第7話【狂信者に用意された道】
俺たちが、相手にするのは「魔王サマ」だ。徘徊する魔物とは違う。
リュンヌ教国によって、勇者が選抜されるほどの相手なのだ。
ルグラン騎士団と新設された黒曜騎士団を派遣して勝てる可能性は、低い。
当然、その戦いの中で逃亡兵が出るはずだ。彼らは、死物狂いで逃げるだろう。
その先が、イストワール王国の領土であろうとも関係はないはずだ。
猛熊魔王は、敗走する兵士を喜々として追撃するであろう。
俺は、ネズミの顔を見つめた。臆病風に吹かれて逃げ回る姿がよく似合う面構えだ。
「リシャール様……」
ネズミは、顔を紅潮させて下を向いた。薄気味悪い男だ。
あの日、ネズミを黒曜騎士団の第一騎士隊隊長に任命してから俺に向けてくる眼差し……
気色悪さを感じるが、利用できそうだとも思っていた。
「アルウィン……司令。俺たちで魔王討伐を行えば、確実に敗北するだろう? ならば、当然。出てくるはずだ。逃亡兵がな? 死物狂いの兵士が、アニュレの国境を越えたとしても不思議ではないと思うが?」
こいつらのなかには、全滅覚悟で戦う意味を、どれほどのものが気づけているのだろうか。
死は、人を正直にさせる。普段、死の覚悟ができている者でも逃亡するのが戦いだ。
魔王を囮に使うという策は、否定されたはずだと困惑する声も聞こえてくる。
他の騎士団長どもは、顔をしかめながらアルウィンを見ている。
やはり、分かっていない。囮にするのは、猛熊魔王ではない。
「もっと、わかりやすく言うべきだな。囮にするのは、味方だ。敗走兵をイストワール王国側に放つ。猛熊魔王には、それを追いかけてもらう」
会議の場は、騒がしくなった。幹部たちは、眉間にシワを寄せて俺を睨みつけてくる。
当然だろう。下手をすれば、イストワール王国からの反撃もあり得るからだ。
「当然、逃亡兵には傷を負ってもらう。そして、因縁もな。猛熊魔王には、部下がいるはずだ。そいつの血を浴びて、魔王との戦いでは最前線で戦ってもらう。その後、手傷を負って逃亡……」
俺たちは、武装して行軍をする。しかしながら、実際に魔王と戦うのは、囮役だけだ。
猛熊魔王に対して、兵を挙げることで、魔王相手に勇敢に戦ったと内外に示すことができるのだ。
勝利することができれば、そのほうが良い。
できないのであれば、立ち向かったという形だけの結果を得られればいい。
イストワール王国に敗退を繰り返している状況で、魔王に対する徹底抗戦。
弱気な皇帝や上層部に辟易とする連中を鼓舞できるのではないだろうか。
「うーむ。猛熊魔王相手に、戦おうという姿勢は多くの同胞に良い影響を与えられるかもしれん。しかし、アンベールが、魔王を倒したとすれば……。イストワール王国も勢いづかせてしまうのではないか?」
「負傷して逃げ出した兵士が、敵陣に助けを求めることはよくある話だ。猛熊魔王を帝国領から追い出せるのであれば、やる価値はあるか……。問題は、イストワール王国のその後の対応だ」
「いやいや、アンベールが、魔王を倒したとしても。ターブルロンド領から魔王を追い出した事実は大きい。このままでは、魔王に蹂躙されるぞ。それこそ、イストワール王国につけいる隙を与えてしまう」
「うむ、勝利しなくてもいい。追い出せればな。事実上は、勝ちだ。宣伝効果は期待できなくもない。ただ、囮役に誰を使うのだ? そんな極めて危険な役割を好んでやる者などいないだろう?」
「しかも、捕らえられた末に何を言わされるか。言ってないことまで言わされるのではないか?」
そのとおりだ。普通のものであれば、イストワール王国に亡命する。
拷問の末に、ターブルロンド帝国の不利になる証言をさせられるだろう。
それでも、だ。
猛熊魔王を領土内から追い出すことができたという功績のほうが大きい。
勇者を持たない帝国が、である。
捕らわれた逃亡兵は、イストワール王国によって拷問の末に利用されたとでも噂を流せばいい。
そうすれば、イストワール王国に亡命することの恐ろしさも理解させることができる。
俺は、ネズミ男を一瞥する。ネズミ男は、唇を噛み締め、覚悟を決めたような顔つきだった。
