逃がさないために出来ること

「あ、おはよう千夏君♪」

「のわああああっ!?」


 学校に行くために玄関を開けてすぐに映り込んだ円華さんの姿に俺は盛大に驚いてしまった。まさか扉を開けてすぐそこに居るとは思わなかったからだ。驚いた俺とは違い、円華さんはこてんと首を傾げていた。


「……えっと、おはようございます」

「うんおはよう♪」


 あ、凄い綺麗な笑顔だ……ってそうじゃなくて!

 制服の俺と違って円華さんは大学生なので私服だけど、その手には昨日と同じように俺に渡してくれたお弁当があった。


「はい、お弁当よ」

「……あ、今日も良いんですか?」

「うん♪ お昼に食べてね?」

「っ……はい!」


 まさか昨日に続いてまたお弁当を作ってくれるなんてこんな幸せなことがあっていいんだろうか、俺は感動に打ち震えるように円華さんから弁当を受け取った。


「っ……あぁ♪」

「円華さん?」


 弁当を受け取った瞬間、何か円華さんから凄まじく甘い声が聞こえた。どうしたのかと思って目を向けると彼女は頬に手を当てて……何というか、とっても色っぽい目で俺を見つめていた。


 首を傾げる俺に気付いたのか円華さんはクスッと笑った。


「ごめんなさい。凄く嬉しそうにお弁当を受け取ってくれたから」

「だってめっちゃ美味しいんですもん。たぶん母さんもここまで美味い弁当は作れないと思います」

「それはお母さまに悪いわよ。でも昨日に続いてまた感想を聞かせてね? 千夏君の好みを把握しないとだから♪」


 好みを把握……ええい、変な想像をするな千夏。

 それから途中まで一緒に行こうという話になった。高校生と大学生なので当然通う学校は違うので途中までしか一緒には居られない。それでも、こうやって朝の風景を円華さんと一緒に居られるのは嬉しかった。


「それじゃあここでお別れね」

「……はい」

「ふふ、寂しそうにしないで?」

「そんな顔してました?」


 顔には出てないと思ったのだが出てしまっていたらしい。円華さんからすれば俺はやっぱり弟みたいな感じなのかな。あぁいや、そこまで考えるのも少し図々しいのかもしれないけど。


「あ、そうだわ。大事なことを忘れてたわね」

「え?」


 そう言って円華さんはスマホを取り出した。


「連絡先、交換しましょう? というかどうしてお母さまの方を先に知ってるのかしらね私ったら」

「あ……あはは、そうですね」


 確かにどうして母さんを先に教えて俺のを教えてなかったんだろう。俺たちは互いに笑い合い連絡先を交換した。新たに加わった佐伯円華という名前に、どうしようもないほどの嬉しさが胸に溢れた。


「……っ……可愛い……可愛い可愛い可愛い♪」

「円華さん? 本当に大丈夫ですか……?」


 さっきからブツブツ呟いてるのでそう聞くと、円華さんは大丈夫と言ってスマホを仕舞った。


「それじゃあ最後にお約束をしましょう?」

「お約束?」


 それは一体、俺が聞く前に目の前におっぱいが襲い掛かって来た。

 俺の方が背が高いのだが、円華さんが頭の後ろに腕を回して胸元に抱き寄せるので必然とそこに顔を埋める形になる。


「今日も一日頑張ってね♪」

「……ふぁい」

「あん♪ だからそこで喋るとくすぐったいわよぉ」


 最近の運を全てこの為だけに使っていると、そう思ってもおかしくはなかった。






「それじゃあまた夕方に」

「はい! 行ってきます」

「行ってらっしゃい♪」


 意気揚々と高校に向かう千夏の背中を円華は見送った。その背中が見えなくなったところで彼女は小さく息を吸い、そして悩まし気に吐息を零した。


「……はぁ♪ どうしてあんなに可愛いのかしら。もっともっとそんな姿を見せてほしい、もっともっと私に甘えてほしいのよ千夏君」


 お弁当を渡した時の笑顔、連絡先を交換した時の笑顔、そして抱きしめた時の反応から大よそ千夏が円華に対して好意を抱いていることは分かっていた。別に揶揄うつもりもないし意地の悪いことをするつもりもない、だが円華はしっかりと千夏を落とす算段を立てることは出来たのだ。


