イヌとサルと尾長鳥

杜村

1

 南国のまぶしい太陽が、田畑をいっぱいに照らしていた。

 円錐形の笠をかぶった領民たちは、ゆるゆると働いている。手を動かす間にも、歌ったり、おしゃべりをしたり。駆け回る仔犬をかまってみたり。

 真っ直ぐな黒髪と浅黒い肌の人びとは、笑顔が地顔になっていて、のどかな雰囲気をまとっている。


 それでも、生きていれば辛いことがないわけではない。


 エーランが領主の屋敷に来て、もう3年が過ぎた。

 来たときは2、3歳と思われた幼子も、だいぶんしっかりした体つきになった。くりくりした茶色い巻き毛の男の子である。簡単な用事を言い付けられると、喜んで手伝うようになっていた。

 それでも、できそうなことをわざわざ探してあてがってもらうのであって、まだまだ下働きとも呼べない。

 それもこれも、領主夫妻のやり方が穏やかだからで、拾われた先が他所であったなら生き延びていられたかもわからない。

 幼子には難しい話と知りながら、屋敷の使用人たちは折に触れて教えずにはいられなかった。


「腹いっぱい食べさせてもらって、屋根壁のあるところで寝られるんだ、ありがたいと思わなきゃならねえよ」

「うん」

 豆をさやから出す手伝いが終わったところで、蒸したての甘い芋のしっぽをどっさり持ってきてくれた料理長が、しみじみと言った。料理長というより漁師か猟師のようないかつい中年男だが、エーランはにこにこと芋をつかみ取った。


「お前はとっても運がいいんだぞ。あの日、若さまが見つけてくださなかったら、お前も母ちゃんと一緒にあの世に行ってたさ」

「わかさまは、おれの、いのちのおんじん」

「そうだ。そればかりじゃねえ。若さまはお前がべそべそ泣き虫だもんだから、寝かせつけまでしてくださったんだ」

「おれ、もう、べそべそなきむしじゃ、ないやい!」


 口から芋のかけらを飛ばして、エーランは言い切った。


「おう、すまんすまん。来たばっかりのころの話さ。あんな小さいころはなあ、泣くのが仕事みたいなもんだ」


 どんなに貧しい家だって、さすがに2、3歳の子どもを奉公には出さない。もらい子も珍しくはないし、引き取り手を見つけることもできただろうが、領主夫妻は幼子を屋敷に置くことを望んだ。エーランの肌がこの辺りでは珍しいほど白く、瞳や髪の色が茶色だったためではないかと人びとは考えている。どこの誰だかわからない母親の子どもというだけでも、辛いことは待っているであろうから。


「エーラン、ここにいたの。若さまが探していらっしゃるわよ」


 厨房の出入り口から顔をのぞかせて、若いメイドが呼んだ。

 はあいと元気な返事をして駆け出していったエーランは、両手に一つずつ芋を握っていくのは忘れなかった。


「若さまがどこにいらっしゃるのかも聞かないで、あの子ったら」

「わかってんだろうよ。四阿あずまやだろう」

「そうじゃなかったらどうするんですか。まあ、違わないけど」


 その通り、屋敷の一人息子であるアナンが、天気の良い昼間には中庭の四阿で過ごすことを好むのは、誰もが知っていた。

 この日もアナンは四阿で、石板に絵を描いていた。


「わかさま、あげる」


 握った芋をにゅっと差し出して、エーランは輝く笑顔を見せた。


「ありがとう。でも、今はお腹がいっぱいだ。お前がお食べよ」

「わかさま、いっぱいたべないと、おおきくならないんだよ」

「そうだけどね。食事を残すことになったら困るから」

「おくさまが、しんぱいするから?」

「そうだね」


 9歳になったアナンは、考え深げに下げていた顔をさっと上げて、エーランに見えるように石板を掲げた。


「これが何かわかる?」

「あ、これはモモでしょ! でも、へんなモモ! とがってる」

「すっぱり割るんだから、こういう形がいいんだ。丸いのより真ん中がわかりやすいだろう?」

「でも、でもね、わかさま。すっぱりやるには、ものすごくおおきな、ほうちょうがいるんじゃないかなあ?」

「ん、そうだな」

「モモはおおきくてもやわらかいのかな? おおきいほうちょうだと、モモタローも、きられちゃう?」

「あはは、切られないさ。モモタローはこうやって、やあ! って飛び出すからね」


 アナンは両手両足を広げて、椅子からぴょんっと降り立った。弾みで草の上に投げ出された石板の真ん中には、幼子の尻のようでいて上がつんと尖った丸いものが描かれている。


「こんな形だと思いついたら、エーランに見せたくなった」

「えへへ、おれが一ばん? やったあ! で、これはなに?」


 エーランは、モモの左の四角い絵を指差した。真四角の、角を上下左右に置いた形で、それぞれの角からくにゃくにゃの線が伸びている。


「キンタローの衣だ。こうやって前につけて、紐を結ぶ」


 アナンが身振り手振りで説明すると、エーランは笑い転げた。ひっくひっくと引き笑いをしながらも右の絵を指差す。簡単に描かれた人らしきものの腰回りに、たくさんの線が描き込まれたものだ。


「えー? じゃ、これは?」

「ウラタローの腰蓑」

「え? みのはこんなところにつけないでしょ。こんなにみじかくないし」

「短くないと、歩きにくいじゃないか」


 アナンが真面目に答えると、エーランはまた一段と大声で笑い出した。


「わかさま、すごい! モモタローも、キンタローも、ウラタローもすきだけど、かっこうまでおもしろいって、おもわなかった!」

「そうか。喜んでもらえて良かった」


 両手を振り回して笑うエーランと微笑むアナンを、離れたところで見ている二人の女人がいた。


「奥さま。エーランには、ちょっと控えることを教えたほうがよろしいのでは?」

「いいえ、フェイ、しばらくはこのままで」


 領主夫人とメイド頭のフェイだった。

 領主夫人の腹部は大きく張り出していて、産月うみづきが近いと見受けられる。長らく一人子であったアナンの弟か妹が近々生まれるのだ。

 それはめでたいことなのだが、夫人の髪の毛は黒髪よりも白髪がまさり、目尻の皺も深い。母親というよりも祖母といった容貌であることの不思議。


「エーランの母御ははごは、それなりの身分の方であったと思われます。供も連れずに森の中で行き倒れるには、相当な事情があったはず。お金や食べ物こそ持っていなかったけれど、どうしても手放せなかったのでしょう、珍しいものも隠し持たれていました。いつかエーラン自身が、出自を明らかにできる日が来たら、わたくしたちの方があの子に、膝を折ることになるかもしれませんね」


 夫人がふふっと笑いながら言うのを聞いて、フェイは生真面目に頷いた。

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