第15話【トボの英雄】

「帝都側は、ここにきて方針を変えたね。リシャールを迎えに来るらしいよ。君が、ルグラン家の私養子だと知ったんだろう。帝都への招待状は、記念に取っておくといいよ。良かったね。正式に英雄になれて……」


 アルウィンは、筆を置くと神妙な表情で俺を見つめてくる。夕日が差し込む執務室。肩まで伸びた髪が、動きに合わせて稲穂のように揺れていた。


「正式じゃなかったら、俺は殺されてたかもしれないってことか?」


 平民が王になる英雄譚は腐るほどあるが、俺の知るかぎり現実では、聞いたこともない。厳格な階級世界は、英雄にも出自を問いかけてくるのだ。


 俺は、違法サーカス団の奴隷ピエロである。貴族でもなく、平民ですらない。俺を殺して、別の人間に功績を引き継がせたい気持ちは理解できる。


 そのほうが、見栄えもいい。国内外からの好印象だ。いわゆる絵になるし、歴史の花にもなれる。


「かもね。だから、君を正式に養子に迎えることにした。今までは、ルグラン家の私養子だったけど皇帝も認めるルグラン家の次男だよ。これなら、リシャールが、英雄になることに難癖をつけてくる連中もかなり減ると思うよ」


 俺は、違和感を感じていた。アルウィンと話をしている今このときもだ。魔王を倒してから感じるようになった違和感。


 俺が、英雄になることに対して反対する者たちの策謀は、アルウィンが打ち破ってくれたようだ。


 俺をルグラン家の正当な養子にする。確かに貴族となることができたのなら、英雄への道のりに問題はないのだろう。


 帝都でなにか起こる可能性は、皆無ではない。この不安が、違和感の正体ではない。もっと、別のなにかなはずだ。


「……だと、いいがな。実際、身近にも俺のことを良く思ってない連中もいるだろ?」


「うん? フェリシテのことかな。まあ、人間関係は難しいよね。でも、リシャールだって立場が変わるんだからね。立場が人を作るんだよ。そうすれば、フェリシテだけじゃなくて色んな人の態度も変わると思うよ……」


 太陽は、その立ち位置を変化させても誰にも害されることなく、天を支配している。結局は、太陽から隠れ住むドブネズミに餌をやる人間なんていないってことだろう。


 アルウィンは、書類に花押印を押しながら「将軍になれば、誰からも頭を下げられる。自尊心を満たしてくれる部下たちが、四六時中つきまとうようになるよ」と微笑んだ。


 俺が、将軍になれる? ただの基地司令のアルウィンよりも上になるってことではないのか。


 アルウィンに、不満はないのか。俺の部下になるかもしれないのに。無論、アルウィンも出世するかもしれない。この余裕は、そういうことなのだろう。


「僕は、今回の魔王討伐の件に関わっていないってことになってるからね。リシャールがトドメを刺したのは、事実だよね?」


 アルウィンは、屈託ない笑顔を見せる。ただの無欲な男だと考えてもいいのだろうか。


 違法サーカス団のピエロでしかない俺を助けて、周りの貴族と同じように扱う。同じ教育を受けさせてくれて、魔王討伐の手柄までも。


「それで、いいのか。魔王討伐なんて、並の英雄の功績じゃない。それに……。いや、帝都へは、俺一人で行くのか……。アルウィンは……その」


 アルウィンは、目を細めて俺を見つめた。失言だったと後悔したが、もう遅い。


「リシャール……怖いのかな? まあ、帝都は広いからね。地方貴族でも、帝都に入ることができないままで死んでいく人間もいるくらいだからね……。もちろん、危険もいたるところにある」


 アルウィンの煽りに対して、反論しなければと口を開きかけたとき、夕空を切り裂くように翼竜が飛んでいる姿が見えた。珍しい光景ではないのだか、何故か惹きつけられる。


 反論よりも、アルウィンが質問に答えてはいないことに気づいた。俺は、アルウィンも一緒に来るのかと聞いたのだ。


「どうなんだ。アルウィンも一緒なのか?」


「とうぜん……だよ。僕も一緒さ。安心して欲しい。もうすぐ、迎えが来るはずだ。ここに、血判を押してね。リシャール」


 手招きするアルウィンに近づくと、花の香りがした。これは、アネモネの花だと思う。アルウィンの好きな異界の花だ。


 アルウィンは、契約書のような紙を置く。指で、文章をなぞって最後に指先で紙の端を叩いた。


「ここに血判を。これは、ナイフ。深く切らないようにね」


 俺は、短く返事をしてナイフの刃に親指を当てる。ピリッと痛みがはしる。傷口から血がふくらんだ。


 アルウィンが、指し示した場所に親指を押し付けた。契約とは、こんなものかと少し落胆した。


 貴族どもは、契約をこの上もなく大切で神聖なものだと話していた。実際は、この程度の何の感情もない行為だったとは。


「うん、いいよ。はい、薬草を染み込ませた紙だよ。指に巻いておくといい。さあ、あとは帝都からのお迎えを待つだけだね」


 無邪気な声と表情。何を考えているのか、何も考えていないのか分からない。


 俺とアルウィンとの付き合いは長い。だけど、何ひとつ掴めていない。そんなことしか分からないのである。


 同じ匂い……。フェリシテとアルウィンから同じ異界の花の香りがする。俺は、アルウィンに気を使うことなどない、と言いきれる。何だって聞けるはずだ。


「なあ……。何で、フェ……リシ。いや、やっぱりいい。それよりも……」


 俺は、自分の疑問の理由が分からなくなって言葉を飲み込んだ。ごまかすための疑問が浮かばずに部屋を見回した。


 惑う視界は、壁にかけられた何の変哲もないロングソードをとらえた。


 英雄には、相応しい武器があるべきだ。少なくとも、俺が読んでいた戦史や戦記に登場する英雄たちは、伝説級の武具を所持していた。


「ア、アルウィン。俺も英雄の仲間入りをするなら相応の武器が必要だと思うんだがっ? よ、鎧は、ルグラン家からの賜り物があるけどなっ……」


 アルウィンは、頬杖をついて俺を見つめる。不自然な言動だと思っているのだろう。俺もそう思う。


 しかし、本来の疑問である「アルウィンとフェリシテ」からただよう香りが、どうして同じなのか? この言葉が口から出そうもない。


「もちろん、貰えるさ。皇帝閣下から直接ね。ただ、あまり期待しないほうがいいよ。何事も、ね」


 アルウィンは、俺の血判が押された紙を眺めながら「リシャール・ルグラン・トボ男爵か……。また、古い爵位だ。ルグラン邸の北にあるトボ草原。あそこが君のはじめての領地だね」


「はぁ? 男爵だと? 俺が?」


 第一章第15話【トボの英雄】完。

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