雲街

 雲を作る工場は今日も大忙しで、てんわやんや。所長は僕らを逆撫でするようなことを言うしさ、正直、やってらんないよ。けれどもみんな黙って仕事してんのは、給料がやたらいいからだ。ここいらじゃ一番いいんじゃないかな。あ、いや、台風製造があった。あれは大変な仕事だ。こっちが数ならあっちは質。あっちの方が給料は高かったっけ。でもまあ労働環境的にはこっちの方がいいのかななんて思ったり。

 僕は今日は半ドン。今日は家に直行して酒を飲んでやるんだ。なぜって僕、もう8連勤もしてる。前線担当がのろっとしてるせいで、雲を多く作んなきゃいけなくなって、結局、8日間も駆り出された。いいよなあ。前線担当はさ。みんなでえっさほいさ前線を押し出してくだけなんだもんな。ま、あっちはあっちで大変なんだろうけどさ。人員不足とかって言ってさ。最近は前線停滞しがちなんだよ。でもさ、ゲリラ、とか言って、急な注文が入って僕ら急ピッチで雷雲とか作らされたりする。あれ大変なんだよ作るの。第一痛いし。下手すりゃ命に関わるしさ。天候を考える偉い人は現場の気持ちを少しは理解してほしいよ。

 今日は最終日。明日からは前線がより北上して僕らの管轄を離れる。嬉しいね。今日の午後あたりから仕事は徐々に引き継がれていってそんなに人員を割く必要はないだろうというんで僕は昼から休みなのさ。もうクタクタだよ。鍋の白菜くらいクタクタさ。もうクタクタどころかヨレヨレ。体が重くって急に歳くったみたい。ま、寝れば治るほどの倦怠感ではあるけどね。

 昼まであと30分。嬉しい。何だかうきうきしちゃう。こんなにうきうきしたのっていつぶりだろう。んー。わからない。いつだろう・・・いや、今はそんなことを考えている暇はない。目の前の作業に集中だ。

 僕らの作業は至ってシンプル。まあ単純作業ってやつだ。別に誰でもできる仕事だ。でも新しく誰かを雇うにしても色々教えなきゃいけないし、と言ってもまあ教えることなんてほとんどないけど。所長はあまり新人を雇わない。面倒くさがって雇ってないんだ。面倒くさがりなんだよ、所長。ま、悪い人じゃないと思うけどさ。

 僕がしている作業は雲の繊維を紡いで雲を作っていくというものだ。一番基本となる作業だと思う。古くなった雲は一度本部に回収されて洗浄される。その時に繊維がバラバラになっちゃうんだ。雲を紡いで一つの雲にするには核がいる。「エアロゾル」とか言われてるものだ。僕らは「雲のコア」とか呼んでたりするけど、まあ呼び名はなんだっていいさ。とにかく核が必要なんだ。核を中心にしてその周りに雲の繊維を絡めていく。これは一見簡単なようで結構難しい。雲の繊維は剥がれやすいから時々粘着性ののりみたいなものを手につけて、核にしっかり張り付くようにしないといけないんだけど、その量の配分が厄介。かなり難しい。こればっかりは経験でしかわかんない。ま、職人ってことかな。僕はそこまでの存在じゃないけども。あと核が結構熱い。手袋をしているんだけど熱が全然伝わる。触れすぎると火傷しちゃうこともある。あんまないけどさ。新人の頃はたまにやったなあ。ちなみに僕は6年くらいやってる。高校出てすぐにこの仕事についた。大学に行きたかったんだけど、なんせ家、貧乏だからさ。母ちゃんの会社が倒産しちゃって。もう散々だよ。父ちゃんと僕とでなんとかかんとか家計を助けなきゃいけなくなって、それで資格や特別な知識がいらないこの仕事についたってわけさ。弟はまだ中学生だし、僕が家族を守らないとね。

 母ちゃんはまだ迷宮から抜け出せていない。暗い暗い迷宮だ。精神がどうとかなんとか僕にはよくわかんないけど、ただ、胸の痛みはよくわかる。僕は生まれてこの方病気とかしたことないけど、本当に辛いんだろうなと思う。僕だって時々辛くなったり泣きたくなる日もある。その時は胸が苦しくなる。痛くなる。所長に怒られた日とかさ。でも、そんな感じでもないんだ。母ちゃんのはもっともっと暗く辛いものなんだ。よくわからないことが僕にはもどかしい。どうすればいいのだろう?

 僕の頭じゃ理解できないことがこの世の中には多い。政治とか、経済とか。難しいことはよくわかんない。やっぱ大学行きたかったなあ。大学行った人って僕らとはやっぱり違う。きっと僕らとは違ったものが見えてるんだ。僕にはそれが羨ましくもあり、でもちょっと怖かったりする。だって僕の全てを見透かしたような目をしてるから。その目を見ると僕は不安になる。下手すると夜眠れなくなったりする。目。目がなんでそんなに怖いんだろう?これもまたよくわからない。わからないことだらけだなあ。

 そうこうしているうちに雲が出来上がってきた。今日のノルマはあと3つ。20分で終わるかなあ。

 作業に熱中してるとおやっさんが近づいてきた。今日のノルマが終わったんだろう。あ、おやっさんってのはあだ名さ。由来はちょっとわかんない。

「坊主」坊主ってのは当然僕のことさ。

「今日の仕事が終わったら一杯やんねえか?ここんとこ仕事ばっかしで気が狂っちまいそうでよお。ここいらで燃料入れとかなきゃあ、あとでさんざ後悔すっからよお」

 おやっさんはいつも砕けた口調で話す。親しみやすくもあるけどちょっぴり怖い。新人の頃なんか特にそうだった。今ではちょっと慣れたけど、でも、まあ、いや、優しい人なんだけどね。

