後編
わたくしは自分の幼馴染が『攻略』されるのが我慢できず、また、王国の将来の宰相が籠絡されて凋落すると国の発展にも影が差しますから、学園に入ってからですがクラウゼヴィッツ様に様々な発破をかけていたのです。もちろん彼の悩みも、レーリヒ子爵令嬢が近づく前に解決して上げましたわ。慰めるなんてわたくしにはできませんから力技でしたけど。そして忠告しておいたのですわ。『レーリヒ子爵令嬢にお気をつけあそばせ』と。そして彼女の取る言動を教えたのです。
その時には既にキュンベル様が籠絡されており、マイネル様も籠絡されかかっていたので、クラウゼヴィッツ様は何か思うところがあったのでしょう。その後、レーリヒ子爵令嬢がわたくしの忠告通りの言動でクラウゼヴィッツ様に近づいて来たので、彼は警戒度最高でレーリヒ子爵令嬢と相対し、それを彼女に悟らせない様に振る舞って彼女の信頼を勝ち得ていましたわ。
……幼馴染ながらその手管は将来の宰相として頼もしく感じるとともに、どれだけ腹黒になるのかと密かに慄然としておりましたわ。
「女官長、テオドールの言うことは気にせずとも良い。連れて行って確認しろ。但し確認した後はここに連れ戻せ」
「御意にございます」
「さて、ドレスの確認をしている間に、論文の破棄に関して誤解を解きましょうか。ハウフトマン先生」
わたくしが呼びかけると、遠巻きにこの事態を眺めていた教師たちの集団の中から、赤髪に紅茶色の目をした三十代の教師が出てきました。
「論文は先生の授業のものでしたわね」
「そうですね。私の授業で、習った範囲内で自分なりの考え方を示すものを求めました」
「わたくしの論文とレーリヒ子爵令嬢の論文を覚えておいでですか?」
「勿論。忘れる事などできません。しかし……」
ここで先生はチラッとテオドール殿下に視線を流し、すぐに元に戻されました。
「構いませんわ。陛下の御前です、嘘を付くことは陛下を
陛下を謀る事は、不敬というだけではなく反逆罪にも問われる事態です。
わたくしの言葉で理解したのでしょう。ハウフトマン先生は、目を見開き真っ青になりました。
「最初にアルナシェル君……の論文を見せて貰いました。まだ未完成だが、これは習った範囲から少しばかり逸脱しそうだが大丈夫か、という確認でした。読ませて貰い、面白い着眼点であり、確かに少しだけ先に習う範囲になりますが、その程度なら大丈夫だと言って論文を返しました」
わたくしが公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者であっても、学園の教師にすれば一生徒。ですから教師は殿下であっても君付けで呼ぶことになっていますので、ハウフトマン先生が不敬に問われる事はありません。
ですが、卒業パーティーの場で国王陛下の前という状況がハウフトマン先生の緊張を呼んだらしく、先生はいつもより萎れた様子で答えてくださいました。
「その後、レーリヒ君の論文が提出され、内容がアルナシェル君のものとそっくり同じだった事から、レーリヒ君を教官準備室に呼び出しました。そしてなぜアルナシェル君の論文と内容が一緒なのか尋ねたところ……」
ハウフトマン先生が言い淀みます。なのでわたくしが助けを出しました。
「テオドール殿下が現れたのですね?」
「は、はい……中の様子を伺っていたらしく、レーリヒ君に尋ねたすぐ後に勝手に入室してきて、この事は内密にする様に、そしてこの件に関する事も口外無用、もし誰かに話したら命がないと思え、と……」
「脅迫されたのですね。その後、わたくしがレーリヒ子爵令嬢の論文を盗み、破いて棄てたという噂が立ったのですね」
「はい。も、申し訳ありません、アルナシェル様!」
ハウフトマン先生はその場に崩れ落ち、両手で頭を抱えてしまわれました。
ホールにいた生徒たちは、噂の真相を聞いてざわめいています。
「ハウフトマン先生、この事態は先生のせいではありませんのでお気になさらずに」
