第14話 利用された結

 そして皇太子を脅迫したその夜。

 一人でスヤスヤと眠る結の部屋の窓ガラスがガチャンと大きな音を立てて破られた。

 それと同時に出目金が部屋に入り込み、結の眠っている布団に飛び掛かった。

 けれどそこにいたのは結ではなく錦鯉達だった。出目金は飛び出て来た錦鯉にばくりと食われ転げていく。


 (やっぱり出たね)


 部屋の隅に置かれているクローゼットに隠れていた結は、そっと扉を開けて部屋の様子を窺った。

 暴れている出目金は結が視認する限りで五匹だが、どれも一メートルはあろうかという巨体をしている。


 (共食いしてるな。でもこの大きさ五匹なんて意図的に育てないと無理だ。同じ水槽に詰め込んで共食いさせたんだ)


 皇太子が水牢に捕まえていると言ったのは外ならぬ皇太子の軍の人間だ。

 結は確信し、出目金に気付かれないうちにそっとクローゼットを出る。しかし古いクローゼットは扉を開けただけでギギギと大きな音を立てた。


 「ゲ」


 当然その音は出目金にも聞こえたようで、出目金はぎらりと目を光らせ飛び掛かって来た。


 「わー!やばいやばい!」


 すぐに錦鯉は結を守るべく壁になり、結はあわあわと床を這って部屋を出た。

 けれど廊下に出てすぐ何かにぶつかり、それはまたも一メートル近い出目金だった。

 錦鯉が出払い護衛もいない状況に結は焦ってしまい、気が付けば出目金は結のすぐそばまでやって来ている。


 「うわ、うわ!嘘!」


 噛みつかれる前に頭を抱えたけれど、結を襲ったのは出目金の牙ではなく人間の体当たりだった。

 結はその衝撃でごろんと転がってしまい、ひっくり返ったままぱちくりと瞬きした。


 「俺の部屋へ行け!お前の連れもそっちに逃がした!」

 「白練さん?」

 「早く行け!邪魔だ!」

 「は、はい!」


 結は無駄な事はしない主義だ。

 感情に流され白練に手を貸すなどという選択肢は存在せず、言われた通りにぴゅうっと逃げ出した。

 そして白練の部屋へ向かおうとすると、聞き覚えのある可愛い泣き声が聴こえてきた。


 「結様!結様ぁ!」

 「ひよちゃん!」


 池を挟んで対岸の廊下に雛依と更夜の姿が見えた。

 雛依は金魚のヒレのように袖を翻し、わあんと泣きながら結に飛びついた。

 

