悪魔の国【コミティア お試し読みサンプル】

ワニとカエル社

第1話

ヤムニャは悪魔の国にいるらしい。

僕は薄汚れた闇商人からその話を聞いた時、自分の耳を疑った。隣の国とはいえ、よりにもよって悪魔の国にいるなんて。

でも一年もの間、誰もあいつを見つけられなかった事に初めて納得いった。

あそこは僕のいる、式と理性の国とは真逆の世界。

国としての交流は一切なく、大きな川に隔てられ、公式の渡航手段はないので誰も行ったことなんて無い。でも話を聞いた闇商人は、あちら側の川近くを歩く『緑の髪の子供』を見たと言う。この国で緑の髪をしているのはヤムニャだけだ。誰かと一緒だったと言うが、霧に阻まれてよく見えなかったらしい。


…誰かに攫われたのだろうか。

そして悪魔の国に閉じ込められてしまったのかもしれない。

やっと見つけた手がかり。裏も取れないあやふやな情報だけれど、もうこれしかすがるものはない。そうと決まれば、僕は行動を開始する。

「…ホントに行くの?

自走式LVTだけじゃ、なんかあったら対応できないんじゃない? やっぱりサブショットガンをもう一丁持って行ったほうが……」

心配性なリンナ。僕は彼女の申し出を優しく断る。

「戦争しに行くんじゃないんだから大丈夫だよ。まずはヤムニャの居場所を突き止めるだけだから」

操縦パネルに僕のリストデータを移送展開させると、すぐに推測位置地点がいくつか映し出された。これを頼りにまずは侵入しないと…。

「パス確認とかしないと思うから入国管理官とかいたら、うまくやんなさいよ」

「時代後退のアナログって聞くからね。……ま、なんとかするよ。そんじゃ、」

いってきます、と手を挙げて、LVTの操縦桿を握った。地上(とはいえ強化人工土だけど)から僅かに車体が浮き、緩くホバリングを始める。

「…まるでお姫様でも救出に行くみたい」

軽く苦笑して、悪魔の国を目指す。

かつてない困難な旅だけれど、ヤムニャが待っているなら立ち止まるわけにはいかない。

僕は場違いだけれど、わくわくしていた。


自走式LVTは僕らの国で一番主流な乗り物。リンナ曰く、昔の『自動二輪自動車』から進化したものというから形は似ているらしい。

だが基本的に専用カスタムにしてしまうので、形態は似ていてもそれぞれ作り手によって異なる。

そしてカスタムを頼んでいる友人のリンナは銃火器マニア。頼んでもいないのに対戦機仕様にするから一般乗用検診でいつも引っかかる。

…それがこんな時に役立つとは。

悪魔の国までは、海のように広い第一級河川の隔たりがある。ホバリングして浮いて進んでいる最中、河に住んでいる古代魚の群れが餌と間違って食い付いてくる。

古代魚は入道雲みたいに巨体で、かつ頑丈なのでリストガンだけでは威嚇程度にしかならなかった。リンナがLVTにライフルやらサブショットガンやらを積んどいてくれたおかげで、なんとか退けることができているけど。