わたくしは先生に声をかけ、ホールの壁際にいた近衛兵に合図をして先生を休ませる様に言いつけました。
さて、残りの疑惑、階段から突き落とそうとした事ですが。
レーリヒ子爵令嬢が戻ってから真相解明しようと思っておりましたら、タイミングよく女官長に連れられて戻ってきましたわ。
ドレスは既に着替えさせられ、子爵令嬢らしい簡素なものにされておりますわね。
「アイゼナッハ女官長。どうであった?」
「エルフリーデ様のお召し物でした。王城のエルフリーデ様の私室のクローゼットから盗まれた物に間違いはございません」
女官長の淀みない言葉に、ホールの中のざわめきは最高潮に達したようです。
「静かにせよ!」
国王陛下が威圧とともに発した言葉で、ホールの中は一瞬の後にピタッと静まり返りました。
「エルフリーデ、報告を」
「御意にございます、国王陛下」
わたくしは隠しポケットからさきほど従僕から渡された書類を取り出して開きました。
「わたくしのドレスを盗んだ者は、王城の小間使いでわたくしの私室の掃除を任されていた者のうちの一人でした。彼女は母親の薬代を報酬として示され、テオドール殿下の名前を出されて犯行に及んだ様ですわ。指示したのはコンラッド・マイネル様です。そして、学園の生徒会予算と、王太子予算に使途不明金がございました。調べたらどちらもコンラッド・マイネル様に繋がりました。証拠の帳簿はそちらに」
わたくしの言葉に従僕が一人、国王陛下の斜め後ろに佇む宰相閣下にすっと近づき、わたくしが纏めた帳簿を宰相閣下に渡しました。
「中身の精査はお任せ致しますわ。
さて、残りの疑惑である殺人未遂に当たる階段から突き落とそうとした事ですが」
わたくしは少しだけ勿体をつけて間を空けました。
「わたくしとレーリヒ子爵令嬢は学園に入ってから一度も口を利いた事はございません。これは一度たりとも同じクラスになった事がないからですわ。ですので、わたくしの名前呼びを許した覚えはございませんの。そして、レーリヒ子爵令嬢はわたくしが王城に通っている事はご存知でも、週何回通っているかはご存知なかったとみえますわ。だからこんな間抜けな事を企てるのだと思いますわ」
わたくしはあからさまに呆れた顔を作りました。
「わたくしは将来の王太子妃であり、その先はこの国の王妃になる身。ですのでわたくし個人に子飼いの『影』がいますのよ?」
「なっ⁉ 聞いてないぞ⁉」
テオドール殿下が驚愕の声を上げます。
「学園に入ってから、婚約者を放置して他の女性にうつつを抜かす様な不誠実な方に、手の内を晒すとお思いになりますの? そう思っていらしたのなら、テオドール殿下はよほどおめでたいおつむをされていらっしゃるのですわね」
わたくしの常ならぬ手厳しい言葉に、テオドール殿下は目を見開き、信じられないものでも見るような顔をされました。
「その『影』の報告では、階段から自ら落ち、でも風の魔術で怪我をしないようにした上で階下に横たわり、絶叫して注目を集めたそうですわ。そして、わたくしエルフリーデに突き落とされたとさめざめと泣きながらテオドール殿下に訴えたそうですわ」
レーリヒ子爵令嬢は既に顔が土気色になり、一言も口を利けなくなっておりますわ。当然ですわね。自分が着ていたドレスが盗まれたもので、それも公爵令嬢で王太子殿下の婚約者であるわたくしのものだったとなれば。
そして自分の自作自演をバラされている場に留め置かれているのですから。
「ですがおかしいですわね? わたくし、その日は公務で急遽、朝から登城しており、学園は欠席届けを出していましたのよ? クライバー先生、そうですわよね?」
教師の集団の中から、クライバー先生が前に押し出されました。クライバー先生は戸惑いつつも是と答えてくださいましたわ。
わたくしが公務で学園から登城する事はあっても、朝から登城して学園を欠席する事は
「では誰に突き落とされたのでしょう?
