遺恨

「しーの歌を聞いた時びっくりしたんだよ」


「幼い声だったでしょ?あの時、僕まだ中学生だったから」


好きだったんだよなあ…。クロ君は聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやく。


「俺もまだガキだったし、幼いとは思わなかったけどな」


「高校生と中学生は違うよ」


「はは」


クロ君の乾いた笑みを最後に沈黙が流れる。高校生の期間を引きこもっていたクロくんに言ってはいけない事を言った気がした。そんな僕の気持ちに呼応するようにさっきまで天気が良かった空から雨が降り始める。


「なあ」


クロ君は半開きだったカーテンを全開放して窓の外を眺めている。その背中はいつもより小さく見えた。


「しーはその子に会いたい?」


「会えるならね」


「やっぱ会うのは難しいか?」


「中学受験したから、小学校の時しか絡みないんだよ」


「しー、エリートだったもんな」


クロ君の何気ない一言に昔を思い出す。両親はとても教育熱心で、僕を一流大学に行かせようと奮闘していた。いじめにあっていた小学生時代の僕にとって中学受験は環境を変えるのに都合が良かったから、特に両親に逆らうことなく勉強した。でも、そんなご都合主義な考えは僕の首を絞めることになる。中学生になって親から与えられたスマホは僕の狭い世界を広げていく。歌、ゲーム、配信…皆自分の好きなことを通して輝いている。僕みたいにいじめが原因で人間関係をこじらせている仲間もたくさんいる。環境を変えても人間関係がうまくいっていなかった僕にとって、そんなネットは心地の良い逃げ場だった。


ネットの個性豊かな活動を見ていると、幼い頃、母が車の中でよく聞いていた歌を口ずさんでいた記憶がよみがえる。思えば、僕は歌が好きだった。


歌を通じて、僕はネットでちょっとした有名人になった。ネットは、リアルでは一人ぼっちの僕が唯一認められる場所になった。だけど物足りない。ネットの住人達は僕の本当の姿を知っているようで知らない。小学校の時に受けた何気ないいじめが僕の心に巣食っていることを彼らは知らない。リアルの皆と同じように。僕のことを「気取った一匹狼」として忌避しない分、ネットの住人の方がましなだけだ。


思い返せば、僕を正しく理解してくれたのは、紫の花飾りをした学級委員長だけだった。


数年たった今も僕の心を埋め尽くしている彼女に会いたい。


クロくんがメンヘラ女に会いたいと思った気持ちが今ならよく分かった。


学級委員長も、メンヘラ女も僕たちの心に遺恨を残しているんだ。良い存在でも悪い存在でも僕たちを縛り付ける遺恨には変わりないのかもしれない。


「会えるといいな」


クロくんは窓の外を見つめながらつぶやく。雨はさっきよりも強くなっていた。




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