第9話【腐りきった太陽】
物語の魔王と言えば、居城でふんぞり返っているという認識だ。
実際は、縄張りの中を動き回っている魔王がほとんどである。
それどころか、居城を持つ魔王など極小数でしかない。
今回の作戦は、縄張りの巡回を利用する。
猛熊魔王が、ねぐらを離れた間隙を襲う。襲撃するのは、ネズミに似た男だ。
配下の魔物を屠殺して、猛熊魔王を誘き寄せる。そうして、イストワール側へと逃亡する算段である。
ここまでが、魔王討伐会議で決まったことだ。
要するに、目の上のたんこぶをイストワール王国に押し付けようということだろう。
ただ、俺の考えは違う。アルウィンには秘密にしている事だが、俺の狙いは魔王討伐ではない。
猛熊魔王の強さによっては、警戒網の崩れたイストワール側に単独で潜入する。
猛熊魔王との戦乱に乗じて、アンベールを暗殺する腹積もりだ。
(ネズミのやつ……上手くやってるだろうな。せいぜい、猛熊魔王を激高させてくれよ)
猛熊魔王のねぐらから、かなり離れた位置に作られた前線基地。
基地と言っても、大したものではない。アニュレ峠の開けた場所にテントを貼っただけだ。
俺は、指揮所に使っているテントの中で、部下からの報告を聞いていた。
「以上です。リシャール団長。ブラッカー隊長の援護には、魔術隊を派兵しています」
報告をする部下の声は、どこか弾んでいた。本来なら、魔王との戦いだ。
生きて帰れる保証は無い。覚悟から来る余裕ではないだろう。
俺は、一人で戦うネズミの名前を思い出した。フェリシテに何度も注意されていたことも。
うるさいだけのフェリシテはいない。
アルウィンとともに、後続隊を率いてくる手はずになっている。
魔王と戦いますよ、という姿勢を見せるだけの行軍だ。
だからこその余裕なのだろう。
指揮所内に漂う雰囲気は、タンポポの綿毛のようなものである。
視線の片隅では、カードゲームに興じる騎士の姿も見えるくらいだ。
演習のときの方が、遥かに緊張感がある。もっとも、魔術隊は生きた心地がしていないだろうが。
ネズミへの支援魔法や死なない程度の回復をするための部隊だ。
猛り狂った猛熊魔王が、巣穴に戻る前に撤退する手筈になっている。
とはいえ、騎士の護衛なしでの任務は、かなり不安だろうと思う。
(ドブネズミの支援が、最後の任務だったとすれば……。ふん、死んでも死にきれんな)
黒曜騎士団に所属する魔術師は、アルウィンが率いるルグラン騎士団から出向して来たものたちだ。
彼らを師として、黒曜騎士団にも魔術士を育てる狙いだった。
その最初の任務が、魔王の餌を作るための調味料になるとは……
エリート意識の強い彼らの立場からすれば、屈辱的扱いなのではないだろうか。
ただ、どのような大義を並べるよりもだ。
自分の命が差し迫った状況ならば、プライドも捨てて協力するだろう。
実際に異論を唱えるものはいなかったらしい。心の中までは分からないが。
「リシャール団長、お聞きしても宜しいですか?」
「……ん、なんだ?」
俺は、ナイフを机に突き立てながら考えに耽っていた。その様子を伺うようにして、質問をする部下。
「ありがとうございます。猛熊魔王が、こちらに向かってくるということは無いのですか?」
部下の問いに、手に持ったカードを伏せて、こちらを見つめる騎士たち。
無論、ありえない話ではない。
見せかけとはいえ、行軍の騎士たちの装備は実戦向きにしてある。
黒曜騎士団も、戦うための準備は整っているのだ。そのことに対して、説明はしてきた。
ここに来て、この質問。そして、この反応。今、まさに戦っている魔術隊との差だろうか。
俺は、深くため息をついて返す言葉もないと言った表情で部下たちを見る。