わたくしの言葉を聞いて、レーリヒ子爵令嬢が絶叫しました。
「なぜ悪役令嬢のくせに私に意地悪をしないのよ! だから私が自分でヒロインとして
……心底呆れましたわ。
この世界は確かに乙女ゲームの世界。でも、それをベースとした、わたくしたちが生きている現実ですのに。
「おかしな事を言われますのね。現実を見ていらっしゃらないの? わたくしの人生にも貴女の人生にも、勿論他の方の人生にも脚本はございませんわ。全ての方が己の人生の主人公ですのよ?」
「話にならんな。エルフリーデ、ご苦労であった」
「有難きお言葉を賜り恐悦至極に存じますわ」
わたくしは陛下に最敬礼を致しましたわ。
「近衛兵、テオドールを誑かしたそこな女を捕らえろ。あとテオドールの側近だったキュンベルの息子とマイネルの息子もだ。テオドール、お前は廃嫡とする」
「お待ちください、父上! なぜ俺が廃嫡になど」
「まだわからぬか、この痴れ者が! 危うく国を危機に晒すところだったのだぞ!」
「国を、危機に……?」
「お前の行動如何で、アルナシェル公爵家はクラウゼヴィッツ公爵家とアイゼンラウアー公爵家とともに立ち、王家を廃して新たな王を戴くところまで話が進んでいたのだ! そうなれば国は乱れ、民は貧する。それを止めてくれたのがエルフリーデだ! エルフリーデがいなければ内乱が起きていたのだぞ!」
「内乱……」
激昂して前のめりになっていた国王陛下は、そこで溜息を吐いて椅子に背を預けました。
「テオドール、其方は生涯幽閉とする。そして余の名前に於いてウィリバルトを新たな王太子とする。ウィリバルトは余の息子だ。更に、テオドールとエルフリーデの婚約を白紙とし、ウィリバルトとエルフリーデを婚約させる」
国王陛下の沙汰に、テオドール様はその場に崩れ落ち、ホール内は一瞬で驚愕の声に溢れました。
ですが、すぐに国王陛下の威圧で沈静化致しましたわ。
……国王陛下の威圧は便利ですわね。
「これからよろしく、婚約者殿?」
ウィリバルト様、いえ、もうウィリバルト殿下とお呼びした方がいいですわね。ウィリバルト殿下が輝くような笑顔を向けてくださいます。
「ええ、よろしくお願い致しますわ、ウィリバルト殿下」
わたくしは淑女らしく、差し出されたウィリバルト殿下の手にそっと自分の手を載せました。
「もう君を諦めなくていいと思うと嬉しいよ。それにしても君の言うとおりになったね、エル」
ウィリバルト殿下が嬉しそうに微笑みます。
このウィリバルト殿下は、隠し攻略対象です。彼の荒れた原因を取り除き、その荒れた心を癒やすとルートに入るのです。
誰も知らない、隠し攻略対象であるウィリバルト・ルートです。
わたくしの前世は小説家でした。
そして『乙女よ成り上がれ!〜恋と魔法の学園生活〜』は前世のわたくしが書いたもので、なぜか人気を博し、アニメ化される前にゲーム化されたのですが、ウィリバルト様が隠し攻略対象として出てくる前の段階で小説は終わっています。
ですから、この世界でいくらヒロインであるレーリヒ子爵令嬢でも彼の情報は持っていません。
彼の情報を唯一持っている私だけが彼の心を癒やし、荒れた原因を取り除く事ができるのです。でもわたくしは迷っていました。
荒れた原因を取り除く──つまりは王太子であるテオドール殿下を王太子位から引きずり降ろし、ウィリバルト様を王子として復権させて王太子にさせるのです。
テオドール殿下に対する愛はなくても情はあります。長い間、テオドール殿下の婚約者として過ごしてきたのですから。
ですがテオドール殿下はレーリヒ子爵令嬢に心を移されました。
わたくしを排除しようと画策している事を『影』の報告から察し、シナリオに合わせて公務を入れたりして徹底的に排除フラグを折り続けました。
そして夏季休暇前のガーデンパーティーの時の件を報告で知ったわたくしは、ウィリバルト様のお心を癒やす決心をし、国王陛下に内密での謁見を申し入れました。
そして、ウィリバルト様の件を話し、わたくし個人の子飼いの『影』からの報告で知ったと申し上げ、更にはテオドール殿下の学園での振る舞いを報告し、このままでは内乱が起きると忠告しました。陛下がさきほどテオドール殿下に仰られた事は本当です。
学園でのテオドール殿下の所業とわたくしに対する所業に、このままでは後ろ盾もなく品位や常識の欠落した娼婦の様な下位貴族の少女に王太子妃の座が与えられ、国が荒れる事になる、と考えたお父様とクラウゼヴィッツのおじ様、そしてアイゼンラウアー公爵が結託し、ウィリバルト様を押し立てて王位を奪取する事を企てていました。それを止め、国王陛下を説得するからと約束し、なんとか謀反を抑えたのですわ。
陛下に対し、テオドール殿下を廃し、ウィリバルト様を王子として認めてくださるようにお願い申し上げました。
陛下は暫く考えた後に、もしテオドール殿下がわたくしを排除しようと行動に移された場合、その時点でテオドール殿下を廃してくださり、ウィリバルト様を王太子として認めると約束してくださいました。
それがこの茶番の真相でしたけど、まさかわたくしがそのまま王太子となったウィリバルト殿下の婚約者に据えられるとは思ってもいませんでしたので、心臓がうるさいほど大きく早く鳴っています。
ええ、わたくしはウィリバルト様に恋をしていました。
ですがわたくしは『王太子殿下の婚約者』です。叶わぬ恋と諦めていました。
それが、思わぬ事で叶ったのです。
わたくし、今日ほど転生できて良かったと思っておりますわ。
だって、前世では発表こそしていませんでしたが、原稿は途中まで書いていたのです。
プロットは詳しく作っており、キャラ設定もウィリバルトはかなり詳しく作り込みました。
ウィリバルトは前世のわたくしのイチオシキャラだったのです。前世のわたくしの好みを全て詰め込んだのがウィリバルトです。どうして好きにならずにいられましょう?
