第4話 床板
第4話 床板 1
「あんた、幽霊とか信じる人やったか?」と訊いてきたのは、M工務店に勤める年配の事務員でした。
当時、わたしは臨時雇いで不動産屋の事務作業をしていました。
その人とわたしの間に直接的な面識はなく、一度か二度、不動産屋の社員と話しているのを遠目に見かけた程度でした。
「いえ、信じてはいませんけど」わたしは反射的に答えていました。「幽霊がいてもいいと思っていますし、いるといいなとも思っています」
「なんや、あんた」その人は豪快に笑います。「おもろいな。え? 信じてへんのに、いるとええ思とんの?」
妙な絡まれかたに困惑しつつ、わたしは「まあ」と曖昧に頷きながら話の切り上げ方を考えていました。
わりとよく、そういう奇妙な相談事を持ち込まれることがあったのですが、わたしは平穏に、そういうモノとかかわることなく生きていたかったのです。
そんなわたしの思いなどお構いなしに、その人はどこかの神社の名前を告げました。
「ちょっと見に行ってやってくれんか?」
「え、いやですけど?」
「そう言わんと。神社、知ってるやろ?」
「存じ上げません」
本当に、知らない神社でした。そも京都には──数でいえば滋賀県に劣るとはいえ──寺社仏閣が多いのです。観光地や近所でもないかぎり神社の名前など覚えていられません。
それなのにその人は「まあまあ」と笑い飛ばしました。わたしがしらばっくれていると思ったようでした。
「今はなんでもパソコンで調べたらわかるんやろ? なあ、頼むわ、行ってやってくれや」
「いやですけど?」
「
「知らんがな」と喉元までせり上がった言葉を呑み込みます。かわりに「それ」と温厚な抑揚を意識して応じます。
「舞殿を造るときに、職人さんが木材を素手で触ったせいじゃないですか?」
付着したわずかな皮脂や汗が年月を経て変色することは、よくありました。手形や足形がなまじ赤茶けて浮き出てくるために、何度か「幽霊の仕業ではないか」と相談されたことがあったのです。
けれどその人は「そんならそれでええんや」と端からその可能性に思い至っている様子でした。
「それだけやったら張り替えたら仕舞いやさかい。せやから、張り替えるだけでええんか、あんたに視てきてもらいたいねん」
「……なんで、わたしなんですか?」
「へ?」その人は虚を突かれたように瞬きました。「だってあんた、祓い屋なんやろ?」
「ちげぇよ」と今度こそ遠慮なく唾棄します。「めっちゃ嘘です。騙されてます。まさか、わたしの紹介料とか払わせられてないですよね?」
わたしを祓い屋として紹介するような相手には心当たりがありました。金にがめつい、腐れ縁の友人です。
友人の詐欺に加担してしまったのではないかという危惧は、残念なことに正しかったようです。
その人は「
大した額ではありませんでしたが、紹介料が発生してしまっている以上、拒否することは気が引けました。
何度も「幽霊は視えない」「祓うこともできない」と告げ、とにかく「見るだけ」という条件で、わたしは渋々指定された神社へと向かうことになったのです。
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