ダメにされてしまいそうになる

「……っ!?」

「あら、起きた?」


 目の前の丸い物体から声が聞こえた。優しく頭を撫でる感触と共に、ここはどこなんだとまずそんな言葉が脳内に浮かんだ。

 妙にハッキリしない頭で考えた後、俺は目の前の丸いそれに手を添えた。


「あ……♪」

「??」


 何だ今の甘い声は……というかこの柔らかいモノの感触がとても素晴らしい。手触りの良い生地の上から伝わってくるとんでもない弾力、それを触っていると俺はようやく全てを思い出した。


「……ってまさか――」


 その瞬間サーっと血の気が引く感覚があった。

 俺はすぐにそこから起き上がり土下座をするように頭を下ろした。


「ごめんなさい!!」


 ……もうね、寝ぼけるにしてももう少し何かあるだろうと俺は自分を責めた。さっき俺がボーっとしながら触っていたのは円華さんの豊満な柔肉、つまりおっぱいだったということだ。


「……………」


 取り合えず、円華さんからの罵倒くらいは覚悟の上だった。これでもしもう来ないでなんて言われたら俺の方が死にそうだけど……しかし、そんな俺の不安は全くの杞憂だった。


「顔を上げて千夏君、何も怒ってないわ」

「……本当ですか?」

「えぇ本当よ」


 顔を上げると円華さんは笑顔で俺を見下ろしていた。

 全く怒った様子が見られなかったことに俺は安心したが、それでも許されないことをしてしまった自覚はある。俺の表情から考えていることを察したのか、円華さんはクスッと笑っておいでと手を広げた……うん?


「……円華さん?」

「おいで、千夏君」

「あの~……?」

「おいで♪」

「……はい」


 おいでと言われれば行くしかあるまい……俺は意を決すように円華さんの呼びかけに応えた。とはいえゆっくりと傍に近づき、隣に腰を下ろすまでは行ったがそれ以降は度胸のない俺には何も出来ない。


 しかし、円華さんはそんな俺をギュッと抱きしめるのだった。


「ほら、こうしたかったんでしょ?」

「……………」


 ……俺は近々死ぬんじゃなかろうか、そんなことを良くここ数日良く思う。

 気になる女性の胸に抱かれて死ぬのは本望……いやいや、流石に嫌だけどこの感覚は本当に天国に居るような気分になれる。


「……円華さんは」

「きゃっ」

「円華さん!?」

「胸元で喋ったらくすぐったいわ。千夏君の吐息がダイレクトに伝わるから」

「……ごめんなさい」

「ふふ♪」


 もう何を喋ってもダメな気がするのでこのままで居よう。

 しかし……こうやってジッとしているとまた眠たくなってきた。何というか、高級という言葉では言い表せない枕に頬を預けているようで、それでいて香りも良くて気分がフワフワしているせいだ。


「……円華さん、そろそろ俺帰らないと」

「そう……泊まっていかない?」

「泊まる!?」


 気づけば時間もかなり遅かったので帰ろうと思ったら円華さんから信じられない提案をされてしまった。流石に冗談かと思ったが円華さんの表情はいたって真剣なのもあるし何より……寂しそうに瞳が揺れている気がした。


「……なんてね。我儘はこれくらいにしておきましょう。今日は千夏君とお夕飯を食べれたし満足したもの」

「あ……俺も嬉しかったです。凄く美味しくて楽しかったですよ」

「それなら良かったわ」


 円華さんと食べるすき焼きは本当に美味しかったし、何より彼女と一緒に居る時間は楽しかった。というかどうして俺は気づけば円華さんに膝枕されていたのかだけが疑問だが……気にしない方が良いのかもしれない。


「ねえ千夏君」

「なんですか?」

「また一緒にご飯を食べましょう? お互いに一人で食べるより寂しくないから良いと思うのだけど」


 その提案に俺はすぐに頷きそうになったが、ここまで甘えていいのかとも思ってしまった。どう返事を返そうか、悩む俺に円華さんが優しく囁いてきた。


「私はとことん千夏君に甘えてほしいわ。これでも千夏君より三つは年上だし……まあそれだけしか違わないから大人の包容力なんてものはないけれど、それでも千夏君にはお礼も含めて色々と尽くしたいのよ」

