星の鳥籠

@amame_fure_fure

第1話 はじまりは

しゃりと、小さな咀嚼音が人気の疎かな路地に響いた。

(今日も沢山りんご貰っちゃったなぁ)

もらった、と言えば聞こえがいいが、実際はくすねてきた林檎を咀嚼しながらステンダートは、脚を再び動かした。

吐く息は白く、鼻先が赤いが、心は燃えるように脈動している。

なんだか今日は気分がいい。鼻歌混じりのスキップから機嫌の良さが伺える。

るんるん、鼻歌混じりのスキップは突然途切れた。

どん、という音と共にステンの身体が重力に従って地面が近くなっていく。ステンの手は空中のりんごに伸ばされた。しかし抵抗虚しく、どさり、と音がした。

「あだっ」

つま先が欠けた石畳に引っかかったのだ。

凍りそうな石畳からすぐに起き上がり、刹那、鮮やかな手つきで服から土埃を払った。

すぐに石畳に視線をやると、ひび割れたりんごが目に入った。隙間から果汁が染み出ている。

こうなるともうこのリンゴはダメだろう。

(最後の1個だったのに…)

ステンは膝を落とし、項垂れた。人からくすねたリンゴだと言うのに、なんともお調子者な人間である。

そうして伏せられた視界の端に、見慣れない細長いものが映った。

「僕、これやるよ」

鈴のなるような声、好奇心に振り返ると、そこには美麗な少年の姿があった。目立つ長い白髪を1つにまとめてポニーテールにしている。

白い睫毛に縁取られた琥珀の瞳は、

まるで人では無いような、美しさ。

そんな熱い視線に少年は眉尻を下げて応えた

「そろそろいい?」

「あっ…ごめんなさい」

少年の声に意識を引き戻されて、やっと正気が戻ってきた。やはり、まだ美麗だと思うが。

「じゃあ、それ食べな」

少年は手ずから先程の棒を取り出して山なりに投げた。

「いや、その前に、これ何――」

ステンは、少年を呼び止めようとしたが、その言葉を聞くはずの者はどこにも居ない。元の人気の疎かな路地になっていた。

「へ?」

手元の細いなにかを見てみると

よく見ると、薄黄色で、たまに橙色の斑点がある。表面ははつやつやだ。だけど触ってみると、ぶよぶよとした感触がある。

これをどうやって食べるというのか、

(本当に、なんだったのだろう…)




「ただいまー」

そう言いながら扉を押すと、扉の奥には5人の人間がいた。その中の1人がこちらを見て微笑み、「おかえり」と返した。他にはこっちを見る子も居たが、大半は何か言葉を返すことは無かった。

共に生活をする彼らの中では、ただいまという言葉を使うのはステンだけだ。突然現れた奇妙な言葉を使う子供を孤児たちは歓迎出来ないのだろう。

それに ̄


(何より僕の髪色は桃色だから…)

王国では、桃色を嫌う人は多い。

この王国には、1つの言い伝えがあった。

600年ほど前、2匹の狼がいた。1匹は白い狼。もう1匹は桃色の狼――


その後は分からないが、そんな話だったか、ぼんやりとした頭で回想していると、いつの間にか部屋の前に着いていた。

部屋の扉を開けると、一人の少女…と言うには小さすぎる幼女が寝そべっていた。扉の音に気づいてないのか、変わらず割と早い速度で手に持つ本を捲っている。

――本当にあれで読めているのだろうか。


気になることは気になるが、桃髪のステンが話しかけては不快な思いをするだろう。少年は2段ベットの梯子に手をかけた。


◇◆◇


朝がやって来たのだろうか。

ステンの意識は普段よりもすんなりと覚醒した。

窓に目をやると、窓に広がっているのは――朝日ではなく――夜闇。

寝起き独特の痺れを感じながら身体を起こす。

どうやらあのまま寝入ってしまったようだ。

ステンとしては、寝るつもりではなかったのだが。

ステンは、懐から橙色の棒を取り出した。

相変わらずぶよぶよとした触感がある。

(こんなの食べれないよ…)