「ごめんよ、おやっさん。今日は独りで飲みたい気分なんだ。また次の休日飲もうよ」

「おおう?そうかー。んじゃあしょうがねえなあ。わはは。お前も一丁前になったもんだなあ。独りで飲みたい。ははっ。大人だねえ。」

「からかわないでよおやっさん」もちろんこれは冗談で、つまり、僕らそんな仲なのさ。

 おやっさんは大変な戦後時代を知ってる。あの時は本当にひどかったって。僕には想像できないくらいなのさ。人ってなんで争うんだろう。僕は争いが嫌いだけど、でも、生きる上ではしょうがないんだろう。

 あと10分。残りは2個。ちょっとちんたらやりすぎたかな。そんなことを思っているとおやっさんが僕の横にずいと来た。

「坊主。お前ぼうっとしてんじゃあねえよ。ほら。それよこしな。ひとつくらい手伝ってやるよ」

「この前みたいに火傷しないでよ?」

「はははっ。しねえしねえ。」

 これはこの前あった笑い話を踏まえての会話。あれは結構笑ったなあ。おやっさんってば、ここの結構な古株なのに雲の核で火傷しちゃったんだよ。しかも、その原因は新入りに入った女の子を見つめてて手袋すんの忘れちゃったからなんだ。馬鹿だよなあ。おやっさんってば、もう60近くにもなるくせに若い女の子に目がないんだ。なんてったってかれこれ30年くらい彼女がいないらしい。ハタチん時に結婚して即別れてそれっきり。ま、おやっさん浮気性だし、金もないし結局主任にもなれなかったし、さ。人生ってうまくいかないよなあ。

 おやっさんは手袋をはめて雲を紡ぎ出した。伊達に長年やってない。ここにいる誰よりも早い。作業効率は一番いいんだって。僕は真ん中くらい。

 僕もさっさと終わらそう。一杯目はビールって決まってる。タバコも吸ってさ。星空眺めながら流行りの歌流すんだ。ビートルズでもいいしボブディランだっていいし。ま、普段僕は好みのアーティストってのはいないからして、適当に合わせたラジオから流れてくるのを聞いてんだけどね。

 キンコンカンコン。ー正午のチャイムだ。つまり僕の仕事は終了。おやっさんのおかげでギリギリセーフ。僕にしてはちょっと珍しい。

「ありがとね、おやっさん」心から。

「なあに。こんくらいやったるよ、小僧。さあ、独りで飲むんだろう?帰りの支度をすることだな。俺のこたあ気にすんな。チャンやそこらを引っ捕まえて繁華街繰り出すさ」

 チャンってのは30くらいの気弱な従業員のことだ。

「うん。わかった。ありがとう。じゃ、また」

「おーう」

 僕は帰り支度を始めた。僕の荷物はそんなに多くない。手提げかばんひとつで十分。着替えも家でやるし、作業に必要な道具は全部作業場に置いていくしね。手を洗ってタオルで拭き、荷物をまとめて、タイムカードを記入した。所長やみんなに挨拶した。すると所長に呼び止められた。

「おい。お前最近弛んでるんじゃないか?」

「はい?」

「弛んでんじゃねえのかって。最近」

「えっと・・・あの、すみません。僕としては」

「クビだ」

「・・・は?」

「クビ」

 頭が真っ白になった。

「どういうことですか?僕は僕なりにベストを尽くしたつもりですし、特にここ最近仕事の能率が落ちたとかそんな」

「うるさい」所長は僕の話を遮った。

「ここんところ雲の材料が高騰しているんだ。北東でまた戦争があったからな。雲の繊維が取れねえんだ。わかるだろう?貴様をクビにしなきゃあ、俺たちの首が回んねえんだ」

「じゃああの新入りの女の子は?」

「あれは俺の娘だからクビにできん」

 なかなか乱暴な論理。でも僕には拒否権も口答えする権利もなかった。さっきよりもっとビールが飲みたくなった。とにかく1人になるか、うるさい場所に行くかしたかった。

 僕は特に何を反論することなく、とぼとぼと帰途についた。おやっさんが何か僕に言っていたのだけれど、僕の耳にはもう何も届いていなかった。

 街灯がちらちらと明滅している。きっと壊れかけているのだろう。街灯の光に群がる虫を気にするそぶりもなく、街灯はただただ一点だけを見つめて明滅し続けていた。

 僕はなんだか悲しくなった。いや、悲しみとも違う。これはなんだろう。虚しさ?・・・よくわからない。とにかく僕は路頭に迷っていた。途方に暮れていた。僕の頭ではどこにも就職なんかできやしないだろう。ああ。側から見るとこれは喜劇なのかもしれない。でも僕には全く以って悲劇でしかなかった。

 夏だと言うのに涼しい夜だった。僕は嫌気がさした。どうせだったらひどく暑い方がよかったのに。

 涼しい風が僕を包む。どこかで誰かの声がする。月は半分雲に隠れている。あの雲は僕が作った雲だろうか。街灯は僕の姿を嫌なくらいに明確に映し出す。とぼとぼと帰り道を歩いている。こんな夜はいつ以来だろうか。


 あーあ、雲に乗ってどこか遠くへ行けたらなあ。

 

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