「まだまだ先は長いな…日が暮れる前にあっちに着かないと」

弾もそうそう使ってられない。帰りがあるのだ。操縦桿を握り、速度を上げる。

LVTが弾き出した到着予定時刻は、あと四時間。

「今日の日没まであと四時間半……ギリギリ日没前には着けるな。このまま古代魚との格闘が一回もなければ、だけど…」

リンナの積んだ銃火器があって助かったことは、内緒にしとこう。きっと次のカスタムですごいことになるだろうから。

ヘトヘトになりながらも、なんとか悪魔の国に着いたが、夜になってしまった。真っ暗な海の先に、不思議と揺れる白い光。

誰かが海岸に立っている。

「どうしてそこにいるの」

入国管理官、か。いや、そんな人達はいないだろう。たまたまそこにいた人なのかもしれない。なんとか僕を国に入れてもらえるよう、話をつけないと。

悪魔の国にはその住人しか開けられない固い扉がある。とはいえ、目に見えるものではないらしい。

——太古の言い伝えである『魔法』というやつだ。

口に出すのも笑ってしまう昔話だが、この悪魔の国ではその『魔法』を中心として盛えている。こちらから言わせれば、怪しげな思想の溜り場だが。だから岸辺に張られていた白い麻のロープを見ても、何も感じない。そのロープが『結界』だと教えてくれたのは、まだ小さな…ヤムニャと同じくらいの女の子だった。

白い光を手に持ち、闇の中に立つその白装束は不気味に目立つ。髪の毛まで白く、目の色は不思議と深い蒼。

「ここは、だいろくてんまおうのみちだから、とおれない。

なみだやまからなら、むらにはいれる。そっちからにしたほうがいい』

…第六天魔王?……涙山?

LVTからゴーグルの回線を抜き、自立式に切り換える。言葉を検索しながら、ゆっくりLVTから降りた。彼女を警戒させないよう、できるだけ優しく言葉を選ぶ。

「教えてくれてありがとな。

でも俺、入っていいの? 君が入国管理官かい?」

にゅうこく、と首を傾げる女の子。やっぱり違うみたいだ。そんな言葉すら存在しないのかもしれない。

「とくにきまりはないわ。

それに、あなたは…たたかいにきたわけではないでしょう」

どきり、とする。これが悪魔の国に住む者……どんなソースを使ってこちらの情報を手に入れたのか…不気味だ。

「そうなんだ、あの、ヤムニャっつー髪が生まれつき深緑に近い髪色の、君くらいの子を探してるんだ。

この国にいればいいんだけどさ」

冗談のつもりだった。知らないと思った…隣国からの侵入者なんて、行方が分かる訳が無い。どうせ今の事も、彼女が適当に口にした事がたまたま当たっただけだと。


だが、女の子は頷いた。

「いるよ」

反応に遅れた。女の子は長い白髪をさらさらと風になびかせて、軽く笑う。

「なみだやまのふもとにある、あかいたてものに、いまはいるわ」

「あ、ありがとう!」

ヤムニャが、いる。

その事実に身体が反応してか鳥肌が立つ。嘘、かもしれないが…行かずにはいられない。これほどまでに『ちゃんとした情報』は、はじめてだった。僕はすぐにLVTを起動させ、涙山の地理を検索する。

「なみだやまのふもとは、あっちのおかをまっすぐよ。まようことはないわ、いっちょくせんだから」

指差された向こうには確かに高い山があり、そのふもとには村がある。そこの、赤い家。パネルに目的地選択を入力し、同時にゴーグルを接続開始する。

「ありがとう! じゃあ行って来る!」

「うん」

本当なんだろうか。嘘なんじゃないだろうか。

ヤムニャが、いる?

涙山ふもとの村までは、三十分程で到着する。まさか、こんなにすぐに会えるなんて。

悪魔の国の夜は静かだ。ぽつぽつと木がまばらに生えていて、その下にはたいてい二つか三つほど民家やテントがあった。

もうホバリングしなくとも、道は地面…僕の国にはない天然緑地…なので問題なく走れる。

でも誰にも知られたくなかったので、消音モードにしてホバリング走行する必要があった。

それぞれの灯りは小さく、夜空には星が浮かぶのが見えた。僕は初めて本物の星を見た。

「もっとおどろおどろしい場所かと思ったけど…」

ここは静かな森のよう。悪魔の国——悪魔や魔王などの古代伝承にすがりついて盛える不気味な国だと思っていた。

でも不思議と温かく、懐かしさすら感じる。僕のいる、式と理性の国とは全く違う空気だった。

ぼうっと景色を見ているうちに、村に到着した。

LVTを村の隅にあった木の下に置いて…ここには誰のテントもなかった…持ってきた布を被せて一応隠しておく。この国に滞在できるのは一時間程度。それ以上は見つかる可能性がある。残された時間はあと三十分程度。あとは探索機をどこかに忍ばせて、データを取るしかないが、時間がかかる。できるだけ『今』、確信を得たい。