ステンは梯子に足をかけた。

梯子から降りると、ステンの足に冷気の針が刺さる。そのまま音を殺して1階に降りた。

ステンは寒さに割と強いという自負がある。

昔から子供体温だからなのか、そんなことを思いながら靴を取り出した。

「なにをしてるのですか?」

振り返ると、昨日の幼女がいた。得意技の隠密は幼女に見破られていたようだ。ひ、とステンは声を漏らす。

「な、なんでレズリーが…」

焦りから、上擦った声で返事した

簡単です、とレズリーは口を開いた

「レズリーも起きていたからです。」

特徴的な金髪を後ろで2つに纏めた髪を触りながら、星を見るんでしょう? 幼女は言った。

「まさか、一緒について行く気?」

レズリーとは、同じ部屋で、唯一打ち解けられた子供だが、そんな年齢で深夜徘徊なんてさせられない。そもそもステンだって牧師にバレたら怒られてしまうだろう。

「そうです」

それを知ってか知らずか、レズリーは満面の笑顔で返事した。ちょっと不思議な言葉遣いだが、可愛い。

その時、少し、本当に少しだけステンに魔がさした。


少し息を吐いて言った。

「しょうがない、連れてくよ」




一応あるだけ服は着たが、やはり寒い。

身体を刺すような冷たい空気が容赦なく2人を攻撃する。

ステンは何度か、夜に抜け出した事がある。もう慣れているが、レズリーはそんなことは無いだろう。心做しか寒そうに見える。

他の世界の言葉で表現するならば、12月

普段地上を照らすはずの陽光はどこにもなく、どこか遠い場所へ出かけている。

悴む手でカンテラを持ちながら、2人は丘を降りた。

ステンは冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んだ。

澄んだ空気が美味しい。

この国では、冬は不幸の季節とされているが、ステンはそうは思わない。

(こんなに綺麗なのに)

ステンは上空に視線をやった。頭上に広がる無数の星が瞳に切り取られて反射する。その中でもある星が目に入る。

冬の大三角だ。

空に浮かぶ巨大な星座を見上げ、ステンは手を伸ばした。星に手が届きそうな気がする。目を大きく見開き、さらに多くの星を瞳に捉えようとする。

太陽の代わりとして、星空がやって来たように見えるから不思議だ。

ふと隣を見ると、レズリーも上を向いていた。

2人とも何も言わず、ただ見つめていた。

その時間は永遠のようにも感じたが、実際には1分も満たなかっただろう。


やがてステンは我に帰ったかのように瞬きをし、再び歩き出した。それにレズリーも呼応し着いていく。

やがて、昨夜転んだ路地へとやって来ていた。

「ステン、これ」

突然、レズリーはステンのシャツの襟を引っ張って、ある1箇所を指さした。

その先では誰かが倒れていた。

恐る恐る駆け寄り、人影がカンテラに照らされ明らかになる。近所に住む老人だ。

顔色は悪くないところを見ると、眠っているのだろうか。

ステンはその寝顔をじっと見つめる。

やがて、あることに気がつく。

「これ、」


胸が上下していない。


慌てて首筋に手を当てると、やはり、



――脈が無かった

死んでいる。

完全に、血液の流れを感じられない。

人が死んでいる。ステンは激しく動揺した。

これは一体。毒殺?昨日はあんなに元気だったのに?誰が殺した?なにがあった?いつ死んだ?なんで殺した?

疑問と恐怖でステンは立ちすくんで動けない。

「大丈夫ですよ、ステン」

ステンは年下に慰められ、

安心したような、これではいけないような、複雑な気分になる。

そんな中、二人の鼓膜に鈴のなるような声が響いた。

「そろそろ大丈夫か?」

それは大人の声ではなく、少年のような声色であった。振り返ると、昨日の少年がいた。

「君は……昨日の…」

ステンの言葉に少年は視線だけで返事すると、老人の死体を担ぎ上げた。

そして、ついて来いと言うと、彼は歩き出した。2人も後へ続いた。

カンテラを持っていないはずなのにまるで見えているように少年は平然と歩いている。

そのままついていくと、教会の墓場にやって来た。

そこには無数の十字架が建てられていた。周りには花やパンが供えられている。

「この人を埋葬するんですか?」

レズリーは、ステンの隣で静かに尋ねた。

少年は何も答えない、変わらず歩き続ける。そのまま墓の前に辿り着くと、そこに死体を置いた。


「あ、せめてお祈りだけはさせて」

ステンがそう言うと、少年は好きに祈ってくれと返事した。

「ありがとうございます」

レズリーは丁寧に礼を言うと、目を閉じ、手を組んだ。

ステンもそれを見て、真似をする。

しばらくして、2人は同時に立ち上がった。

後ろを見ると、少年まで目を閉じ、手を組んでいた。意外だ、と思うと同時に、神々しくも見える。

絹のような白髪が、カンテラに反射して、一本一本が光っている。

国の言い伝えでは、白い狼と桃色の狼の話があった。

恐らくこの人も白髪という理由で嫌われて来たのだろう。

その様子を見つめていると、少年は目を開けて怪訝そうにこちらを見た。

「どうした?」

「いや、なんでもないですよ」

ステンはずっと言いたかった疑問を投げかけた。

「あの、名前はなんていうの?」


「メル、というよ。君たちは?」


「僕はステン、この子はレズリー」

ステンは質問を返し、よろしく、と右手を差し出した。メルは一瞬驚いたような表情になったが、それは一瞬。すぐに右手に――握手ではなく――手を重ねて来た。

「ああ、よろしく」

そうしてメルは微笑んだ。

この時だけ、痛いほどの寒気を忘れたような気がした。

胸は冬にそぐわなく、胸が高く鼓動している。

(この人は…どこか変わっているな)


