愛の地雷原でタップダンスを踊る

「……あぁ幸せだ」


 学校に着いて早々、千夏は鞄を大切そうに抱えながらそう呟いた。

 中身はまだ見ていないが、円華から受け取ったお弁当がそこにはある。お弁当を作ってもらったのは母親以来ということで、本当に中身が気になって仕方ない。


「……おっと、あまりニヤニヤしてると変な風に見られそうだ」


 今居る場所は教室であり生徒たちが集まっている。だからこそ一人でニヤニヤしていたら変な目で見られてしまうため、千夏は何とか表情を引き締めた。しかしすぐに円華のことを思い出すと頬が緩んでくる。


 そんな風に千夏が緩む頬と戦っている時、とある二人が教室に入って来た。その男女は友人たちに挨拶をしながら机に鞄を置き、そのまま当然のように千夏の元へ歩いてくる。


「おっす千夏」

「おはようなっちゃん!」


 二人ともとても容姿が整った男女だった。

 彼らはあの運命だった昨日、自殺しようとした円華に出会う前に一緒に遊んだカップルの友人たちだ。


 男子の方は長身が目立ち顔立ちがとても整っているイケメンで名前は浅草あさくさ涼真りょうま、女子の方は少し胸が小さいことをコンプレックスだと言っているこれまた美少女で名前は水瀬みなせ白雪しらゆきだ。


「なんか嬉しそうにしてたな?」

「そうだねぇ。ねえ、何かあったの?」


 二人にそう聞かれ千夏はどう答えようか迷ったが、そんな千夏の様子に二人はあまり聞かない方が良いのかなと察したのかそれまでだった。良く絡むからこそお互いにどこまで踏み込んでいいのかのラインが分かっているからこそだ。


「悪いな。まあ何かあったわけだけど……それくらいかな」

「ふ~ん」

「そっか」


 だからこの話もこれでお終いだ。

 話を変えるわけでもないが、白雪に目を向けた千夏は少し唇を尖らせて口を開いた。


「なあ白雪、いい加減なっちゃんっての止めない?」

「えぇ~なんでぇ?」

「……くくっ」


 千夏の言葉に白雪は素直な疑問を口にし、思い当たる節のある涼真は口元に手を当てて笑っていた。さて、どうして千夏がこんなことを口にしたのか……それはある意味昔から続く彼のコンプレックスでもあった。


「なんか女の子みたいじゃん」

「可愛いじゃん♪」

「……ぐぅ」


 そう、千夏という名前はどちらかと言えば女の子みたいな名前だ。大切な両親から受け取ったモノだから嫌いとまでは言わないが、この名前のせいで中学生の頃に少し弄られたことがあるため気になっていた。


「可愛いと思うんだけどなぁ……涼真もそう思うよね?」

「そうだな」

「……こいつらめ」


 まあこのやり取りも既に何回目かも分からない。

 白雪とこうやって親しくなってからずっと変わらない呼び方だ。どうにも気に入っているのか事あるごとになっちゃんなっちゃんと呼んで近づいてくる。


「……?」

「……どうした?」


 ジッと見つめてきた白雪に千夏がそう返すと、白雪はううんと首を振った。


「何でもないよ。ねえなっちゃん、何か困ったことがあったら頼ってね? 私も涼真も力になるからさ」

「……あぁ。分かった」


 少しだけおかしな雰囲気だったが、特に何もなさそうに首を振った白雪に千夏は首を傾げた。さて、そんな風に友人たちとのやり取りを楽しんで朝礼が始まり、時間は過ぎて昼休みになった。


「お昼だぞなっちゃん!」

「腹減ったぜ~」

「だよなぁ! 早速食べようぜ!」

「……なっちゃん?」

「……どうした?」


 早くお弁当を食べたくて待ちきれない、そんな様子の千夏に二人が首を目を丸くしたがそんなものを気にしている暇はない。いつものように机を合わせたところで、千夏はいよいよそのお弁当の蓋を開けた。


「……おぉ♪」

「うっわ、なにこれ」

「美味そうじゃん。お前が作った……わけないよなぁ」


 二人の声は耳に入らなかった。

 中身は普通のおにぎりとおかずの詰め合わせ、全く持って普通のお弁当だ。だが丁寧に作られたことが良く分かり、栄養も良く考えれた中身だった。ただのお弁当だがされどお弁当、美味しいから早く食べてと語りかけてくるような気さえしてくる。


