第二章【狂歌の英雄】
第1話【獣の覚醒】
俺は、バスタードソードに映る自分の顔を見つめた。狼のような黒髪。奴隷ピエロ時代につけられた頬の傷。整った端正な顔立ちに真っ赤な瞳の三白眼が、こちらを睨んでいた。
いずれは、全てを跪かせる男の顔だ。
リトゥアールを見下ろす小高い丘に建てられた陣内には、俺の軍がいる。
総勢、一万の生命が俺の意のままに動くのだ。貴族どもの子弟が、太陽の欠片たちが俺の意のままに殊勝に蠢く。
ムチを打たれ、芸をこなすしかなかった奴隷が、何の因果かルグラン家に拾われて今や将軍だ。
これを笑わずして何を笑うのだろうか。
「おい、ずいぶんと燃えてるな。そろそろ頃合いだ。攻城兵器で城門をうち破れ。良いか、リトゥアールから誰一人、出すなよ」
「は、はい。すぐに」
ハルトマンは、慌てて立ち上がるとテントの入り口まで走り、伝令兵に俺の命令を伝える。
俺は、バスタードソードを見つめる。愉悦に歪んだ男の顔が、そこにはあった。
「どれくらいで陥落すると思う?」
俺は、ハルトマンを見つめる。
おどおどと顔を伏せるハルトマンを見ていると、加虐心に掻き立てられる。俺の予想では、そう長くはない。何故なら、リトゥアールは混乱の渦に取り込まれているからだ。
リトゥアールの防衛を任された男は、捨てるべきものを捨てることが出来なかった。その時点で、負けは確定している。
「り、リシャール将軍んぅ、やっぱりぃ……こ、この作戦は……その……あまりに非道では……」
ハルトマンは、膝に手を置き、ガクガクと震えている。顔は青ざめていて唇も小刻みに震えていた。
「非道ぉ?」
俺は、ハルトマンの思っても見なかった反逆に、バスタードソードでテーブルを叩く。
この作戦が、騎士道精神とやらに反していることは知っている。しかし、それがどうしたというのだ。
リトゥアールは、多重壁構造になっている。一番外にある市民街を燃やせば、奥や中央からの派兵は困難になる。結果、兵員の配置が遅れ、防衛態勢を取ることが出来なくなるのだ。
「ま、前の……ふぅ……ヨリス将軍はこ、こんなひ、ひ、非道なことは……」
ハルトマンは、震える手でハンカチを取り出し汗を拭う。息を切らして、ヨリス将軍は騎士道精神を重んじる方だとか、正々堂々とした作戦を好んだとか。雑巾を絞るように訴えかけてくる。
ヨリス・ヴェーバー将軍。アルウィンから聞いた話では、国境での戦いで、部下を庇って戦死したそうだ。話を聞いたときは、馬鹿な男だと笑いがこみ上げてきた。
「そんな甘いことを言ってるから敵の矢を受けて死ぬんだよ。魔法ではなく、矢でな。ハッハハハ」
俺は、ひとしきり笑った後でバスタードソードをテーブルに振り落とした。大きな音を立ててめり込む。
テントの入り口から何名かの騎士が、なだれ込んできた。俺は、騎士を睨んで、手で払う。騎士たちは、右手を左肩につける敬礼をして出ていく。
「あぁッ!! も、申し訳ありませんでした……。し、しかし、第七軍団の……ほとんどの者は、今回の作戦には……そのぉ……あのぉ……」
ハルトマンは、その場で跪き頭を下げる。額からは、滝のような汗を流す。
「よ、よろしいかな。リシャール将軍?」
声の主は、俺にリトゥアール攻略を提案してきた商人だった。
「あぁ、少し待て……」
俺は、手を上げて商人を押し留める。
「お前は、邪魔だ!!!!!」
俺は、いまだ跪くハルトマンを蹴り飛ばした。邪魔者は、ゴキブリのようにひっくり返って手足を激しく動かす。
「ひぇ、ぃぃ……す、すぐに出ていきましゅ」
ハルトマンは、立ち上がると、生まれたばかりの哺乳類のように、よろよろとテントを出ていく。
「アルウィン様が、この場にいないからといって羽目を外し過ぎでは?」
商人は、腹にため込んだ脂肪を揺らしながら席に座った。
俺を恐れる様子はない。それどころか、どこか珍しいものでも見ているようだ。好奇心にあふれたギョロ目を出口に動かした。
「リトゥアールは?」
俺は、テーブルにめり込んだバスタードソードを抜き、血ぶりをすると鞘に納める。
「もうすぐ陥落でしょうな。市民街を火の海にする作戦は、リトゥアールの虚を突く素晴らしい作戦でしたなぁ〜」
商人は黄色い歯をむき出しにして、にへらと笑う。
「世辞は良い。例のものは?」
「ええ、ちゃんとリトゥアールの最奥の宝物殿にありますとも。全ては、貴方様のもの。そう言えば……リトゥアールの司令の娘は、大変な美姫だそうですぞ〜」
商人は、懐から青いワインを取り出すと、テーブルの上にグラスを並べる。
「ふん、太陽の娘か……大切に育てられたんだろうなぁ……フェリシテのように。クッククク」
「どうですかな。前祝いということで?」
商人は、青いワインをグラスに注ぐ。甘く濃い香りが、グラスから跳ね返って匂い立つ。
「奥のグラスを貰おう。そして、先に飲むことを許す……」
商人は、少し驚いたような顔をする。グラスを見て、にゃっと笑うと手前のグラスを飲み干した。
「それでは、どうぞ……乾杯が出来なかったのは残念ですが……」
俺は、奥のグラスを掲げると、ワインの中に燃えるリトゥアールを映した。
青く揺れる炎が、俺を酔わせていく。
第二章第1話【獣の覚醒】完。
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