天井裏 3
あの家を訪れた翌日、ショートメッセージで「お地蔵さん」についての連絡がありました。
空っぽの祠の中身は、盗難に遭っていたそうです。あの家で「トン、トン」と音がし始める少し前のことだったといいます。
納められていたお地蔵さんは消え、かわりにあの家の玄関にノックの音が響くようになったようでした。
ぱっと思い浮かんだのは笠地蔵の童話でした。
立ち並ぶお地蔵さまに笠を被せてあげた村人のもとに、お地蔵さまがお礼に訪れる話です。
とはいえ、あの家の傍のお地蔵さんは盗まれて、消えているのです。あの家を訪れる道理もありません。
わたしは適当に返事をしたように思います。少なくともどう返信したのかを覚えていません。
結論から言えば、その子からの連絡はそれきり途絶えました。
大学で見かけることもなく、あの家の音についてもお地蔵さんについても、それきりとなりました。
それから何年も経った冬のことです。節分祭のころで、京都のあちこちで交通規制や渋滞が発生していました。
わたしは人出を避けて普段は通らない道を選び、社用車を運転していました。
目的地までの抜け道を走行していたときです。見覚えのある住宅地に入り込んで、あ、と思い出したのです。
ノックの音が響く家の近くでした。
約束の時間まで余裕があったこともあり、何の気なしにハンドルを切りました。
四つ辻の近くに車を停めて、祠を見に行きました。
祠の格子戸は閉ざされ、南京錠で封じられていました。二度と盗難に遭わないように、でしょう。
中には、真っ赤な前掛けをしたお地蔵さんが納められていました。
と、強烈な違和感を覚えます。
なんだろう、と一歩下がって祠の全体を眺めます。格子戸の左右に花が供えられ、真ん中にはお菓子とお茶が置かれています。きちんと管理されたお地蔵さまでした。
そのとき。
「なんですの?」背後から尖った声がしました。「なんや用ですか?」
振り返ると中年の女性が、さも不審そうにわたしを睨んでいます。
「あ、すみません」とわたしはなにに対してかもわからぬ詫びを口にします。「昔、ここのお地蔵さまがいらっしゃらなかったときがあったと思って……」
「あの事件、知ってはりますん?」
「そこに」わたしは、あの家を指します。「住んでいた子と友達で……」
刹那、わたしは違和感の正体に気づきました。
──グラスに入った麦茶が、供えられているのです。
あの家で、暖房の効いた冬のリビングで出された、冷えた麦茶を思い出します。
女性はあの家を振り返って、「ああ」と息を吐きました。
「なんや、あの家の仲間かいな」
「仲間?」
不思議な言葉の選択でした。わたしは「仲間って、どういう意味ですか?」と問い返します。
「あの家、逃げたやないか。お地蔵さんの首持って」
は? と間抜けな声が出ました。「お地蔵さんの首」とは穏やかではありません。
わたしの反応が意外だったのか、女性は少し気の抜けたような顔をします。
「知らんか? あの家、周りに挨拶もせんと急に越してって、家ん中に新聞紙にくるまれたお地蔵さんの、首なしの体だけが残されとってん」
「それは……ここにいらっしゃったお地蔵さまですか?」
「さあ? それはよう知らんけど……首のないお地蔵さんなんて、そう何個もないやろう?」
それはそうなのですが、話がつながりません。
お地蔵さまの体が「首を返してくれ」とあの家を訪れていた。ノックの音を恐れた家族は首を持ってどこかへ逃げ、空っぽになった家には首を取り戻せなかった首なし地蔵だけが転がっている。
というストーリは、ノックの音がしていた理由としては美しく思えます。確かに、あの家でノックの音がし始めたのはお地蔵さまが消えてからでした。
けれど、お地蔵さまはまるごと消えたのです。消えた時点では首も体もそろっていたのです。それなのに、体だけがあの家に残っていたというのは、おかしなことに思えました。
そも、あの子はお地蔵さんが消えた事件を気に掛けてはいませんでした。
あの子のお母さんにしても、お地蔵さまの盗まれた件をあっさりと子供に教えていることから、音と関係があるは考えていなかったのでしょう。
なによりも、お地蔵さまの首だけを持っている理由がわかりません。
結局、納得のいく答えを得られないまま、わたしは女性に礼を言い、四つ辻をあとにしました。
誰が麦茶を供えているのかも、冬に冷えた麦茶をグラスで供える理由も、訊くことができませんでした。
あの辺り独特の風習なのかとも思いましたが、それを確かめる術もありません。
ただ自分の首を取り戻せなかったお地蔵さまが、今どこでどうしているのか、ふと気にかかることがあるのです。
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