唐紅を背負う一族 十五
落雷の激しい光が鳳凰の間を包み込んだ。
「祝融様!!」
天雷の激昂とも言える光が、窓の外でも幾度となく地上へと舞い降りる。稲光が窓から入り込むたびに燼の顔を幾度となく照らし、静かに倒れゆく祝融へと侮蔑を向けた。
赤黒い床が波打って、その全てが祝融へと殺意とんなる。彩華への意識が逸れ、彩華は燼へと矛を向ける。斯くも龍となった右腕が怒りのままに力を振るおうと唸る。
龍の右腕を鞭の如くしならせ、矛を燼の心の臓目掛けて
勢いは死に、彩華は殺気を込め背後を振り返る。そこには見上げる程の赤黒い姿の業魔が左手で矛の柄を掴み、もう一方の腕は今にも彩華を捻り潰さんとして大きく腕を振り上げていた。
「邪魔だ!!」
彩華は矛を手放すと、軽々と業魔の一撃を軽く背後へと跳んで躱わす。
その空虚な手には、龍の力が籠る。威嚇さながらに牙を剥き出し爪を研ぎ澄ませた。
獣しかり。唸り声でも喉奥から響かせれば、正にそれであろうか。
右腕の筋肉が軋むと共に、矛を取り返さんと床に撃ち付けられたままの業魔の右手へと爪を立てた。肉を抉り、人の太腿の太さ程ある指を難なく捩じ切る。
龍の姿そのままの腕は、その力もまた龍のままであった。
痛みか、業魔が吼える。
彩華がその手から矛を取り返すと、彩華は業魔の腕を駆け上がった。と同時に、取り返した矛を赤々と光る目に向かって投擲した。
ざくり、と業魔の右目ど真ん中に矛が突き刺さる。業魔はまたも吼えた。痛みで背をのけ反らせ、右目を庇う様に左手で顔を覆う。
業魔の首がガラリと空くと、彩華は喉元へと飛び込み右手の爪を深く喰い込ませた。深く肉を抉り、切り裂く。生々しい肉の生暖かい感触が右手に伝わるも、彩華は難色どころか僅かな嫌悪を示す事もなく、咽頭を掻っ切っていた。
黒い血が溢れ出しても尚、彩華は顔色を変えず、痛みで暴れる業魔を翻弄した。
目の次は首。激しい痛みを堪えながらも業魔は必死で彩華を捉えようとするも、軽々と逃げられる。するりするりと曲芸師の如く業魔の眼前を飛び跳ねて、彩華は矛を取り戻すと直様業魔の
そのまま床へと叩きつけ、ドオオォォン――と血溜まりに巨体が倒れ込む。しかし一体を倒したと思ったらまたも、床に広がる赤き血がそこら中でボコボコと騒ぎ出し始めた。
彩華は舌打ちすると共に、入り口へと顔を向けた。
「左丞相閣下、軍部を……どなたか将軍を呼んで下さいまし!これでは被害が増えるだけです!」
彩華の危機せまる声色がなくとも、状況は十二分に伝わっている。しかし、左丞相の顔色は芳しくなかった。
「無理だ、都でも再び――」
左丞相の声を遮る様に、膨れ上がった血溜まりから、身体を引き摺りまたも彩華の完全に巨躯なる業魔が這い出た。しかも一体ではない。そこら中にあった亡骸を飲み込んで、同時に何体も姿を現したのだ。
――くそっ、
彩華は毒吐き業魔へと意識を向ける中も、一切動かなくなってしまった祝融を一瞥する。
「祝融様!!!」
燼が祝融を見下ろし、今にも手にかけようとしている。彩華はゆっくりと向かいくる業魔の群れを掻い潜り、祝融の元へと駆け抜けた。
それこそ、姿を龍へと転じ燼へと牙を向ける。
地を這う様に飛び、尾をしならせ業魔を弾く。
彩華は守るべき者の為、
後悔するだろう、と理解していても祝融の死もまた受け入れられなかったのだ。
血を這う蛇の如くしならせた龍が、燼へと大きく口を開け、そして――がぶり。
燼を噛み殺そうと、その口を、敵意のままに閉じようとした――だが。
燼はゆっくりと彩華に向けて振り返っていた。ゆったりと微笑み、朗らかに笑う。
燼、そのものだった。
決意が鈍る。
彩華のほんの些細な迷いが一瞬の遅れを生み、その遅れは彩華の動きを縛った。
――動かない……
彩華は燼へと牙を振り下ろす事も牙を納める事できなくなっていた。動けず、口を閉じる行為すら許されない。
しかし目は動く。燼でなくなった、その存在へとギロリと鋭い視線を送る。
背後では業魔が彩華の長い胴へとにじり寄っていた。尻尾で弾いただけで、時間稼ぎ程度の損傷しか与えられなかったのだろう。
彩華は死を覚悟した。その覚悟はいつだってある。だが、できれば祝融だけは――
思い通りに動かない己の身体に苛つきを覚え、なんとしてでも一矢報いてやろうと、ぎちぎちと筋肉の繊維一つ一つが唸るほどに力を入れる。
だが、彩華がもがけばもがくほど、
憎しみもなく、まるで聖人が如く。
『美しくも
燼でない、深い声がゆったりと彩華に語りかけた。
『殺すには忍びなく、今一度眠れ』
その言葉と同時か、彩華は己が意志に反して人の姿へと戻っていた。そして、戸惑う余地も無いままに、意識が遠のく。ふらりと身体がぐらつき、力無く膝を突き手を地に落としていた。
四つん這いで、今にも平伏してしまいそうになりながらも、彩華は上を見上げた。いや、睨め付けた。唇を血を流す程に噛み締め、首を垂れぬと今にも気を失いそうになりながらも耐えていたのだ。
『……眠れば、夢の中で安らかにあれたものを』
燼は彩華へ哀れみにも似た目を落とし嘆息を零したかと思えば、くるりと背を向けた。
その先には、倒れた祝融の姿。
――動け、動け、動けっ!!
爪は床石を砕き、自らを食いちぎらんとする程に牙を立て、彩華は己を奮い起こす。神の威神を前にして畏れなど、とうに消えていた。
「祝融様!!!」
咽頭から振り絞った声が、鳳凰の間に響き渡った。
◆◇◆
祝融は混濁とする意識の中を揺蕩った。
眠りとは違う。彩華の声がしっかりとそこにあるのに、動けない。
身体が痺れ、ままならない状況の中でも目だけはしっかりと動いた。その時、唯一除けたのは、変わらず無為なる姿を見せる祖父だった。
置物にでもなったかの様に微動だにせず、粛々と祝融を視界に入れるが眉ひとつ動かさない。
無感情な姿に、祝融もまた何も感じなかった。
言葉も浮かばなかった。
本当に血縁としての、祖父と孫としての関係があるのかもわからなくなりそうでならない。そうしている内に、彩華の叫び声が間近で轟いた。
龍の姿が見えた気もしたが、不明瞭に限られた視界では判ずる事も出来ず、気づけば再び燼が祝融を見下ろしていた。
幼い頃から見守ってきた面影を失い、誰かも判らぬ姿で祝融を宿怨の眼差しで絡めとる。
洛嬪を殺した。そればかりは、否定できない。
祝融は禍々しいその目に込められたものは洛嬪の一端だけで無いと察しても、自らが責め立てられる根拠を探す事もなく受け入れた。
――己が知らぬ何かがあるのだろう
その程度の言葉が浮かぶ。
もしも、これで終わりならば燼は生きられる。
祝融はそれまでかなぐり捨てたかった天命とやらが手を離れる、と僅かばかりに期待を寄せていた。
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