天井裏 2

 庭に面したリビングで、その子とわたしはお茶を飲んでいました。庭には松の木が植わっていて、庭石が据えられています。

 大きなソファーに浅く腰をかけ、わたしたちは麦茶をすすります。冷蔵庫から出されたばかりの、キンキンに冷えた麦茶です。注がれたグラスを握る手がかじかみます。

 対照的にエアコンはゴウゴウと熱風を出しています。なんとなく、ちぐはぐな状況でした。

 その子は絶え間なく喋り続けていました。自分のバイト先での出来事、友達のこと、友達のサークル活動のこと、わたしにはなにひとつ関係のない話を延々と話し続けます。

 まるで話が途切れることを恐れているようでした。


 どれほど経ったのか、二杯目の冷えた麦茶が注がれたときです。

 ──トン、トン

 音がしました。はっきりと、よく響く音です。

 ぎくり、とその子が体を強張らせたのがわかりました。

 わたしはといえば、少々意外な思いで廊下を──その先の玄関を、振り返りました。

 ──トン、トン

 再び、音がしました。一度目と同じリズムです。

 ノックのようだ、と思いました。明確な意思を持って二度、叩いたような音なのです。決して足音などではありません。

 わたしはソファーから立ち上がり、玄関に向かいます。その子ははっと顔を上げただけで、リビングから出ようとしませんでした。

 廊下を進んで玄関にたどり着いたとき、また「トン、トン」と音がしました。

 確かに、頭上から聞こえました。

 けれど仰いだ玄関の天井には電灯が張り付いています。つまり、天井板の裏には配線が通る空間があるのです。

 音の通り方や大きさから考えると、叩かれているのはもっと硬く詰まった──木製の扉や分厚い床板など──素材のように思えたのです。

 ──トン、トン

 四度目の音の下で、わたしは床に耳をつけてみます。家電の唸りが聞こえるだけで、動物の気配はありません。

 一度リビングに戻って、わたしはその子に二階へ上がる許可を求めます。

 その子は不安そうな顔で頷くだけで、やっぱりリビングから動こうとはしません。

 階段で二階に上がり、踊り場で床に耳をつけます。やはり動物が入り込んでいるような音はしません。

 なによりも、動物が立てる音にしては規則的すぎるのです。意図的に、誰かが叩いているように一度目の「トン」と二度目の「トン」の間が規則正しく再現されているのです。

 わたしは、どう説明したものか、と悩みながら階段を下り、リビングに戻ります。

「……どうやった?」とその子がソファーから腰を浮かせます。

「うん」考えながら、わたしはソファーに座り直して冷たい麦茶を口に含みます。「動物じゃなさそう」

 その子は失望したようにソファーに身を沈めました。

 そのまましばらく沈黙が流れます。

「あの音、さ」わたしは訊きます。「家族の人も聞いてるん?」

「お母さんが……。お父さんは帰って来ぉへんから知らんけど」

「いつごろから聞こえるようになったん?」

「……先月、かなぁ」いまいち自信がなさそうな抑揚です。

「そのころ、ナンかあった? 家の中じゃなくて近所で。工事が始まったとか引っ越しがあったとか」

 その子は少し考えてから首を振りました。

「なあ、なんとかして」その子は懇願するように身を乗り出します。「気になってしゃぁないねん」

 なんとか、と言われても、原因すらわからないのです。わたしは「うーん」とごまかします。

「道具持ってきて、仕切り直してもええ?」とひとまずの逃げを打ちます。

 ぱっとその子が顔を上げました。先ほどまでの不安そうな表情はどこへやら、期待に満ちた笑みが広がっています。おそらく「道具」という言葉が「それっぽく」聞こえたのでしょう。

 その子は大きな声で「うん」と返事をして、立ち上がりました。早々にわたしを追い帰せば、その分早くわたしが道具を持って再訪してくれると思い込んでいる様子でした。

 三限から授業を入れていたわたしも居座るつもりは毛頭ありません。素直に立ち上がり廊下を進んで玄関に出ました。門扉を開けて、バイクを押して塀の外へと出ます。

「じゃあ、また日程連絡するわ」

 どちらからともなくそう言ってヘルメットを被ろうとしたときです。

 すぐそこの四つ辻が目に入りました。角に埋まるように小さな祠があります。

 なんどなく違和感を覚えました。数秒凝視して、違和感の正体に気づきます。

 祠の中が、空っぽなのです。

「あれ」わたしは祠を顔で示します。「いつから空なん?」

「え?」とその子は初めて気がついたようでした。「さあ?」と首を捻って「お母さんに訊いとく」と言います。

 それ以上詳しく問い詰めることもできず、わたしはヘルメットを被ってその家をあとにしました。


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