永遠に繋がる大きな一歩

「はい、あ~ん♪」

「……あむ」


 風邪を引いてしまって学校を休んだわけだが、本当に円華さんはずっと一緒に居てくれたようだった。眠ってしまってから昼に目が覚めた時、円華さんがテーブルに参考書を開いて勉強をしている姿に、俺は傍に居てくれたんだなと安心した。


 ……まあそれで起きたのが昼ということでお腹が空いていたのもあって、こうして円華さんが作ってくれたお弁当をあ~んしてもらい食べているというわけだ。


「円華さん」

「なあに?」

「……俺、今日休んで良かったです」

「あらぁ、イケない子ね千夏君は。でも私も同じ、休んで良かったわ♪」


 もうね、熱のせいかもしれないけど頭がフワフワしてるんだ。まだ少し体は怠いが調子は確実に良くなっている。ぶり返したりしなければいいが、まあ比較的軽めの風邪だったのかもしれないので幸いだ。


「なんだか千夏君が小さな子供みたいね。とっても可愛い」

「……その……一応理由がありまして」

「理由?」


 俺は頷いた。


「……円華さんを前にすると甘えたくなるっていうか、自分でも良く分からないんですけどそんな感じで」


 次から次へと言葉が出てくる。

 相手は俺よりも年上で包容力があり、とても優しくてこんな風に面倒まで見てくれる素敵な女性だ。こんな風にご飯を食べさせられたら弱っている体だと尚更彼女に甘えてしまう。


 俺の言葉を聞いた円華さんはニコッと笑ってこんなことを口にした。


「良いのよ、もっと甘えてちょうだい。どんなことでも応えるから」

「……っ」


 なんてことを耳元で言われれば当然体温が上がってくる。俺がサッと円華さんから視線を逸らすと、円華さんも分かっているのか少し離れてくれた。


「良い傾向ね……うんうん」

「円華さん?」

「何でもないわ。ねえ千夏君、ご飯を食べたらまた少し眠りましょう。顔色はとても良くなってきたけど完璧に治すためにもね」

「分かりました」


 よし、すぐに体調を戻して円華さんを安心させてあげたい。

 俺は改めてお弁当を作ってくれたことのお礼を言ってベッドに横になった。すると円華さんが近くに腰を下ろし、よしよしと額に手を当てて撫でてきた。


「……こうして千夏君の面倒を見るのは好きだわ。ねえ千夏君、私が居てくれて嬉しいって思ってくれる?」

「当たり前じゃないですか。というか、逆に少し申し訳なさもありますけど」

「うふふ♪ そう……まあでも私が望んだことだから本当に気にしないでね」

「はい」


 良い子良い子と、更に頭を撫でられた。

 ……何だろうな、まるで童心に帰った気分にさせられる。目の前の女性に思いっきり甘えても良いんだぞと心の奥底で何かが囁いてくる。当然そうしたいのは山々だけど、さっきも言ったように円華さんが大学を休んだことに対する申し訳なさもあのだから。


「千夏君の部屋は合鍵とかあるの?」

「ありますよ」

「……これは提案なんだけど」


 提案? 俺は円華さんの言葉を待った。


「今日みたいなことがあった時、わざわざ千夏君が玄関まで出てこなくていいように私に合鍵を預けてくれない? もちろんこんなことがそうそう滅多にあるとは思わないけれど、もし良かったら……どう?」

「なるほど……」


 ……正直、全然躊躇いはなかった。

 円華さんに合鍵を預けるという響きに素直に興奮してしまった。少し信用しすぎかと思ったけど、こんな優しい人を信用しないわけがない。俺は頷いてタンスの引き出しに向かって指を向けた。


「そこに入ってますよ」

「……っ!!」


 教えるということはつまり預けることの了承でもある。円華さんがブルっと体を震わせたが、俺は特にそれを気にすることはなかった。背中を向けてタンスの引き出しに向かった円華さんはすぐに鍵を見つけることが出来たようだ。