 「もう止めて下さい、囮になるの!!」

 「だって今日中に釣りたかったんだもん」


 結は雛依を抱き上げて、後ろから近付く足音を聞いて振り返った。

 そこにいたのは身を挺して結を守ってくれた白練だ。


 「囮ってのは何の話だ」

 「あなたが鯉屋の敵ならとどめを刺しに来るだろうと思って」

 「でも結様を助けてくれたって事は、鯉屋を狙ってるのは皇太子様じゃないんですよね」

 「そうだね。でも都合よく出目金出せるのも皇太子様だけだよねえ。しかもでもこんなタイミングよく助けに来たって事は、何か他の狙いがあるのかなー」


 結と雛依はじいーっと白練を見つめたけれど何も言い返してこず、つんとそっぽを向いている。

 いくら結が圧を掛けても白練はしらんぷりで、それにしびれを切らしたのは更夜だった。


 「つーかさあ、何で結が狙われんだよ」

 「だって結様跡取りだから」

 「結が跡取りって知ってるの皇太子だけだろ。やっぱそいつが犯人じゃねえの?」

 「それは僕が襲われた部屋で説明するよ」


 結はよいしょと雛依を抱き上げ元来た道を戻った。

 来た時と違いところどころが水浸しになっていて、よく見れば白練の服も水に濡れている。

 部屋に戻ると、そこには割れた窓硝子が散乱している。

 うわ、と更夜は眉を顰めたけれど、雛依は何かに気付いてぴょんと結の腕の中から飛び降りた。


 「これ窓ガラスじゃないです。金魚鉢の破片です」


 雛依が拾った硝子は赤い縁で波打っていて、他の破片を繋げると丸くなるようだった。


 「僕を襲った出目金は誰が投げ入れたんだね。ね、白練さん」

 「やっぱりこの人が犯人ですかっ!?」


 白練はため息を吐くと、おい、と廊下に向けて声を上げた。

 すると何処に隠れていたのか、皇太子の部下だろうか、彩鮮やかなこの国では珍しく全身真っ黒の男が姿を現した。

 よく見れば服には血が飛び散っている。

 

 「残党はいたか?」

 「はい。殿下のご自室裏の庭園に隠れていました」


 黒尽くめの男は一人の男を引きずり出した。顔中傷だらけで相当やりあったのが分かる。

 男は縄でぐるぐるに縛り上げられていて、軽装ではあるが漢服を着ている。これは虹宮の装束だ。


 「誰だテメーは」


 皇太子は男の髪を掴んで無理矢理顔を上げさせたけれど、男はぎゅっと口を噤んでしまう。


 「おい。大人しく口割らねえと痛い目見る事にな」

 「はい、喋って」

 「ひっ!」


 結は錦鯉の牙を剥き出しにして、ぐぐぐと男の顔にくっつける。

 多少乱暴でも考える余地を与えた皇太子に比べたら、結はさぞかし悪者に見えている事だろう。

 男はがたがたと震えながらあっさりと口を割った。


 「俺達は虹宮の生き残りだ」

 「それは分かってますよ。知りたいのは何で僕を狙ったかです。狙うなら白練さんでしょう」

 「……跡取りを殺せば鯉屋が出てくる。跡取りを殺した罪を皇太子に着せ、仇討ちに来た鯉屋とやりあった後を叩くつもりだった」

 「ふうん。随分雑な作戦ですね。でも何で僕が跡取りって分かったんですか?」

 「酒場の女――いや、男から聞いた。お前が鯉屋の跡取りだと」

 「酒場の女?」

 「いや、男?」


 結達が彩宮に到着した時に出会ったおかまがいた。

 そしてその正体は白練だったはずだ。

 結と雛依はじろりと白練を見ると、腕組みしてにやにやといやらしい笑いを浮かべている。


 「……虹宮を攻め落とした皇太子はこいつじゃなかった」

 「それは影武者って奴だな」


 白練は腕組みしたままピッと指差した。その先には黒尽くめの部下がいる。

 結はじっと皇太子を睨みここまで起こった事を振り返り、くそ、と彩宮に来て初めて悔しそうに舌打ちをした。 


 「なるほど、やられた」

 「え!?何、何がですか!?」


 不愉快さを露わにした見慣れぬ結の表情に雛依はすくみ上った。

 結はギッと皇太子を睨みつける。


 「僕を虹宮残党狩りの餌にしましたね」

 「気付くのが遅いな」

 「僕が跡取りってわざと教えたんですね。僕を一人部屋にしたのも襲われやすくするためですか」

 「虹宮が食い付きやすく、かつ彩宮に不要な餌で一網打尽にしようと思ってな」

 「餌が無いと勝てないんですね。情けな~い」


 視線がぶつかりパリパリと静電気が走る。雛依と更夜はああ~、と疲れたようにため息を吐いている。

 その夜のうちに彩宮殿に隠れていた残党は全て捕らえられ、結達は三人一部屋で眠りについた。



 そして翌朝――


 「それじゃあお世話になりました」

 「二度と来んなよ」

 「それはお約束できないですけど、武力制圧はしないですよ」

 「ふうん。見切り付けんのは早いな」

 「ええ。だってあなたは自分の意思で鯉屋に来ますし」


 は、と白練は目を見開いた。

 結はその反応を確認すると、なーんてね、と言っていつも通りにこりと笑顔で返した。


 「それじゃ、失礼します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る