とある歌い手

名前も知らない花

僕は紫色が好きだ。


タイムラインが紫に彩られていたこの間の誕生日は胸が踊った。


でもそれと同時に切ない気持ちにもなる。


紫を見るともう会うこともないであろう貴女を思い出してしまうから。


あの出会いは僕がクロくんと出会うよりもっと前、15年ほど前に遡る。


小学生になりたてだった僕は、ベッドの上から校庭を眺めていた。


「音咲くん、体調はどうかな?」


カーテンが開け放たれ、先生の(この部屋の?)独特な、だけど心地の良い匂いが鼻をくすぐった。


「ちょっとましです」


なんとか登校したのは良かった。でもすぐに頭とお腹が痛くなった。気のせいだったかもしれないけど吐き気もした。そして逃げるように保健室に駆け込んだ。


先生は僕の逃亡劇を察して、僕を迎え入れてくれる。今日も、昨日も、先週も、1ヶ月前も。その微笑みは見飽きてしまった。


「クラスには戻れそうかな?」


赤子をあやすような優しい先生。僕のわがままを受け入れるふりをしながらも、暖かい居場所から追い出そうとする。大人はみんなそうだ。


先生から目を逸らして再び校庭を眺める。先生のうつむきがちな姿が目の端にとまった。


しかし、先生がそんな姿をしたのは一瞬のことだった。ガラガラと保健室の戸を引く音が聞こえると弾かれたように立ち上がる。


「どうしたの?秋葉さん」


「先生に頼まれて持ってきたの」


カーテンの隙間から少女の姿が見える。僕は彼女が付けている花飾りに既視感を覚えた。


紫色の綺麗な花飾りだった。


「音咲くん、体調はどう?」


先生とおんなじ口調で尋ねてくる。でも不思議と、それほど嫌ではなかった。


「まあまあ」


僕は校庭に目をやった。特に目を惹かれるものがあったわけではないが、少女と目を合わせるのはなんとなく心がむずむずした。


「入学式の日以来だね」


思い出した。この子は入学式の日、僕の隣に座っていた子だ。僕はなんだか紫の花飾りが気になって、校長の話も上の空で左に座る彼女のことをちらちらと見ていた。


出席番号1番の堂々とした出立ちに、花飾りが可憐さを添えている。僕はこの子と仲良くなりたいと思っていた。


-今はもう、叶わない願いだけど。


「はいこれ、先生から」


彼女は小さな机にプリントを数枚置いた。綺麗に揃えられたプリントを僕はガサツに確認した。


学級通信、保健だより、百ます計算プリント、僕にはなんだかよくわからない難しい字で書かれたプリント。


読み終わって机に戻すと、彼女はさりげない仕草でプリントを整える。


そしてランドセルを下ろしてベッドに腰掛けた。


「わたし学級委員になったの。だからこうして音咲くんにプリント届けに来たの」


学級委員。それは彼女にふさわしい仕事のように思った。でも彼女の表情は冴えない。


「押しつけられちゃってさ」


「なんか、ごめん」


彼女は僕がさっきまでしていたのと同じように校庭を見つめている。


「なんで謝るの?」


「僕に会うの、嫌でしょ?」


彼女の視線が校庭から僕にシフトする。その速度は新幹線が目の前を通り過ぎる時みたいだった。


「嫌じゃないよ!」


少し頬を膨らませて再び校庭に目を逸らす少女の頬が少し紅い…気がした。


「教室には戻らない?やっぱりあのことが原因?」


ふとカーテンの隙間から先生が見えた。仕事をしながらも耳はしっかりこちらを向いているようだ。だから僕は黙って首をふる。


「そっか。私は保健室好きだし、いつでもくるけどね!」


少女はランドセルを背負うと指をそろえて手を振る。その姿はとても可憐でまるで紫の花飾りのようだった。


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