村と言っても、民家やテントが密集しただけのよう。灯りは少ない。中に人がいる気配はあるが、深夜なので寝入っているようだ。村の中心にはこれまで見てきた中で一番大きな木が生えている。自立式に切り替えたゴーグルから、予想樹齢五百年と出た。夜の暗さに目が慣れても、この木の周りは暗く、どっしりとした印象は変わらない。

「……あれか」

夜間視界モードに切り替えて、ようやく村の奥にある赤い屋敷を見つけた。山を背にして建つ屋敷には穏やかな灯りが見える。複数の人の声がするので、村の住人の何人かがこの屋敷にいるのだと分かった。

どうやって入ろうかと屋敷の門を前にして考えていた時……突然、前触れもなく赤い扉が開いた。

「待ってたよ、ジェルガにーに」

扉の先に、ヤムニャがいた。息を呑む。思わずゴーグルを額に上げた。

「——ヤ、ムニャ…!」

自分の目が信じられなかった。本当にヤムニャだったから。

少し癖のある黒に近い深緑の髪。見たことのない白装束に身を包んで、変わらない笑みを浮かべていた。会うのは、一年ぶり。

僕は思わず駆け寄ろうと門を開けようとするが、鍵でもかかっているのか開かなかった。それでもヤムニャを掴もうと、必死に手を伸ばす。

「ヤムニャ、迎えに来た! 僕と一緒に帰ろう!」

小さな頃から一緒で、寄せ集めの家族だったけれど、ヤムニャは僕を本当に慕ってくれた。穏やかでちょっと泣き虫で、よく笑う明るいヤムニャ。

でも、

「ごめんね、ジェルガにーに」

静かに首を振った。

「ボクはもう、にーにとは帰れない」

だから、と口にしてヤムニャは小さな手を合わせる。両手で何かの動作を取り、二回手を叩く。その顔は、見たのことない真剣な表情。怖いくらい落ち着いている。

「分かってね。さよなら、ジェルガにーに」

視界が真っ暗になった。よく分からない。一瞬息ができなくなった。

 

次の瞬間には、僕の体は、あの白いロープの張ってある前に戻っていた。木の下に隠してあったLVTも、すぐ隣に放り出されて。

「あえてよかったね」

混乱して放心状態にいる僕に、ゆるく声をかけてきたのは、最初に会ったあの白装束の女の子だった。

会えた? そう、確かに会えた。

時間は何時だ? 

夜が深くなる前に帰らないといけなかった。国を抜け出すには特別な申請書と莫大な金額が必要なのだが、もちろんそんな正式手順は踏んでいない。それに僕の身分でそんな証書出したとして認定されるはずもない。僕ら階層は、国から全員の脳波信号をGPS代わりにされている…だから僕は国のデータベースをちょっといじくった。クラック友達のジーニアスに手伝ってもらってだけれど。

でもデータベースを騙すのは一日が限度。早く帰った方がいい。

……なのに、僕の体は動かなかった。

「……なんで…」

ヤムニャが分からない。

姿を消してココにいる理由も、

僕と一緒に帰らない理由も、

「泣いてたんだ…?」

あいつが泣いていた理由も、分からない。

「ないてたの?」

地面の上に寝転がっている僕を覗き込む女の子。白装束には汚れ一つ無い…ヤムニャと同じ服だ。

「さよならって…泣きながら言われた。なんでそんな事言ったんだ…?」

姿を消した理由はなんだ?

