十六
朝には、完成した櫛を持ってセイライへと向かう予定だった。最悪、事態が収まるまで孫娘を預かってもらえればそれで良い。奉公に出すでも良い。
孫娘も、一時的だからと説得した。後は、朝日が昇ると同時に反対側への渡し舟がある所まで向かうだけ。その筈だった。
朝、目が覚めると、隣で眠っていた筈の孫娘の姿が、跡形も無く消えていた。残されていたのは、いつも身につけていた狐の半面だけ。
「
寝台に温もりは無く、時間も経っている。冬心は慌てて、隣近所を探し回っては聞き込みをした。
誰か、孫娘を見なかっただろうか。冬心は村中を探し回ったし、その騒ぎを聞きつけた近隣の者達も手を貸したが、手掛かりの一つも見つからないまま姿は跡形も無く消えてしまったのだった。
その時、ふと誰かが呟いた。
『河伯に連れてかれちまった』
神隠し。たった十四歳の少女が、祖父を置いてどこかに行ってしまったとも思えなかったのだろう。その言葉は、孫娘を探し回っていた者達に広がり、更には――
―キュウセンの奴等が河伯を怒らせたのだ
そんな噂話まで広がり始めたのだ。河伯の怒りを買い、その代償に人が消えているのだと。
その噂を皮切りに、様々な憶測が飛び交う様になった。
―俺が聞いた話だと、河伯は洛嬪を探していると聞いたぞ
―その末裔を探しているのでは無くてか?
―再び、伏犧の怒りに触れたとも……
―洛嬪が蘇り、生贄を求めているのだとか
そのどれもが、只の噂だ。本当の様で、嘘の様で、人が人を惑わしているかの様で。
だが、もう、冬心にはどうでも良い事だった。
神隠しにあって、帰ってきた者はいない。孫娘――耀明の顔を二度と見る事もないだろう。
冬心は最後に造った櫛を、孫娘の仮面と共に女房や息子の肩身を仕舞っていた箱に閉じ込めると、櫛を造るのを辞めてしまった。
――
――
――
語り終えた冬心は、頭を押さえて俯いた。その重みは、きっと洛浪には計り知れない。知らぬ間に叔母も従兄弟も帰らぬ人となり、更には従兄弟姪も行方知れず。
洛浪は、母が亡くなった事も連絡はしていなかった。母の遺言で、あちらには伝えなくて良いと指示があったものを素直に鵜呑みにしてしまったのだ。
今となっては、後悔も遅い。洛浪は、沈む冬心の丸まった背に目線を落とすしかなかった。
その、丸まった背の下から弱々しい声が届いた。
「……お前は、不死だろうが……見た目は若い……連れと一緒に、さっさと帰んな」
この村も、キュウセンも危険だ。冬心の力無い姿に、洛浪は祝融に目線を送ると立ち上がった。どの道、これ以上は、話は聞けないだろう、と。
「……叔父さん、話して下さりありがとうございます」
そっと肩に手を触れる。仮面を取ってはいけないと言ったその時の冬心は、無意識にも洛浪を想っていた。
洛浪には、それで十分だった。
「また来ます」
計らずも冬心の心を突く、洛浪の口から出た言葉に冬心は顔を上げていた。半面で見えるのは口元だけ。それでも洛浪の口の端が上がって、ふんわりと笑っているのがわかる。
女顔と冬心の息子が揶揄した、幼い頃の表情が懐かしき記憶と共に甦り、冬心の目頭が熱くなっていた。
あぁ、姉さんに良く似てる。
冬心は、戸口が閉じる音がしても、去り行く甥に別れの言葉は告げなかった。
――
――
――
キュウセン
それとなく、龍人族と人の見分けがつく。
髪色が目立つからか、頭から外衣を被って、更に仮面を着けているものがある。
その姿に、雲景は何となしに、それが龍と思えた。
髪色が覗いたわけでも、金の瞳が仮面の奥底から覗いたのでもない。
ただ、何となしにそれが龍だと思ったのだ。
雲景と軒轅は、物静かな街の中、一番人が往来の多い聖殿の前の茶館の二階から、人を眺めていた。
高く付くが、話し声を最小限に抑えてなら会話が可能だ。
