第14話【すべては、月からはじまった】

「ここは……どこだ」


 俺の目の前に漆黒の鎧が、立っていた。こちらを振り返る。どうやら、俺たちと同種のニンゲンらしい。これが、異界の勇者なのだろうか。


 黒いフルプレートは、目をみはるほど磨き上げられている。雨ぐもりの中でも水鏡のように目立っていた。とても高価そうである。


 アルウィンの着ている鎧よりも上質……。まるで、王族が着用する鎧のようであり、権威が感じられる。


 しかし、頭を抱えてうずくまる姿は、立派な鎧に似つかわしくない。若年兵のようで、勇者とは思えない。


「どこだ、ここは……」


 両膝を地面について、苦しそうに言い放った一言は、戦う者たちへの鼓舞でも暗雲を引き裂く雄たけびでもない。


 雨をはじく黒鎧の表面は、歴戦の勇士の汗のように光っている。この差は、なんだというのだ。


「アルウィン……。こいつが、勇者なのか? 鎧だけは王室の物なみに立派だが……」


 アルウィンは、鼻で笑う。どこか拗ねたような表情に見えた。大召喚とやらは、失敗だったのだろうか。


 これだけの犠牲をはらった結果が……


(……っ!? 騎士どもの死体がない? さっきまで確かにそこら中に転がって!?)


 俺は、後ろを振り向く。誰もいない。仰向けになった死体も、逃げ出した騎士たちの怯える背中すら見えない。まだ、見えなくなるまで逃げていないはずだ。


「リシャール……。準備はしておいてよ。君を英雄にさせるために呼び出したんだからね」


 アルウィンが、ウィンクをして微笑んだ。大召喚の仕組みが理解できた。背筋が凍る。死体も逃亡兵も餌になったのだ。すべては、あの黒いフルプレートのために。


「グブハハ、ダイショウカンナドト。ワラワセル……。ソレガキサマタチノキボウナノカ?」


 猛熊魔王は、勇進してきたフェリシテを剛腕で迎え撃つ。彼女は、間一髪で回避する。跳躍した勢いを殺しきれずにバランスを崩した。すぐに、剣を地面に突き立てて何とか着地をしたようすだ。


