第3話 天窓

第3話 天窓 1

 その家のことを思い出したのは、友人が「家を建てた」と報告してきたときです。


「建築学校の学生と一級建築士とにデザインを頼んだ、こだわりの家やねん」と友人は嬉しそうに言いました。

 世界的に感染症が流行し始めて一年半ほど経た時期だったため、オンライン上でのお披露目会を提案してきたのです。

「ホンマやったら家に来てもらって、ホームパーティーしたかったんやけど……」

 友人は残念そうに言いながら、スマートフォンを持って真新しい家を歩き回ります。わたしはパソコンの画面越しに友人の、デザインや間取りだけでなく建材のひとつずつに至るまでのこだわりに耳を傾けます。

 リビング、キッチン、書斎、と進み寝室に入ったときです。

「見てみて」と友人は弾んだ声とともに天井へスマートフォンのカメラを向けました。

 白い天井にぽっかりと四角い穴が空いています。夜空を切り取った、天窓でした。

「家建てるなら絶対つけたかってん」

「え、不便やない?」

「ロマンチックやん」

 わたしの無粋な発言にも、友人は気分を害した様子もなく笑います。

 不意に、その天窓に既視感を覚えました。

 日本の家で天窓を見たのは二度目でした。


 初めて天窓を見たのは、小学校三年生のときでした。

 クラスメイトの男の子の家に、天窓があったのです。もっとも、わたしとその子とは別段友達ではありませんでした。

 どうして友達でもない男の子の家に遊びに行くことになったのか、と問われれば「彼の自慢を聞くために」としか答えようがありません。

 彼はクラスの中でも不思議な存在でした。友達はほとんどおらず、子分めいた子は多く、家がお金持ちで、フィギュアスケートを習い、犬をたくさん飼っている子でした。生徒だけでなく、教師たちもその子に対してはどことなくよそよそしく接していたように思います。

 友達がほとんどいない、という一点において、彼とわたしは同じでした。だから、誘われたのでしょう。

「犬を見せてやる」と言われ、ある日の放課後に彼と待ち合わせをしました。


 彼の家は、南禅寺や蹴上のインクラインが近い住宅地にありました。通りに面していましたが、表通りからは一筋入っているため観光客の姿はほとんどなく、もっぱら地元住民が抜け道として通る程度の静かな地域です。

 そんな立地にあって、その家はひときわ巨大でした。周囲に建つ民家がふたつみっつは簡単に収容できそうな敷地面積があったのです。

 高く白い壁がぐるりを囲み、通りからは中の様子をうかがい知ることができません。二階建て家屋の屋根が辛うじて塀の上に飛び出ている程度です。壁の上にはトゲのついた黒い柵があり、あちこちに監視カメラが設置されていました。鉄製の観音開きの門は電動で、彼が監視カメラに向かって合図をすると開くようになっているようでした。警備室には常に誰かがいて、監視カメラの映像をチェックしているのです。

 一見して、主が堅気の仕事に就いていないことが知れました。

 とはいえ、そこで引き返せるほど、わたしは周囲の空気が読める質ではなかったのです。

 わたしは彼に導かれるまま、ノコノコと鉄の門をくぐります。

 門を入った所は駐車場になっていて、大きなセダンタイプの外車とオフロード用のタイヤを装着したSUVとが縦列に停められていました。

「専用のドライバー雇ってんねんで」と彼は誇らしそうに教えてくれます。

 雇われドライバーはガタイの良い、いやに大口を開けて大きな声で笑う青年でした。

 彼はドライバーを呼びつけると、芝居がかった高圧的な態度であれをしろ、これをしろ、と命じます。自分よりずっと年上でガタイも良い青年が、素直に自分の命令に従うさまをわたしに見せたかったのでしょう。

 けれど残念なことに、わたしはそういう彼の機微が理解できるほど敏い質でもなかったのです。わたしは彼に羨望の眼差しを向けることも、彼を称賛することもせず、ただ「犬は?」と訊きます。

 彼は明らかに不満そうでした。それでも約束をした手前、わたしを自分の部屋に招き入れます。

 彼の部屋は二階の端にありました。

 鍵のついた、フローリングの部屋です。ハイベッドがあり、たくさんの漫画が詰まった大きな本棚があり、部屋の真ん中には三脚にのった天体望遠鏡が立っています。

 当時、古いマンションに暮らしていたわたしには自分の部屋などありませんでした。鍵もない、襖で仕切られた和室に、母とふたりで並んで布団を敷いて寝ていたのです。

 そんなわたしにとって彼の部屋はなにもかもが新鮮に思えたのです。

 溢れんばかりの高価な品──少なくとも当時のわたしにはそう見えました──が詰まった彼の部屋の中で、わたしは少し緊張していたのかもしれません。

 ドライバーの青年がおしゃれな紅茶とクッキーを持ってきてくれました。おしゃれで繊細な造りのティーカップとティーソーサで出されたそれらに、わたしは手をつけることができませんでした。普段から母に「がさつ」だと言われていたために、うっかり汚したり壊したりすることを恐れたのです。

 わたしは紅茶もクッキーも視界から追い出して、バカみたいに「犬は?」と繰り返します。

 結論から言えば、犬は約束通り「見る」ことができました。「見る」ことしかできなかった、とも言えます。

 その家のあちこちを、小さく茶色い犬が駆け回っていました。五匹も六匹もいるのです。彼やドライバーは首輪の色で見分けているようでしたが、わたしにはどれも同じ犬に見えました。

 犬種はチワワだったように思うのですが、定かではありません。なにしろ、どの子も残像なのです。ちっとも止ってくれません。

 大きな家の中にはギャンギャンと犬の鳴き声ばかりが響いていました。

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