「その腰にぶら下げてるモノで、魔王を斬りつければいい……。魔王などと御大層な称号を冠しているがな……。所詮は、知恵の浅い猛獣のボスだ」
一人の騎士が、不自然な笑い声をあげる。他のものも、つられて笑い出した。
「それに……。手下を虐殺されたうえに首謀者を取り逃がせば沽券に関わるだろ? 畜類の王になるにはソコは大事だと思うがな?」
お互いに頷き合う騎士たち。質問をしてきた騎士も「仰る通りです」と頭を下げた。
不意に、アルウィンの言葉が頭を過った。
(王とは不自由なものだよ……)
権力の上に腰かけるものが、なんの不自由があるのかと疑問を持ったことを思い出した。
俺たちのような支配される側。持たざる者の方が、遥かに不自由である。
猛熊魔王も、王といえば王だ。
圧倒的な力を背景に、部下を踏みしだく者に不自由さがあるのであろうか。
あるはずがない。だからこそ、俺は太陽を掴む存在になるのだ。
誰かにこの命を脅かされないために。
*
アルウィンが、まもなく着陣するとの報告が入った。
現金なもので、遊戯に興じていた騎士たちもすっかりと目を覚ましたように姿勢を正している。
俺は、テントの外に出て空を見上げた。今は、木の龍の月だ。
1年のうちで、作物が良く育つ気候の良い季節。しかしながら、雨雲が所々に見える。
遠くの空は、青く雲ひとつない。この周辺だけが、言い知れぬ気持ちの悪さを感じる。
雨季ならば、気にすることはないのだろうが。
「おい、雨が振りそうだ。食料とかの物資をテントの中に運べ……」
俺は、指揮所の中に入って命令を下す。声が小さかったのか、部下たちには聞こえていないようだ。
伝令が、アルウィンの出立を知らせに来た。その光景が脳裏に浮かぶ。
部下たちの目つきが変わったことを。
俺の手が震える。ロングソードの柄頭が、視界に大きく映る。
「そろそろじゃないかぁ? ドブネズミ隊長が、ネズミのように逃げ回るのさぁ?」
「ああ、あの貴族モドキ。俺に武器を磨かせやがった。リュンヌ様のバチが当たったんだな。派手に八つ裂きにされるべきだよな」
「おいおい。リュンヌ様のバチを与えるのは、俺たち人間じゃねぇか。魔王は、リュンヌ様の敵だろぉ?」
「ドブネズミが人間か? どこの誰に討たれても大した違いはない」
「そ、そうか。あの貴族モドキは、平民と同じだなぁ。そうかぁ。敵同士で仲良く消えてくれたら……一石二鳥じゃん」
「そういうことだ。今だけは、イストワールの騎士になりたいね。ドブネズミをこの磨いた剣で八つ裂きにしてやりたいからな」
騎士たちの笑い声が、テントを揺らしていた。まるで、乾いた野草の上に降り注ぐ陽光だ。
地上を枯渇させることで、輝きを増す太陽。
そうだ。俺は、サーカスのネズミに過ぎなかった。アルウィンに救われ、飼われた存在だ。
太陽から見れば変わらないのだろう。彼らの態度には、苛立ちを覚えていた。
俺をドブネズミと、変わらないと見る高みでふんぞり返る太陽ども。
しかしながら、ネズミを助けたいなどとは決して思うことはないだろう。
俺の目指す覇道に……。必要のない存在だ。
この世界の人間全てが信じる唯一のリュンヌ教。
彼らは、この世界の汚れを取り除くことを教義にしている。
生ぬるい風が吹き込んできた。腐った太陽たちは、汚れた地上を這いずるネズミを嘲笑う。
地上の汚れを祓っても、空を我が物顔で支配する太陽は変わらない。
ならば、本当に祓われるべきは……
腐りきった黒い太陽たちではないのか? そして、その腐った汚物を見逃しているリュンヌこそ……
第一章第9話【腐りきった太陽】完。
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