03_眠り姫

カトレアちゃんが事故のショックで目を覚まさないことを知ってから、毎日お見舞いに行っている。


お見舞いと言っても、病室に行って、眠ったままのカトレアちゃんに今日あったことを話す程度。

夏休みの間は、時間がたっぷりあったので、お見舞いも簡単だった。


9月になり、新学期が始まっても、カトレアちゃんは眠ったままだった。

この頃になると、包帯もガーゼも全て取れて、文字通り普通に眠っている少女だった。

点滴を受けていれば意外にもあまり痩せないみたいだ。


肌の艶も悪くない。

髪を拭いたり、身体を拭いたりは、おばさんと看護師さんでやっているそうなので、きれいなままだった。


お見舞い生活が1か月も続くと、段々と慣れてくるもので、少し頬に触れたり、手を握ったり、話しかけたりお見舞いの時にすることはたくさんあった。


ただ、おばさんの疲労がすごいみたいだった。

みるみる痩せて行った。

カトレアちゃんと比べてもどちらが病人かわからないくらいに痩せていた。




週に何回かは、おばさんとも病室で会ったので、少しだけ声をかけていた。



「こんにちは」


「今日も来てくれたのね。玲愛も喜んでいると思うわ」


「いえ、当然です。今日はちょっと顔色がいいですね」


「そうね、さっき顔を拭いたばかりだし、機嫌がいいのかもしれないわね」



そんな、会話を幾度もした。

そのうち、段々と話すこともなくなってきたのだけど、会った時は、俺はとにかくおばさんに話しかけ続けた。




「きみも大変ね」



急に話しかけられた。

振り返ると私服の知らない女の人……いや、看護師の名島さんか。


カトレアちゃんの担当の一人だから、何度もあって、何度も話したことがある。



「仕事終わりですか?」


「うん、そう」



病院入口まで歩いていると、横に並んできた。

普通、看護師さんは従業員出口から出るものだろう。

俺のことを心配してくれているのかもしれない。



「カノジョだけじゃなくて、そのお母さんの心配までしてあげてんの?」


「そんなんじゃないですよ」


「普通、毎日お見舞いなんてできないよ?すごいわね」


「……」


「なにか後ろめたいことでも?」


「!!」


つい、名島さんの方を見てしまった。


「ふーん、やっぱり」


「……」


「でも、安心した」


「え?」


「人間、いい子ちゃん過ぎたら嘘くさいわ。ちょっとくらい後ろめたいことがあった方が、信用できるってものよ」



『ちょっと』ではないので、何と答えていいものか。



「どんな理由にせよ、毎日お見舞いし続けるなんて並大抵じゃない。あなたはそれだけのことをやっているってことよ!自信持ちなさい」


「ありがとう……ございます」



事情は知らないのだろうけど、とにかく、元気づけてくれている。

お礼くらい言っておいても罰は当たらない。






◇◇◇◇◇

お見舞いが終わって家に帰ると、そのまま隣のユリの家に行っていた。


ユリはすっかり元の調子に戻っていたのだが、陸上だけはやめた。

授業が終わると俺と一緒に帰宅する。


俺が毎日カトレアちゃんのお見舞いに行くので、途中で分かれるか、病院の待合室で待っているかの二択だった。




ただ、ユリは絶対にカトレアちゃんの病室にはいかなかった。

それにどんな思いがあるのかはわからない。

そして、聞きにくい。


俺も別にお見舞いに行ってほしいわけじゃないので、何も言わなかった。



そう、ユリには、カトレアちゃんのことを話した。

事故にあって入院して、目を覚まさないこと。


話した上で『共犯関係』となっていた。


この1か月の間に、俺とユリは恋人関係になっていた。

クラスでも話題のカップル。


普通の恋人よりも、もっと心の深いところで結ばれている。

『共犯関係』。


俺とカトレアちゃんが付き合っていることを知っているのに、カトレアちゃんが入院している間に俺と付き合い始めた共犯だ。

別に話してはいないけれど、ユリもなんとなく理解しているみたい。


時々、カトレアちゃんに花を持って行ったりするときは、ユリが選んでくれていた。

カトレアちゃんのおばさんに、センスがいいと褒められたこともあるが、それは、俺ではなく、ユリのセンスだった。



