第4話【ルグラン家の任務】

「まるで、孤狼のような面構えだな。分不相応な黒曜の鎧も、気に入らん」


 この男は、何という名前だったか、興味もない。名も知れぬ目の前の巨漢は、嫌悪感をあらわにしてテーブルを叩きつけた。


 アニュレ方面を統括する砦の司令官らしい。アルウィンが、俺を紹介してから明らかに不機嫌だ。


「司令、リシャールは、ルグラン家にとって大切な存在なんです。養子とはいえ、僕の弟ですよ。悪口は影でしてください」


 いつの間にか、弟にされていたようだ。俺は、生まれた日もわからないのだ。年齢など知る由もない。


 いや、そんなことはどうでもいい。アルウィンが、俺を庇えば庇うほどに巨漢は、怒りをあらわにするだろう。


 アルウィンは、俺の肩に手を置いた。我慢してくれと言いたいのだろう。むしろ、アルウィンのほうが、自重すべきだ思うのだが……


 俺は、砦の司令室から見える窓の外に目をやる。遠くにアニュレ峠が見える。


 どこまでもつらなる緑の山の向こうに、イストワール王国の歴代最強の剣聖がいるのだろうか。


 正直、目の前の巨漢司令などどうでも良かった。声も態度も不快ではあるが。


 俺の心は、アニュレ砦に入る前に得た情報のことでいっぱいなのだ。


 アンベール・ベトフォン。イストワール王国の剣聖。ベトフォン家は、イストワール王国──世界の武家の棟梁で、アンベールは歴代最強の呼び声が高い。


「リシャール、大丈夫? ボーッとしてるよ?」


 俺の視界に、アルウィンの顔がいっぱいに広がった。


 我に返った俺の開けた視界に、巨漢が司令席にふんぞり返っている。


 歴代最強の剣聖。倒せればどれほどの栄誉が手に入るのだろうか……


 目標の英雄も手に入るだろう。



 俺は、司令室を出るなり大きく息を吐いた。今も近くに大物がいると思うと心がざわめくのだ。


 英雄になるための近道がすぐそこに見えている。今すぐにでも、その喉笛を掻き切りたい。


 あの日から人を殺すことにためらいがなくなった気がする。あの雷が、俺を変えたのだろうか。


「本当に大丈夫かい? リシャールは、どう思った?」


 俺は、流行る心に無理矢理に蓋をして、なんのことかと聞き返した。


「ボルドロー子爵のことだよ」


 アルウィンは、軽く苦笑を浮かべた。


「ボルドロー? 誰のことだ」


「アニュレの司令。アルメ村の領主だよ。さっき、リシャールの鎧を分不相応と貶した男」


 アルウィンが、言葉を畳み掛けるたびに巨漢のシルエットが実態を帯びて頭に浮かんだ。


「正論だろ。気にしてない」


 俺は、黒光りする鎧の表面に手を滑らせた。



 アルウィンが帝国武術学校を卒業したあの日、青き月が輝く夜天の下。


 分家の邸宅は、凶賊どもの襲撃を受けていた。


 俺は、急な雷雨にルグラン本邸へと帰ろうと急いでいた。たまたまルグラン分家の邸宅の前を通りかかり、偶然にも凶賊と戦いになり、全滅させた。


 分家は、凶賊によって皆殺しにされた後だった。皆が皆、喉をかき切られており、邸宅は血なまぐさい惨殺の獄とかしていたのである。


 俺の働きは、アルウィンの父親に認められ、この黒曜の鎧を賜ったのである。


 凶賊どもは、分家からの依頼で本家を襲う予定であったようだ。


 しかし、報酬額の問題からこじれたといったところだろう。よくあるパターンだ。


 そのように俺は、証言をした。


 他に目撃者もなく特に調べられることもなく、それが真実となったのである。そう、突然の雷雨がすべて洗い流してくれたのだ。



「君は、自信を持つべきだよ。父上も言ってたじゃないか。あっ、それよりさ。ちょっとこっちへ」


 アルウィンは、俺の腕を引っ張って司令室のドアから離れる。


「これを見て」


 俺は、アルウィンから渡された命令書らしき紙を見た。そこには、貴族院の花押が押されていた。


 また、何らかの術式も書かれている。


 内容を端的に言えば、ボルドロー子爵のイストワール王国への亡命を阻止するように書かれている。


「ボルドロー家は、イストワール人の血が入っている。もう何十代も前の話だけどね。この戦争、帝国の旗色が悪いと見て、逃げ出す準備をしているんだ」


 おそらくは、それだけではないだろう。アンベールが、アニュレ峠の北側に来ているという情報。


 そして、ボルドロー子爵の亡命。この2つは偶然ではない。


 俺が、アニュレ砦を見た第一印象は、防備を固めている体を装っている印象だった。


 ボルドロー子爵の亡命とともにアンベールのベトフォン騎士団が、攻め込んでくるのではないか。


 司令を失った砦。しかも見た目だけの防備。


 ここが落ちれば、ターブルロンド帝国唯一の海洋貿易拠点に王手をかけられる。


「証拠はあるのか? イストワール人の血だけを証拠に貴族を追い詰めたら、他の貴族の反感を買って、ターブルロンド帝国は終わりだぞ」


 アルウィンは、2枚目の紙を見せた。


 そこに書かれていたのは、ボルドロー子爵の暗殺であった。


 ターブルロンド帝国は、多民族国家だ。


 それを支配する皇帝の血には、様々な民族の血が流れている。


「この紙は、もう処分するよ。必要ないからね。ここでやることは、一つ。イストワール王国との戦いではないよ。敵に寝返る味方の排除だよ」


 アルウィンの幼い顔立ちには、暗く残忍な陰りが見えた。


(冗談じゃない。アルウィン、それは英雄になる道じゃねぇよ。暗殺者の行き着く先に栄光はない。このままだと、ルグラン家は……)


 俺は、ルグラン家の守り神として地獄から救い出された。


 他の道化の行き先は、処分だ。運が良くても奴隷にされるだけだろう。


 俺だけが、拾われたのだ。理由は不明。だが、ルグラン家を泥舟にするわけにはいかない。


 そのためにも俺は、功績をあげ英雄になる。そう誓ったのだ。しかし、アルウィンが示した道は、余りにも遠く獣道の袋小路である。


 俺は、始末屋家業などに終わるつもりはない。


 第4話【ルグラン家の任務】完。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る