死
精神を病まなければ人は幸せなんじゃないかと思うことがよくあります。
私は比較的良い家庭に生まれ、ぬくぬくと両親の愛情を一心に受け育った箱入り娘ですが、それでも、それなりに辛い経験はして参りました。私の友人たちは皆私のことをのほほんとした人だと評しますが、実際はそうではありません。確かに私はぼうっとすることが多い性分ではありますが、それは考え事をしている状態なのであって、別に何も考えずにぼうっと生きているわけではありません。むしろ人より細かいことをうじうじと悩み続け、馬鹿らしいことにさえも怯え、あたふたしている有様なのです。私の心もようは案外苛烈なのです。そういうとあなたは一体この人は何を言いたいんだと苛々してくるでしょうが、申し訳ありません、必要な前置きなのです。
私はある日公園で本を読んでおりました。素敵な内容の小説で、ちょうど御伽噺のシンデレラのような、非常に浪漫チックな小説でした。私はああなんて素敵なのだろう!と喜びで心を震わせておりました。私達の住んでいるこの星は、幸せで満ちていると、そう信ずることができました。そうして空想の世界に浸っておりますと、ふと何かがおかしいと、そう思いました。そして思い至りました。いつもより公園が騒がしいのだ、と。顔を上げ、あたりを見回すと、人がぞろぞろと集まってきています。何かしらと思い、目を転ずると、警察の方が来ておりました。いよいよ不思議です。それは素敵な昼下がりで、警察のようないかにも現実的でシリアスな人たちは、この欧風でのんびりとした公園には、全くそぐわないのですから。どうしたのかしらと思っていると、それが目に入りました。私は思わずはっと声をあげてしまいました。
公園の木で首を吊っていた方がいたのです。
私はこれは悲劇だわと思いました。その方は風に合わせゆらゆらと、少し揺れていました。私は彼の心情を察し、泣き出したくなると同時に、興奮を感じました。
おかしいでしょう?
でもその時、なぜか私は興奮していたのです。暗い、暗い興奮です。暖かな、陽だまりの公園と、冷たい、暗い首吊り死体。これは鮮やかな対照だと思いました。まるで一枚の絵画のような。
私はとうとう、美しい、と、そう口にしておりました。
私は頭がきっとおかしくなっています。最近ではそうした恐ろしい考えが私の内部で膨らみ続け、夜中にはっと起きてそれきり寝付けなくなることもしばしばです。
あなたはきっと精神のおかしい女とお思いでしょう。
おそらくは私はどこか箍が外れてしまったのでしょう。私は最近ではこう考えるようになりました。
人とはつまり悲劇を好む生き物なのだと。
近頃の私は悲劇が描かれた小説ばかり読んでおります。しかし昼下がりの公園で見た、あの衝撃と興奮は得られておりません。私は上質な悲劇を求めております。最上の悲劇を。
私は今でもあなたのことを慕っております。けれどあなたはこの話を聞いて、どうお思いでしょう。こんな女と結婚してくれますか。きっと私といても幸せにはなれません。精神を病んだ人は、幸せを遠ざける人になってしまうからです。悲劇を好む者には、きっと悲劇が訪れるからです。
僕はこの手紙を読んでからというもの、人間が分からなくなった。僕はあまり人の死に触れてこなかった。両親はともに生きている。祖父母も健在だ。死とは何か?僕は知らない。
僕は返事に困った。彼女の気持ちに共感できるような気もするし、全く理解できないような気もした。感想がまとまらなかった。何を言いたいのか、何を感じたのか、上手く考えることができなかった。
僕は返事の代わりに絵を描いた。
抽象画だ。僕は幼少期に少し絵を習っていた。だから絵は僕の心情をよく表してくれると知っていた。
一日中描いた。赤や青、黄、緑、紫、白、黒など様々な色がキャンバスの上を踊った。
僕は生きていると思った。生きている。死んでいない。僕は生きている。死んでなんかいない。
死を通し、生を知るのだろう。生を通し、死を知るのだろう。
人は悲劇が好きだ。死は悲劇だ。人は死が好きだ。死こそが芸術だ。死こそが本当だ。
そんな思いをキャンバスに叩きつけた。
完成した時僕は今までで一番、生きていると実感した。興奮が僕の内からほとばしり、痙攣までした。
彼女と結婚しようと思った。
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