「お母さまにも約束したし、千夏君にもっと夢中になってもらわないと♪ ふふ、本当にここまで一人の男性を愛するなんて思わなかったわね。ねえ千夏君、恥ずかしがらずに求めてくれてもいいのよ? 私はどんな要求だって受け入れるから」


 既に千夏の背は見えなくなっているので円華も大学に向かうために足を進める。

 いつもと変わらない道を進む中、円華の脳内は千夏のことで埋め尽くされていた。怪我をしたりして千夏に心配を掛けないように細心の注意を払いながらも、考えることは絶対に口に出せない妄想だった。


『円華さん……俺!』


 恥ずかしそうに求めてくる姿も良い。


『円華、俺と――』


 同年代のように自信を持って求めてくれるのも素敵な姿だった。自分よりも年下の男の子だからこそ可愛がりたい、溶かしてあげたい、円華自身の色に染まってほしいとさえ思うし、何ならその逆だって望むところだ。


「千夏君♪」


 千夏の名前を口ずさむだけで心が躍り、彼のことを思うと体を甘い電気が走り抜けた。心がすり減っていたことで抑圧されていた女がこれでもかと表に出ようと円華の中で暴れている。

 それを呼び覚ましたのは間違いなく千夏であり、彼との出会いが円華を本当の意味で目覚めさせた。


「……ごめんね千夏君、あなたという存在が居るのに一人で死ぬことを考えてしまって。でももう大丈夫だからね? この世界にはあなたが居る……私の生きる理由はそこにあるわ」


 千夏にとっては気になる女性の円華に死んでほしくなかった、だからこそ部屋の中に飛び込んででも止めたかった。そんな好意の元動いた結果だが、その結果がこの円華を生み出した。


 彼の円華を想う気持ちが本当の彼女を呼び起こしたのだ。

 誰かを本気で想うその心は円華を一層美しくし、更に魅力溢れる女性へと変化させていく。そのことに本人は気づかないが、周りは意識せずともそんな円華に目を向ける程度には大きな変化だった。


「あ、円華!」


 大学の敷地内に入ると、同じ時間に来ていた友人と出会った。

 彼女は円華にとって大切な友人で、どんな時も円華を励ましてくれた親友だった。一緒に歩いていると見たくない二人組を見てしまったが、それでも円華は全く表情を変えなかった。


「ねえ円華、本当に気にしてないみたいね?」

「えぇ。本当にどうでもいいの」


 遠目から睨んでくるだけの人間に興味なんてない、というよりも話しかけられたとしても無視は……出来ないかもしれないが、それでも居ないモノとして扱うくらいには既に無関心だった。


「うんうん。もしかして何か素敵な出会いでもあったの?」

「分かる?」

「分かるってば! ねえねえ、詳しく教えてよ!」


 千夏のことは自分の中にだけ閉じ込めていたい、けれど大切な親友だから少しは話をしてもいいかなと円華は頷いた。


 しかし当然、こうして親友と話をする中でも彼女の頭の中には千夏だけ。もう既に彼女は千夏から離れられず、そして千夏が離れていくことも許せない。あくまで強制でも束縛でもなく、彼が自然と円華のことしか考えられなくなるようにする……そうなればとても素敵なことだと、円華は笑みを深めるのだった。


「……なんか円華、ちょっとエッチな笑いだったわよ?」

「何よエッチな笑いって」


 千夏との妄想は常にエッチだが、なんてことは当然口にすることはなかった。

 さて、そんな風に親友と歩いている中円華のスマホが震えた。


「……あ♪」


 画面を見た瞬間、円華は花の咲いたような笑みを浮かべた。

 届いたメッセージは千夏からのモノで、大学の方頑張ってくださいというありきたりのモノだった。


「千夏君のことを考えている時にメッセージをくれるなんて……ふふ、やっぱり私たちは魂単位で繋がってるのよ♪」


 そう確信を持って千夏は呟いた。

 ちなみに、彼女の親友はそんな円華の様子を見て本当に驚いていた。それだけ見たことがないほどに幸せそうで、同時に凄まじいほどの色気を感じたからだ。

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