「これね。最後の確認、本当に良いの?」

「良いですよ。その……あはは、なんか嬉しいな」


 小さく笑いながらそう言うと、円華さんが下を向いたまま近づいてきた。

 髪の毛がだらんと下がって目が見えないので少し怖いものの、醸し出される雰囲気のようなものは温かいものがあってそこまでだったが。


「大切にするわね。ありがとう千夏君」

「……いえ、その……どうかしましたか?」

「ううん、何でもないわ」


 顔を上げた円華さんはいつも通りの優しい笑みを浮かべていた。

 それからしばらく色々なことを話し、俺は円華さんにまた頭を撫でられながら眠くなってきたので瞼を閉じた。


 俺が完全に眠るまで、円華さんはずっと傍に居てくれるのだった。





「……あぁ♪ 千夏君が私を受け入れてくれた……私を♪」


 眠ってしまった千夏を決して起こさないように、けれども体から溢れ出す幸せを隠し切れない様子で円華は呟いた。

 千夏から受け取った合鍵を眺め、円華は恍惚の表情を浮かべる。千夏の部屋にいつでも立ち入ることが出来る許可をもらった、それは円華にとって今までの人生で感じたことがないほどに嬉しさを齎した。


「千夏君♪ 千夏君千夏君千夏君……あぁ素敵、なんでこうして名前を呟くだけで胸が高鳴るのかしら。幸せになるのかしら……そんなの決まってる。千夏君だから」


 そう、千夏だからこそ嬉しいのだと円華は実感した。

 今日も千夏の為にお弁当を作って外で待っていたのだが、全然出てこないことに違和感は感じていた。そうして風邪を引いた様子の千夏を見て円華は瞬時に行動に移した。


 千夏に尽くしたいと考える彼女にとって、風邪を引いてしまった千夏の面倒を見るというのは当然だった。最初は大学を休んで一日面倒を見るつもりだったが、流石にそれは押し付けがましいかと思っていた……しかし、千夏が見せた寂しそうな瞳にその考えは一瞬で崩れ去ったのだ。


「千夏君、早く元気になってね? こんな風に弱っている千夏君もそれはそれで良いけれど、やっぱり元気な姿が大好きだわ」


 規則正しく寝息を立てる彼の姿が愛おしくてたまらない……そして、円華は千夏から受け取った鍵をジッと見た。ジッと見ていたはずだったのだが、気が付けばどうしてか鍵がヌルヌルとした液体に包まれていたことに円華は苦笑した。

 この受け取った鍵は絶対に手放さない、そんな意味も込めて一旦円華はその合鍵を胸の谷間に忍ばせた。


「千夏君、私の方もあなたに合鍵を渡すわね。これでお互いに本当の意味で一緒、どこまでも一緒になる第一歩よ♪」


 千夏に合鍵をもらうだけでなく、円華の方もお返しに合鍵を渡すのは当然だ。もちろん好き勝手に行き来するわけではないが合鍵を持っているか持っていないか、その違いはあまりにも大きいのだ。


「それにしても……」


 今居るのは千夏の部屋、つまり千夏の香りが充満している場所だ。

 実を言えば円華はずっと参考書と睨めっこするフリをしながら、股をモジモジとさせていた。自分の意志とは裏腹に体が千夏を求めてしまう、それをどうにか抑え込むためにジッとしていたに過ぎない。


「素敵……素敵ぃ」


 眠る千夏の横に腰を下ろし、甘い声音で囁きながら自らの体に触れるととても熱くそれは決して風邪が移ったわけではなく、単純に彼女が興奮している証拠だった。


「……う~ん……すぅ」


 少しだけ声が出てしまったのか、千夏が身を捩った。起きてないことを改めて確認し、円華が再び千夏の寝顔を眺めようとしたその時だった。ピンポンと、来客を知らせる音が聞こえた。


「……? ……すぅ」

「……ふぅ。誰かしら」


 せっかく気持ちよく眠っているのに起こすのはかわいそうだ。円華は完全に千夏と同棲していると思い込んだ様子で玄関に向かった。千夏のパートナーとして、彼を見守る一人の女として、そんな思い込みの果ての行動だ。


「……寝てるのかなぁ」

「かもな。調子良くなってゲームしてるかもしんねえけど」

「あはは、それもありそうだねぇ」


 どうやら玄関の向こうに居るのは二人、おそらくは千夏の友人ではないかと円華は考えた。このまま出ない手もあるが、流石に見舞いに来た千夏の友人をそのまま追い返すのもあれかと考え、円華は扉を開けるのだった。


「あ、なっちゃ……?」

「……誰?」


 まあ当然、二人の困惑した反応は当たり前だった。

 こうして千夏が出来れば会わせたくなかった両者が出会うことになった。

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