不動産奇譚・京都編 第二部

藍内 友紀

第1話 天井裏

第1話 天井裏 1

「天井から音がするんよ」と相談されたのは、冬の半ばのころでした。授業が終った教室でのことです。

 相手は大学の知人で、ふたつみっつ授業が被っている他に接点はありませんでした。

 わたしは鞄に筆記用具をしまいかけた姿勢のまま「はあ……」と間抜けな返事をしたように記憶しています。

 けれどその子はわたしの鈍い反応など気にせず「ちょっと見に来てくれん?」と続けます。

「え、なんで?」とわたしは至極まっとうに問います。

「え、だって」とその子は不思議そうに瞬きます。「視えるんやろ?」

「いや、視えんよ。ていうか、その話、誰からきいたの?」

 その子はわたしの知らない誰かの名前を答えました。その子の友達で、運動サークルに所属している誰かのようでした。もちろん、わたしとは面識もありません。

 他の誰かと間違えているのではないか、と何度も確認しましたが、その子は「間違えてない」と言い張ります。

 結局、押し切られるようにしてその子の家に行くことになりました。


 よく晴れた冬の朝でした。一限いちげんの授業──京都では、一時間目の授業のことを一限目と呼ぶ人が多いようです──が行われている時間帯に、わたしはその子の家を訪れました。

 てっきりひとり暮らしをしているのだろう、と思い込んでいたのですが、その子に指定されたのは一軒家でした。

 賀茂川の西にある住宅街の一角です。白い塀に囲まれた古い家々が整然と並んでいます。わたしは乗ってきたバイクを塀に沿わせて停めました。ヘルメットを手にインターフォンを押します。

 顔を出したその子は、わたしが持つヘルメットを見ると、門扉を開けてバイクを塀の中に入れるように促してくれます。

「実家通いなん?」とわたしは訊きます。

「うん」その子は大学での明るさをどこかへ忘れてきたように陰鬱とした顔で答えました。「ひとり暮らししたかったんやけど、アカンて言われたし……」

 ふうん、と曖昧に相槌を打って、わたしは家に入りました。

 広い玄関でした。三和土には飾り石が埋め込まれています。上がり框にはピンク色のスリッパが用意されていました。硬い生地がヒヤッと足先を冷やします。

 スリッパを履いたものの、その子は玄関から動こうとしませんでした。

 ぼんやりと天井を仰いでいます。

「あ、音ってここ?」

 天井を指したわたしを見ることもなく、その子は天井を仰いだままです。電灯が白々しく天井に張り付いています。

「どんな音?」

「トントンって……」

「ネズミとかイタチとかの可能性は?」

「もっと大きいんよ」

「じゃあハクビシンとかアライグマかな?」

「ううん、もっと大きくて……」

 ハクビシンやアライグマならば「トントン」という足音よりも「カリカリ」という爪の音が耳につくはずだ、と思ったのですが、わたしは「ふうん」と答えます。

 そのままふたりして天井を仰いでいたのですが、音は聞こえませんでした。

 しばらくして体が冷えてきたころ、その子が「あ」と我に返ったようでした。

「お茶、お茶煎れるわ。ごめんな、気ぃつかんで」

 大学で強引に話しかけてきたときの、その子でした。まるでスイッチが入ったように、ぱっと破顔します。

 その豹変ぶりに戸惑いながら、わたしはその子の後に続いて廊下を進みます。静まりかえった家に、その子とわたしの足音だけがパタパタと響きました。




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