カーブミラー 2

 そのカーブミラーは幼稚園の出入り口の左右に立っていました。

 一本のポールに二枚の鏡がついています。一枚は幼稚園から出るときに見るためのもの、もう一枚はL字に曲がった道を往く車のためのもののようでした。

 それが出入りうちの左右にあるのです。

 幼稚園から出るとき、わたしたちが確認するのは道路を映す一枚きりです。幼稚園に入るときに確認するもの、曲がった先の道路を映す一枚きりです。

 四枚あるカーブミラーのうち二枚は、壁を映していました。

 幼稚園へと真っ直ぐに進んでくるときに左手にそびえる、高く白いコンクリート製の壁です。壁の向こうは駐車場になっているようでしたが、道のこちらからは見えません。

 なぜか幼稚園側からも道路側からも、その壁が確認できる角度でカーブミラーが設置されているのです。

「どうして壁を見るの?」

 そう先生にも母にも訊きましたが、「さあ?」と曖昧に──もしくは面倒くさそうに──言葉を濁すだけで理由は教えてもらえませんでした。


 結局、保育園に通っている間にカーブミラーの謎を解くことはかないませんでした。


 壁を映すカーブミラーの理由を悟ったのは、それから十数年も経ってからでした。

 免許証を取得したわたしは、原付バイク・カブで移動するようになっていました。

 アルバイトで夜遅くなったときのことでした。その日はやたらと信号運が悪く、苛立ったわたしは信号のない裏道を往くことにしたのです。

 保育園前のL字路地にさしかかったときのことです。夜間保育も終ったころで保育園の建物は夜に同化するように暗く静まりかえっていました。

 そのとき、視線の先でキラッと光るものがありました。カーブミラーです。

 対向車両が来たのだろう、とわたしは速度を落として道の端に寄ります。

 けれど、なにも来ませんでした。L字の角を覗き込むように確認しても対向車はいません。

 自分のライトが反射したのだろうか、と首を捻りながら、それ以上考えることもなくL字角を曲がって帰宅しました。


 次にそのL字角を通ったのは、昼のことでした。

 幼稚園が賑やかな時間帯だったため、わたしは極力速度を落とし、いつ子供が飛び出して来ても止まれるように気をつけていました。

 幼稚園の出入り口に目をやったとき、カーブミラーが目に入りました。

 子供が走って来ていました。

 わたしはブレーキをかけ、完全に停車します。

 けれど、いくら待っても子供は現れません。子供は鏡の中でずっと駆け足をしています。

 その場で足踏みをしているのだろうか、と思い、わたしはそろりとアクセルを開けました。ゆっくりとL字に侵入します。

 そのとき、気がついたのです。

 ──子供の姿は、壁の中にありました。

 黒いアスファルトに覆われた道路ではなく、白い壁が映る鏡の中で子供が走っているのです。

 あ、と思った瞬間、わたしはアクセルを開けました。加速してL字を曲がりきり、カーブミラーから離れます。

 当たり前のように、角を曲がった先にも子供の姿はありません。幼稚園から子供たちの歓声が寒々しく響いていました。


 見間違えたのかも知れない。

 あとで冷静になると、そう思えました。

 角に置かれたいけず石がカーブミラーに反射して子供のように見えたのかもしれない。なにしろ年少クラスの子供ほどの大きな石です。バイクの振動で走っているように錯覚したのだろう。

 そう自分を納得させます。


 だから幼稚園前の、いけず石が置かれた家が取り壊されると知ったときに、三度通ってみたのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る