくりとつばを飲み込むと、両手で顔にかかっている卵の殻をそっと外しました。

 「コウくん!」

 そこにいたのはコウくんでした。顔を見ると、わっと色々なことが思い出されました。コウくんと手をつないで幼稚園まで行ったこと、ママに叱られて泣き出してしまったコウくんを、くまのモモちゃんであやしたこと。どうして忘れていたんだろう。コウくんはユキの大事な弟でした。懐かしい気持ちがあふれてきて、ユキはコウくんを抱きしめました。

 「ユキちゃん、ぼく、パパにお風呂に入れてもらって、一緒に湯ぶねにつかって、それからのことを何にも覚えてないの。パパはこれでホケンキンが入るって言ってたけど、それってなんのことだろう?」

 ホケンキン。コウくんがいなくなった頃、パパとママが当てた宝くじが確かそんな名前だったような気がします。

 その時、ユキの肩に手が置かれました。この大きな手はパパの手です。振り返ると、パパはとっても優しくにこにこと微笑んでいました。その横には全く同じ笑顔のママがいます。抱きついてみると、パパからはおひさまのにおいがしました。ああ、安心するにおいだ。パパ、ママ、ユキにコウくん。久しぶりに家族4人がそろったことが嬉しくて、ユキも笑顔になりました。これからもきっと楽しい毎日が待っているんだろうな、とユキは思いました。

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