祝融達が、ジョウへと向かった事で手持ち無沙汰になったと言うのもあったが、頭を隠して歩く為、キュウセンは目立たないが……仮面までつけるとなると、息苦しくてたまらない。そこで、休息がてら茶館に入っていた。
男二人で顔を眺め合う訳もなく、目線は聖殿だ。
皇都の神殿を思わせる、荘厳という言葉が似合うその建造物は、古くより洛嬪と河伯を祀る為と言っても過言ではないのだろう。
二人も、その空気を味わう為に一度中へと入ったが、多神教であった筈の神殿とは違って、水神を推奨して祀る姿は、河伯と洛嬪を二神教と見間違いそうになる程だった。
毛色の違う、キュウセンは厳格とも言えるだろう。
だが、雲景の目には、違う様相に映っていた。
異教。
多神教である焔皇国で、経典の教えが全てとされている。聖殿で唱えられている祝詞は、経典で間違い無いだろう。それでも、雲景には聞き慣れたそれが、全く違う言葉に聞こえて仕方がなかった。
ただ、仮面をつけているだけ。
それだけの筈なのに、妙に心が騒ついていた。
「気味の悪い街だ」
今まさに雲景が内心で考えていた事を、軒轅がボソリと溢す。
「同感だが、口は災いの元。言葉には気をつけた方が良い」
「申し訳ない。だが、どうにも……」
「馴染めないか?」
雲景の正直な言葉に、軒轅は小さく「あぁ」と返した。
その目は、聖殿を離れ、より高い空を見上げた。雲よりは少しばかり下。目線を辿れば、あるのは煙突から立ち昇る煙だった。
「……ずっと、煙が上がっているな」
「火葬場……にしては長いな」
それも、不穏を呼んだ。自治される程度の街にしては、大きな煙突。雲景と軒轅は、長時間煙を眺めていた訳じゃない。ただ、いつ見上げても煙が上がっているのだ。
火葬場の炉の出来が今ひとつだと、時間が掛かるとは聞いた事があった。だがその場合、煙も黒くなるとも。
立ち上がる煙の色は、白……に近い灰色と言ったところだろうか。
その色は、よく燃えている証拠なのだ。そして、よく燃えたなら、人は一刻もあれば白骨と化すのだ。
一日中、煙が上がっている。それは、何体も立て続けに燃やしていると言う事になる。
もしかしたら、葬儀をまとめて行う手法が取られているのかもしれない……そう思わないと、ただ煙が上がり続けている様が、異常と思えてならなかったのだ。
雲景は、頬杖に肘を突き、もう一方の手は、熱い湯気の立つ茶を啜る。彩華がそばに居たなら、行儀が悪いと叱っただろう。その目だけは、異常と思わずにはいられない街を眺め続けていた。
「祝融様達は、ジョウ……という村に?」
「ああ、伊川の下流にあるとか」
雲景が目線を、変わり映えのしない聖殿の門前に落とした時だった。
一人の中年程度の男が仮面も着けず、聖殿へと向かっていた。
「おい、軒轅」
雲景が声を掛けるよりも早く、軒轅も同じ場所に目線を落としていた。
「あぁ、外部の者か?」
「それにしては様子が異様だ」
ふらふらと聖殿へと向かう足取りは、覚束ない。
異様な様子に二人は鬱陶しいと脱ぎ捨てていた外衣を纏い、仮面をつけると、平静を装いつつ、男を見失わない様に出来る限り急いだ。
勘定を支払い、男を追って聖殿に入ると、聖殿の中で、洛嬪に向かって男は跪き、叫びながらも訴えていた。
その男を、仮面を着けた人々が囲い、見下ろす。
「お願いです、どうか、家族を返して下さい。一体、俺が何をしたと言うのですか。娘達は、嫁になど行かせません。だから、返して下さい」
洛嬪は答えない。
暫く、男は続けたが、聖殿の奥より現れた神官と思しき者達に、何処かへと連れて行かれてしまった。それまで眺めていた者達も、無言にまま散り散りに消えていく。まるで、何事も無かったかの様に。
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