なんでこの国から『帰れない?』

ヤムニャがこの国に来る手段も説明がつかない。だいたいあいつは僕みたいにLVTも操作できないんだ。

「ヤムニャはなにかを、隠している?」

立ち上がって転がっているLVTを起こし、起動パスを打ち込む。

「かえるの?」

ゴーグルを接続し、エネルギーと残弾を確認する。

「うん、でもまた来るよ。一度戻って立て直すんだ。ある程度の情報も揃ったし。

ありがとな、見逃してくれてさ」

起動経路を選択し、跨る。が、違和感を感じて振り返ると、

白装束の女の子が後ろに乗っていた。

 

「おい、何してるんだ? 僕は出発するんだぞ」

「しってる。でもまたくるんでしょう?

そとのせかいにいってみたかったの」

顔色一つ変えずに、女の子は呟くように言う。

「…みのがしてあげたでしょ?」

有無を言わさぬ態度、とはこのことだ。

彼女を連れて帰るのは問題ないだろう。脳波はデータベースにないから感知されないし、小さいから荷物に隠せば分からない。

とはいえ、みんなに報告はしないと。

川の上でも通信はとれるけど、受け答えしてる場合じゃない。

「そこをなんとかしてよ」

『またデータを誤魔化すのはできるはできるけどよ、永遠じゃないぞ。そもそもこの手段は期間限定だ』

『すぐ出るんじゃ、準備期間も短くなるじゃない! いるのが分かったなら、もう一度時期を待つのよ!』

無茶を行ってくれる。リンナの心配性は知ってるけど、せめて言い分くらい聞いてほしい。これなら話を聞いてくれるジーニアスに相談したい。

しかもここはあの巨大な古代魚が棲む川。深夜だから寝てるのか一匹も姿を見せない。逆に不気味だ。

「また時間をかけて、どこかに雲隠れされたらまた見つからなくなる。あいつと会えたこのチャンスを逃したくない。僕はここにかける。

そっちに到着するまで少なくとも四時間半はかかる。もう引き返せないんだ」

『簡単に言ってくれるぜ……この謝礼は高く請求すっかんな』

通信が切れる。リンナはまだ納得してないようだけど、ジーニアスならなんとか説得できるだろう。

僕はほっと息を漏らした。

「ふしぎなちからをつかうのね」

僕の背中にしがみ付くように手を回している女の子。白装束が風になびいて、白い腕があらわになる。

「君の国にはないものだろうね。これから四時間近くこの状態だけど、堪えられるか?」

途中で休憩するような場所はない。水上で速度を落とせば、少なくとも音が伝わってしまう。

二人乗りの今は、古代魚との戦いはできるだけ避けたい。

「うん、へいき」

例え無理と駄々をこねても納得してもらうしかない。女の子はそれを分かってくれたのか、特に反論しなかった。

経路を選択し、LVTを自動運転に切り替える。軽く伸びをして一息吐く。

「少しなら動いてもいいよ、セーフティモードにしてあるから大丈夫」

僕の言葉に、回した手が緩む。

「しかし…なんでまたついてこようと思ったんだ。すぐ帰れるか分からないし、君の家族はいいの?」

振り向かず、後ろにいる彼女に訊ねた。

セーフティにしてあるとはいえ、古代魚の姿を見逃したらあっさり襲われてしまうだろう。

「かぞくというものはいないわ。

あなたがまたあそこにいくときに、わたしもつれていってくれればいい」

「家族がいない…親代わりの人も?

この国の文化はどうなってるんだ。

とにかくヤムニャを連れ戻す為にもっと装備と情報が必要だ。協力はしてもらうよ。

……そうだ、名前はあるだろ? 

僕はジェルガ」

「そうね、スーヴェルニってよばれてる」

「長いなぁ…スーでもいいか?」

僕の言葉に、スーはちょっと驚いたような顔をしたが、すぐに笑う。はにかむような、年相応の。

「うん、よろしく。ジェルガ」

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