 こちらを向く魔王。いまだに、膝をつく異界の勇者らしき黒プレート。


「さあ、異界の勇者よ。我が命に従え!!」


「余に命令をするな。下郎……」


 アルウィンは、両手を広げて首を傾げる。その表情は、困惑ではなく興味を引かれているような感じだった。


 俺は、今さらながらに思う。なぜ、異界の勇者の言葉がわかるのだろうか。リテリュスは、万民が共通言語だ。


 貴族学院で、アルウィンが学んでいるのを聞いたことがある。異界には、神がたくさんいるそうである。


 その神は、それぞれ別の言語を使うらしい。神によって言語が異なるのであれば……


「リシャールっ!! 来るぞ。チャンスは一瞬だ。良く見て、コアを壊せっ!!」


 フェリシテを退けた猛熊魔王は、こちらに向かって突進してくる。瞳は真っ赤に燃えて、全身を暗いオーラがまとう。


 異界の勇者などと御大層に呼ばれた黒いフルプレートは、いまだに動かない。


「クスヴァプナ・マヒマ《悪魔王の喜び》」


 アルウィンは、聞き慣れない魔術を唱える。膝をついていた黒いフルプレートは、急に直立した。


 ロングソードに似た長剣を抜き、猛熊魔王に相対する。アルウィンは、自分が持つ魔術が込められた剣を俺に投げ渡してきた。


「一瞬だよ。ただのピエロだった君が、英雄になれる機会は、ね?」


「おのれ……何者だ。余を操ろうと……」


 俺は、アルウィンの剣を掴む。触れるだけで感じられる。魔術の流れが、ピリピリと手のひらをわくつかせる。


 猛熊魔王の腕が、黒いフルプレートを貫いた。アルウィンの表情には、変化が見られない。


「砕け散れ……異界の………」


 アルウィンの冷たい口調とともに、黒いフルプレートは轟音とともに爆散した。血も肉片もなく、鎧すらなく、跡形もない爆発だ。衝撃が、猛熊魔王を吹き飛ばす。


 猛熊魔王の胸は、酷くえぐれている。天をつき、地を割る叫びが、降り続ける雨を引き裂く。


 表情筋をグシャグシャに振り乱しながら、半壊したコアの欠片を拾い集める。それを胸にいだきながら転げ回る。


(馬鹿な……異界の勇者が、ただの自爆攻撃の手段に使われるのかっ!! アレだって……異界では太陽のような存在なのだろう……。いや、異界人だからこそか。それくらいにしか利用価値がない、と)


「何をしている。リシャール、もう大した動きはできないはずだ。とどめを刺せっ!!」


 学校で教えられる騎士道精神は、アルウィンの一声で跡形もなく砕け散った。俺には、それを必死に拾い集める気もない。アルウィンが、正しいというつもりもない。


 ただ、剣を握りしめて無惨な姿を晒す魔王を睨む。


 駆け出して、剣を振り上げた。壁画や絵画の一枚になるような素晴らしい光景ではないだろう。


 アルウィンの配下の騎士たちは、死体となり。イケニエとなる。大雨は、土塊を砕き。魔王は瀕死である。


 これが英雄になる男の勝利だ。まるで、道化の予定調和な芸の一種のように剣は、壊れたコアを貫いた。


「は、ははっ、お、終わりだっ!! 魔王っ!! お、俺が、え、英雄だっ!!」


 目を見開き目玉を小刻みに動かして、低い断末魔をあげる猛熊魔王を、俺は見下ろしながら笑う。嘲笑ってやる。


 かつて、俺たちピエロを見て笑っていた観客のように。


「グハ……ハハ……ニンゲン……ども……」


 猛熊魔王は、コアを砕かれても起き上がろうとした。やっぱり、倒せてなかったのか? 俺は素早く立ち退いて、剣を構える。


「虚勢だよ。気にするな。猛熊魔王は朽ち果てた。君の勝ちだ。リシャール……」


 アルウィンの言葉を証明するように、猛熊魔王は足先から黒い煙となって消えていく。


 最後の最後まで、俺を見つめていた。言葉を発しなくても理解できる。


 猛熊魔王は、俺を憎んでいる。勝ち馬に乗っただけの英雄を軽蔑しているのだ。


 雨がポツリと、頬をつたう。生あたたかい血のような雨。空の雨雲が、うすくなり消えていく。猛熊魔王と同じように消滅しはじめた。


「あの雨雲は、こいつの仕業だったのか?」


 黒雲を切り払うように、日差しが差し込んでくる。湿った土の上に溜まった水たまりが、光を反射していた。


 騎士たちの死体も、その血肉も、あの一瞬のための潤滑油となったのだ。


 アルウィンは、何事もなかったかのように生き残った部下たちを集めて、何やら命令を下していた。


 太陽の炎の前にあっては、多くの命は焚べモノに過ぎない。誰かが、太陽すら燃やせるほどの何かにならなければならないのだ。


 この世界を変えるために……





 月は、優しく世界を照らしてくれる。俺たち、ピエロは夜になると空を見上げて月を眺めていた。


 窓から見える月は、誰にも平等に慈しみを与えてくれているように見えたのだ。


 俺の手には、紙切れがある。風が吹くたびに手から離れようとするくらい薄っぺらい。


 この紙切れが、英雄になったものに与えられるモノだそうだ。


 俺が猛熊魔王を討伐した事実は、わずか数時間で帝国中に知れ渡った。


 戦意向上と、イストワール王国への牽制のために帝国内だけではなく、全世界に伝えるらしい。


 戦勝式典は、帝都で行われる。

 

 このヒラヒラと舞う白い紙が、帝都にある王城に入るための許可書である。


 俺は、皇帝の前で膝をつく。皇帝は、俺を認めるだろう。


 日の当たらない場所で活動していた違法のサーカス団のピエロが、ターブルロンド帝国の英雄であると……


 第一章第14話【すべては、月からはじまった】完。

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