「……いただきます」


 これが円華の作ってくれたお弁当かと、半ば感動していた千夏はゆっくりと箸を手に取った。まずは卵焼きから口に運び……そして、絶妙なまでの甘さが広がった。


「……うめぇ♪」

「なっちゃん、これ誰が作ったの?」

「うめえよぉ……はむ……あぁ♪」

「なっちゃん……ねえなっちゃんってば」


 もはや外野の声は何も入ってこなかった。

 ただただ円華の作ってくれたお弁当が美味しいのだ。卵焼き、唐揚げ、ウインナーとお弁当の具としては代表たる物たち……それがとにかく美味しかった。


「涼真ぁ! なっちゃんが無視するだあああああ!!」

「おぉよしよし」


 ついに白雪が涼真に泣きついた。しかしそれでも一切千夏は気にする様子はなく最後まで食べ切った。


「……ふぅ、ご馳走様でした」


 最後の水筒に入ったお茶を喉に流し込み、満足した様子で満面の笑みを浮かべて千夏は手を合わせた。そしてやっと、涙目の白雪に気付いて声を掛けた。


「どうした?」

「……なっちゃんなんて嫌い!!」

「なんで!?」

「ぷふっ……ほんと、見てて飽きないよなぁ」


 何がだよ、そんな千夏の呟きは白雪の癇癪で打ち消された。


 さて、今見て分かるように千夏と彼らカップルの二人はかなり仲が良い。彼らは高校で知り合い、一年を過ごして二年になった今でもその仲の良さは健在だった。だからまあ、こうやってすぐ仲直りするような喧嘩もいつも通りである。


「あぁもう分かったよ! 隣のお姉さんに作ってもらったんだ!」

「隣の!」

「お姉さん!」


 ついに千夏は自白してしまったが別に知られたところで問題はない。涼真と白雪が今度遊びに来た時に確かめようとなどと不穏なことを言っているが、千夏はどうかそんな日が来なければ良いなと祈ることしか出来なかった。


 それから時間が過ぎて待ちに待った放課後だ。

 昨日と同じように少しだけ二人と遊んだ後、彼らと別れた千夏はマンションへと戻った。時間としては五時過ぎくらいで円華も既に帰ってきているみたいだった。


「よし!」


 やっぱり緊張するが、それでも行かねばなるまいと千夏は意気込んだ。

 インターホンを鳴らすとすぐに足音が聞こえ、すぐに円華が顔を見せた……のだが千夏はある一点を見て目を丸くした。


「おかえり千夏君!」

「あ、はい……ただいまです……」


 何とか返事を返したが、千夏の視線は円華の頬に集中していた……まるで誰かに叩かれたように赤くなった頬にだ。


「……あ、そっか。まだ赤いままだったわね」

「何があったんですか?」

「あっ……♪」


 理由が聞きたい、少しだけ視線を鋭くした千夏に円華が嬉しそうな声を上げたが彼にそれを気にする余裕はない。千夏をそのまま部屋に招き入れた円華は何があったのかを教えてくれた。


「……そんなことがあったんですか」

「えぇ。まあでも正直どうでもいいことだわもう私にとっては」


 大学で元彼と今カノに出会い絡まれたが、特に反応しなかった円華の様子に腹を立てた女が頬を叩いたらしい。そこそこに大きな騒ぎになって相手もマズいと思ったのかそのまま去ったそうだ。


「ありがとう。心配してくれて」

「しますよそんなの……」


 幸いにも円華の頬の腫れはそれほどでもなく、これなら数時間経てば完全に引いてなくなるだろう。しかし、あんな思いをさせてまで円華に絡んだ相手に対し千夏はどうしようもないほどの怒りを胸に抱く。


「千夏君」

「わぷっ!?」


 そんな怒りに震えていた千夏だが、すぐにその怒りを洗い流すほどの柔らかさに包まれた。


「……本当に千夏君はどこまでも心配してくれるのね。嬉しい……凄く嬉しいわ」

「そんなの――」

「当然だって、そう言ってくれるのね? あぁ……千夏君♪」


 ガッシリと円華は千夏を抱きしめた。

 その胸元に顔を埋めている千夏は気づかなかったが、円華の微笑みは少し歪なモノだった。心配されたことが嬉しいのもあるが何より、所有物を傷つけられた主人のように千夏が見えたせいだ。


「お弁当はどうだった?」

「あ……美味しかったです。凄く美味しかったですよ!」

「そう、良かったわ。ねえ千夏君、良かったらこれからも作ってあげるからね」


 耳元に顔を寄せて円華はそう呟いた。

 困惑しながらも嬉しさを隠しきれない千夏の様子に円華は更に笑みを深め、誰も聞き取れないような小ささで口を動かした。


――あぁ……ご主人様……♪――

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