(使えそうだ。やはりこのネズミ男を囮にするか……。それに、イストワール王国に生きたままたどり着かせなくてもいい……)
「リシャールの策は、だいたい分かったよ。まぁ、このまま、魔王に居座られるよりはマシかな。自分たちの力のみで、やり遂げたと宣言もできるね。でも、リシャール? 誰に任せるつもりかな?」
アルウィンは、組んだ両手をテーブルの上に置いた。恐らくは、俺の答えなど予想済みだろう。
「こいつに。俺が騎士団の中で最も信用する男に任せるつもりだ……」
俺は、ネズミを指で差した。ネズミは、丸い目を見開いて、体を痙攣させている。
その顔は、病的な歓喜に満ち溢れていた。
「私は、反対です。上手くいかなかった場合のリスクを考えたら……。魔王を挑発した挙げ句。こちらに向かってきた場合はどうするつもりかしら?」
やはり、フェリシテは反対するのか。しかし、その理由もわかる。
魔物に対する囮は、失敗や事故を引き起こしかねない。
魔王となると、人間以上に知恵のあるものもいる。しかしながら、件の魔王は、猛熊魔王だ。
知性は大したことはないらしい。もっとも、簡単に騙されるほど単純ではないと思われる。
だが、弱点もある。
「ふん。猛熊魔王は、眷属を大切にする。その眷属の血に塗れた人間を前にして冷静でいられるか?」
味方を囮にすることを前提とした作戦ではあるのだが。
他の騎士団長どもの顔は、先程までの張り詰めた感じはない。
囮役が良いのだ。もしこれが、貴族の御曹司ならフェリシテの援護射撃をしただろう。
今回の囮役ネズミは、没落貴族を祖先に持つ平民の生まれだ。
この会議に出席する貴族サマからしてみれば、ドブネズミである。
ドブネズミが、立派な甲冑を見せつけて、騎士団の隊長ヅラを晒している。
面白いわけがない。
「リシャール様、や、やらせてください。ボクは、囮にでもなんでもなりたいです!!」
「ブラッカー隊長。作戦の意味を理解していますか? 貴方は、死ぬわ。万が一、失敗をすれば……」
ブラッカーという名前を持っていたのか。俺は、笑ってしまった。
ネズミは、フェリシテの警告など、聞こえていないようだ。
盲信、狂信の類だろう。
あの日、ネズミを黒曜騎士団の第一騎士隊隊長に任命した瞬間から。
ネズミの俺に対する態度は、信仰対象に向けられるモノのようだった。
最初は、煩わしかったのだが……
なるほど、このような場面においては便利な感情と言える。
人身御供は、自ら名乗り出てくれた。後は、イストワール王国の対応に対する不安だけだ。
「どのみち、イストワール王国とは戦争中だぞ。ここが、いつまでも安全地帯だと思っているのか? 猛熊魔王の復活は、番狂わせになるかもだ。いや、そうしなければ、戦争には勝てん」
俺の鼻先を乾いた白檀の香りがかすめた。
熱くなりがちな会議を円滑に進めるための雰囲気作りである。
会議がはじまる前から、漂っていたのだろう。今になって気付いた。
「リシャールの提案を承認するよ。ただし、フェリシテの危惧を認める。そこで、ブラッカー隊長には丸腰でイストワール王国側に敗走してもらう。後は、逃亡兵を装うために多少の演出も覚悟してもらわなければならないね……」
フェリシテは、残忍な殺戮者を見たように瞳の奥を震わせていた。
怒りを宿したような眼差しは、俺に向けられている。
ネズミの生まれ、成績と評価。騎士らしからぬ男が、なぜ騎士になれたのか。
ようやく理解できた。
(なるほど、こういうときのために落ちこぼれを騎士に任命したりするんだな……。上も色々と考えているわけだ)
「ボクは、リシャール団長のおかげで騎士隊隊長になれました。恩を返したいんです。やります、やらせてください」
猛熊魔王への対策は決まった。他の騎士団長どもは、軽く息を吐いている。
安堵したのだろうと思う。犠牲になるものは、ネズミ一匹だ。
彼らにとっては、痛くも痒くもない人選である。
猛熊魔王への対策会議は、穏やかな空気に変わり、進んでいった……
第一章第7話【狂信者に用意された道】完。
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