ですので、『王太子の婚約者』であるわたくしは諦めるしかない、と心を閉ざしましたの。
それでも彼の事を好きですから、バッドエンドである三公爵の反乱の後にウィリバルトが王位簒奪するルートの芽を潰そうと動きました。
『影』を使い、情報と証拠の収集。
ウィリバルト殿下の心の傷をそれとなく指摘して発破をかけ、時には少しばかり優しくしてなんとか立ち直らせました。
でもまさか、ウィリバルト殿下がわたくしを好いてくださり、諦めようとなさっていたなんて思いもよりませんでしたわ。
その後、レーリヒ子爵令嬢のドレスを汚したのも彼女の自作自演とわかり、レーリヒ子爵令嬢は王族を誑かし、王権を脅かして反乱を誘発しそうになった、として国家反逆罪と不敬罪、誣告罪、名誉毀損罪、と多くの罪状が積み上げられ、処刑されました。
そしてレーリヒ子爵家は、娘の言動がおかしかったのにそれを止めなかった事でお取り潰しになりました。
ジョアン・キュンベルは廃嫡され、キュンベル伯爵家は弟のクリスチアン・キュンベルが継ぐ事になりました。
伯爵家は降格処分と、一部の領地没収になりましたが、マイネル家よりはマシだと、キュンベル伯爵は粛々と受け入れたそうですわ。潔いですわね。
コンラッド・マイネルは、横領罪と窃盗の犯罪教唆で奴隷落ち。鉱山労働者として隷属の魔術で逃げられない様にされて過酷な北の鉱山に送られました。
マイネル伯爵家は降格処分、領地の一部没収に、更には王都へ今後三十年出入り禁止を申し付けられました。
マイネル伯爵は陛下の前で崩折れ、どうかお慈悲をと取り乱しておいでだったそうですが、陛下が頑として肯かなかったそうです。
イアン・クラウゼヴィッツ様は、父親の宰相の補佐として宮廷で仕事をしています。たまに愚痴を吐きに来ますわね。
その他のレーリヒ子爵令嬢と関係のあった男子生徒の家は、婚約者の女性の方から婚約破棄を申し入れられ、多額の賠償金を請求されて落ちぶれて行きましたわ。
そして、この王国では更に、婚約者のいる男性にすり寄る女性は娼婦と同義だとして忌避されるようになり、そんな女性と懇意になる男性は誠実さの欠片もない最低な男として扱われる事になりましたわ。
二年後、ウィリバルト殿下とわたくしの婚礼が執り行われ、わたくしは王太子妃になりました。
そして、更に五年後には三人の子供に恵まれました。
王子が二人に王女が一人。
更に、今わたくしのお腹には四人目が宿っています。
わたくし、こんなに幸せでいいのでしょうか。
「エル、何を考えている?」
わたくしの旦那様であるウィリバルト様は、先日、前国王陛下から譲位され、即位して国王陛下にお成りになりました。
前王陛下は、今は離宮にお住まいになり、時々孫の相手をしてくださいます。
「ウィルが国王陛下になられ、わたくしが王妃となった事が、まだ信じられませんの。夢のようで、でも子どもたちに恵まれて、幸せだな、と思いましたわ」
「可愛い、賢いエル。君はいつも私を翻弄するね。そんな可愛い事を言われたら、我慢が効かなくなるよ」
「陛下、お腹には四人目がいますのよ。我慢してくださいまし」
「わかっているよ」
ウィリバルト様はあれからわたくしを溺愛し、それは宮廷どころか国民全てが知るところとなっております。
恥ずかしいですが、嬉しくもありますの。
『悪役令嬢』なのに、こんなに幸せでいいのかしら、とも思いますが、前世で小説が未完だったお陰でこんな人生になったのなら、テオドール様に見切をつけ、わたくし自身の無実を証明する為の証拠集めという足掻きをして良かったと思えますわ。ええ、ここが乙女ゲームの世界だと気が付いた以上、大人しく『悪役令嬢』なんかになる訳が有りませんわよね?
本当に、わたくしは今、とても幸せですわ!
〜das ENDE〜
大人しく『悪役令嬢』になる訳がありませんわ! 木花未散 @konohana_sakuya815
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