「尽くすって……」

「ご主人様♪ 円華のご奉仕は不要ですか?」


 ご主人様、唐突にそう言われて俺は固まってしまった。

 円華さんは命令を待つメイドのように澄ました表情をしながらも、やっぱり俺の様子を見て面白かったのかクスクスと笑っていた。俺はフリーズしていた体を無理やり動かすように頭を振って邪な感情を追い出した。


 相変わらず頬が熱い俺だったが、円華さんはそんな俺の手を握りしめた。


「私と千夏君の部屋は隣同士、だからいつでも頼っていいんだからね? 何か悲しいことがあれば受け止めてあげる。嬉しいことがあったら一緒に私も喜びたい、元気が欲しかったら私が注入してあげる……こうやってね♪」


 そしてまた円華さんは俺を抱きしめた。

 当然恥ずかしさが最初にやってくるが、すぐにそれを払い除けるほどの安心感が襲い掛かってくる。安心が襲ってくるというのは矛盾しているが、本当にそんな感覚なのだ。


「……円華さんは優しいですね」

「そう? そう思ってくれるなら嬉しい」


 思わずこの温もりに全てを投げ出したい、身を任せたいと思わせるような魔性の何かを感じてしまう。怖くはある……でも、嫌ではないのが不思議だった。


 しばらくそのままだったが、いい加減に帰らないといけないので俺は円華さんから何とか離れることが出来た。これ以上円華さんに抱きしめられていると本当にダメにされてしまいそうで……なるほど、これが男をダメにする女性ってやつなのかもしれない。


「あ、そうだわ」

「どうしました?」


 靴に履き替えた俺に円華さんはこんなことを聞いてきた。


「千夏君は学校で親しい女の子は居るの?」

「親しい女の子……」


 俺の頭に浮かんだのは白雪だけど……。


「ちょっと女の子の匂いがしたのよ。仲が良いのね?」

「匂い?」


 匂いってなんだ……円華さんは気にしないでと笑ったがかなり気になるんだが。

 そんな言葉を最後に学校での話題は終了し、俺は円華さんの部屋から出た。そのまま自分の部屋に戻り、俺はどうしようもない気持ちを抑えるようにマットに顔を埋めた。


「……くぅ!! なんて良い日なんだ!!」


 円華さんと夕飯を食べただけでなく、膝枕もしてもらうなんて思わなかった。その後に抱きしめられたのも……すぐにその感触を思い出してしまえるほどに記憶に刻まれていた。


 しかし、そんな幸福な記憶とは別にやっぱり円華さんが叩かれてしまったことに怒りが込み上げてくる。


「……あんな優しい人を困らせるなんて何を考えてるんだ」


 世界には色んな考えの人が居ることは理解している。それでも元カレと今カノさんの気持ちだけは理解できなかった。もしも傍に居たら俺が守るのに……なんて生意気なことを考えてしまうが、実際に傍に円華さんが居たら俺は彼女を守りたい。


「……って何彼氏面してんだよそんなんじゃないんだきっと」


 円華さんがあんなにも俺に良くしてくれるのはあの出来事があったからだろう。円華さんの心をある程度救えたというのは本当みたいだが、さらに言えば俺が高校生の子供っていうのもあるはずだ。


「……あんな人と付き合いたいなぁ」


 あんな素敵な人が彼女だったらきっと毎日が幸せで溢れるのに……そんなことを俺は憧れの女性である円華さんを想いながら考えるのだった。ただ……そこまでは全然良かったけど、その後に考えたことに俺は少しゾッとした。


「……あの人に全部寄り掛かって……はっ!?」


 そう、円華さんに溺れたいなんてことを考えてしまったのだ。何も考えなくていいからただ円華さんの傍に、彼女に甘えたいなんてことを俺は……。


「……いかんいかん」


 完全にダメ人間になりかけた思考に俺はストップを掛けた。

 ある意味、円華さんの傍に居たらダメにされてしまいそうという予感は当たってるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る