朝はユリの彼氏として、一緒に学校に行き、普通に授業を受ける。

放課後は俺が、カトレアちゃんのカレシになり、彼女のお見舞いに行く。

そして、家に帰るとまた、ユリの彼氏として、彼女の部屋や俺の部屋でイチャイチャして過ごす。


気付けば俺は最低な人間に成り下がっている。

自分でもわかる。

でも、ユリがいなかったら、俺も心が持たなかっただろう。


ユリは俺がカトレアちゃんと付き合い始めた事で、俺なしではいられないことが分かってしまった。

気付かなかった依存関係。

お互いがお互いを必要としている関係でもあった。


ただ、この事は誰にも言えない、秘密の関係。

全く前向きさがない、救われることのない関係が俺とユリの関係だった。





カトレアちゃんのクラスには全く行かなくなった。

クラスメイト達は、彼女が入院したことを担任から知らされたみたいだったが、俺がユリと付き合い始めたのを見て、いい気はしないだろう。


別に直接責められたわけではないけれど、自分の中の罪悪感から、カトレアちゃんのクラスには行けなくなってしまった。


自分のクラスにいられればいい。

ユリが傍にいればいい。


俺の世界は以前より狭くなっていった。





クリスマス、年末年始、正月と俺とユリは恋人らしいイベントを次々楽しんだ。


クリスマスには、ユリと二人で手をつないでイルミネーションを見た。

二人で話し合って、お互いのためのブレスレットを買って、身に着けることにした。

この頃には、ユリと拙いながらもキスをする関係に進展していた。


これまでもチャンスとしてはあったかもしれない。

だけど、お互いの罪悪感から二人の関係は進展しなかった。



ただ、あれから4か月。

少しずつ、感覚はマヒしていた。

カトレアちゃんのお見舞いは相変わらず続けているというのに、それは段々と義務化し、ルーティーン的になって行った。


顔を洗う、歯を磨く、お見舞いをする、そんな感じ。

奇妙な同列。

手抜きなどをする訳ではないけれど、その作業中に頭を使うことはない。

いつもの様に病室に行き、今日あったことを話す。


ユリのことは話さないでいた。

眠っていても、カトレアちゃんには聞こえていると思っているからだ。





年末年始は、お互いの家ぐるみでダラダラ過ごした。

お互いの親たちは自分の子供たちが付き合うようになって嬉しいようだった。


ユリのおじさんは俺に酒を勧めて来たし、ユリが慌てて止めていた。


三が日には初詣を試みたけれど、ニュースで見た人の多さにより、家族のほとんどの心が折れて諦めることになった。

それはそれで我が家らしい正月の姿だと思った。



ただ、俺は、どんな日でもお見舞いを欠かさなかった。

普通の入院患者ならば、食事の時間や検査の時間を避ける必要があるだろう。


ただ、彼女はいつも寝ているのだ。

寝ていても筋肉が固まらないように、リハビリはあるみたいだった。

その時間さえ避ければ、いつお見舞いに行っても会えるのだ。




毎日会うことで、新しい感情が芽生えて来つつあった。

偶然見つけた巣の中の鳥の雛が、いつか飛び立つまで日々見守るような気分。


少し顔色がいいとか、寝息が強めとか、ほんの小さな変化も気づくようになっていた。

眠っている間、夢を見ているのかなと考えていた。

もし、夢を見ているのならば、起きたくなくなるくらい楽しい夢だったらいいのに。


起きないで欲しいわけじゃない。

彼女にも幸せに思える部分があったらいいのにと思ったのだ。




ユリと付き合いつつ、カトレアちゃんのカレシとして病室に毎日来る。

こんないびつな関係も、自分だけの特別な関係であり、世の中の人は何かしらどこかいびつなものだと決めつけていたくらいだった。


つまりは『俺にとっての普通』にしたかったのかもしれない。



このいびつな関係が変わったのは、2月ごろ。

カトレアちゃんが眠り続けて約6か月が経過したころだった。


昼休みの時間に、カトレアちゃんのおかあさんから電話があった。

そこで衝撃的なことを聞かされたのだ。

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