誰も救えない
「いろいろあったよね、クロくんの人生」
紫音は俺の話をひとしきり聞いた後にようやくコーヒーを啜った。俺もそれに倣う。コーヒーは冷めきって本来の美味しさを失っていた。
「俺は感謝してるんだよ。俺が引きこもりやめて、この活動を始められたのはしーのおかげだからさ」
「ありがとう」
紫音は少し頬を紅くさせながらも、真っ直ぐ俺の瞳を見つめている。そして突然こう切り出した。
「あの女が死んでも狂ってもクロくんの責任じゃないんだよ。僕たちにできることは見てくれてる子たちに元気を分けてあげたり、背中を押してあげたり、変わるきっかけを与えてあげることくらいしかないんだから。直接誰かの人生を変わってあげることも、助けてあげることもできない。クロくんは自分の力で人生やり直したんだよ」
紫音の最後の言葉が心に刺さる。痛いところをつかれた子供のようにモヤモヤした感情が湧き上がってくる。
「俺は姉さんにきっかけを与えてやれなかったんだな。しーが俺にしてくれたみたいにはできなかった」
俺の言葉に紫音は目を見開いて俯いた。紫音の言葉は正しい。だけど正しいことだけで人を救えるわけではない。
「でも、クロくんは僕を救ってくれた。お姉さんの死を乗り越えて、僕を…」
-だから、僕も自分を変えられたんだ。
紫音は二つ分のマグカップを持って、迷いなくキッチンに向かう。
「僕にとって、お姉さんを失ったクロ君と出会ったことは大きなきっかけだったよ」
「それがなかったら僕らは出会わなかったかもしれないし」
心地よいコーヒーメーカーの騒音の中で、彼の言葉がこだまする。どこか他人事のような、だけど確実に俺を救おうとするその声を振り切りたくなった。
「そんなこと、俺の姉さんには関係ないことだよ」
「俺は家族として…一番近くにいた人として姉さんを救わなきゃいけなかった」
「あの娘のことも…彼女はこのままだと死ぬような気がする」
「せめて出会った人だけでも救わないと」
俺が必死に言葉を紡いでいると、『がちゃん』という音に遮られる。
いつもより乱暴にマグカップを置いた紫音の顔は今までに見たことがないくらい怖くて悲しい顔をしていた。
「そんな出来もしない正義感でクロくんが破滅したらどうするの?」
しばらく沈黙が流れる。時計の針がカチカチと音を鳴らす。その音が鬱陶しくて耳を塞いだ。
耳を塞ぐ手を通り抜けて、温もりの中に冷たさをたたえた声が響く。
「今度は僕の話をしてもいいかな?」
俺は出来るだけ目の前の彼と目が合わないように、顔を上げて頷いた。
紫音はゆっくり息を吐いてコーヒーを啜った。
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