鳴らせ靴音

 新しい靴を履くのが好きだ。新しい靴で出かけると、周りの風景もどこか違って見える。僕自身が新しい存在になったのだという気がする。新しい靴を買い、履くと、嬉しさのあまりスキップなんかして、商店街の人に元気だねえ、と笑われたりもした。でもあまり気にならなかった。

 靴からは色んな音が鳴る。ザクザク、サクサク、パッパッ、コンコン。

 僕はそんな靴の音を聞いていると、とても幸せな気持ちになる。人生って素晴らしい。

 公園のベンチに座り、三ツ矢サイダーを飲みながら、僕の通っている小学校のことを考えた。

 僕の小学校はたぶん世界一面白い学校だ。先生は僕らを笑わせてくれるし、クラスメイトはノリがいい。僕はきっと世界で一番幸せだ。たぶんそうだと思う。

 明日も明後日も、その次の日も、新しい靴を履けたら、と思う。そうしたら、きっと楽しい。

 蝶も花も雲も太陽も、全てが煌めいていて、僕は何だか胸が高鳴った。


 これは僕が高校生の時に描いた文章だ。おそらく小説を書こうという国語の授業で書いたのだと思う。小学生になりきって、どうしたら世界は美しく見えるのか、ということを表現したかったのだろう。新しい靴を履くという、たったそれだけのことで、世界は美しく見えるのだと、そう言いたかったのだ。

 引越しのために自分の部屋を整理していたら、この文章が出てきた。何度も何度も考え、書いていった記憶があるが、結局別の小説を書いて提出したはずだ。この小説のような詩のような文章は、この部屋で書いた本人にさえ忘れられて、眠っていた。寂しかったろうな、と僕は思った。

 大人になるにつれ、世界は美しさを失っていくように感じられる。汚い部分ばかり目に留まり、自分自身の魂はやがて煤けていき、ついには世界を汚す側にまわってしまう。僕は自分自身を見つめた。小汚い中年が鏡に写っていた。いつからこんなことになってしまったんだ?

 明日、新しい靴でも買おうかと思う。そして知らない道を歩いてみよう。何かが、きっと何かが変わる。そんな、希望に満ちた予感がした。そんな、嬉しさに満ちた期待があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る