「ところで、君たちはなにをしてたんだ?」

上がりそうになる口角を殺しながら質問に答えた。

「僕達は、天文台に行く予定なんだ。」

それを聞いて、少年の表情は変わった。

眉間に皺を寄せて、少し考える素振りをしてから言った。

「それはやめた方がいいんじゃないか?」

2人は思わず顔を見合わせた。

「僕は、星を見たいんです。」

「でも、流石に寝た方がいい。見つかったらえらいことになる。」

メルの反論に返す言葉が見つからない。 ステンは目を伏せた。確かに、夜中に出歩くのは危険だ。視界は暗く。何が起こるか分からない。

でも――

「わたし達は、どうしても行きたいの!」

レズリーは声を張り上げて必死に訴える。


レズリーの言葉が届いたのか、意志に折れたのか、渋々、と言った様子で、分かったと小さく頷いた。

「じゃあ、一緒に行こうか。」


3人は少し傾斜のある林地を歩き出した。

天文台は街のはずれにあった。

道中、一切の、遠吠えも、虫の音も聞こえず、聞こえるのはカンテラの金属音だけだ。

「君たちは一緒に住んでるのか」

沈黙を割って、メルは発言した。ステンはなんだかその言葉に、違和感を覚えたが、それはなんだか不透明で、すぐに見失ってしまった。

「はい、レズリー達は孤児院で暮らしているんです。」

たいへんだな、とメルは頷いた。

前に視線をやると、いつの間にか鉄の扉が目に入った。

「ついたよ」

天文台だ。

ステンは唾をこくりと呑み込むと、鉄の扉をゆっくりと開いた。

中には、――天井から吊り下がった大きな円柱――望遠鏡と部屋の隅に張り付くように小さな机が置かれていた。上を見れば、天井いっぱいにガラスがあり、そこから月明かりが差し込んでいる。まるで、ステージにでも立っているような。

「すごい…初めて見ました」

レズリーは感嘆の声を上げた。

この天文台は、近年できたものだ。この国は、天文学が盛んである。これもまた高名な学者が発明したものだ。

ステンは、巨大な望遠鏡を覗き込んだ。

ガラスが月明かりに反射して光ったが、それは惑星を映すことは無かった。代わりに星のまばらな夜空が映る。

「あれ?」

見えない、と言うステンの代わりにレズリーが代わった。こういう時、活躍するのはいつもレズリーだ

レズリーは、望遠鏡を触ったり、ネジを回したり、はたまた叩いたりもしていたが、それでも無理だったようで「ダメですね…」と言葉を漏らした。


「せっかく来たのに…」

ステンは膝から崩れた。その音を拾って天文台内は無慈悲に反響する。

「そんなに落ち込まなくたって…」

レズリーはそれほど落ち込んでない様子で、ため息をつきながら愚痴を零した。

「だいたいね、こんな夜中に出歩かなくたって行けるんです」 帰りますよそろそろ、と言うと、外した望遠鏡のネジを再び戻した。こんなことして学者に恨まれないだろうか。


ふと、ステンは自身の足が揺れていることに気が付く。否。震えている。


「どうしたんだ?少年」

ステンの震えに気が付いたのか、メルはこちらにやってきた。

ステンはこちらを伺うメルの顔を見て、さらに恐怖が増していくのを感じた。

「大丈夫だ、落ち着いて」

メルはステンの背中をさすった。

ステンは、すうはぁと何度か深呼吸をしてから言った。

「すみません…何故か急に震えが」

メルは少し瞠目してからすぐに、うん、そうかと返事をした。

ステンの冷えた身体と対照的にメルの手は暖かい。

瞼が重く、気付けばステンの意識はそこで途切れた。



再び、天文台内には静寂が訪れた。

すぅと、寝息を立ててステンの胸は上下している。

そんな中、黙って見ていた1人の幼女が喋り出した

「メルさん…一体あなたは…」

レズリーは静かに言った。

その返事にメルは特に驚いた表情は見せなかった。

ただ――


「ただ、呪われてるだけだ」

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