第27話

「おい、お前!人に戻れるか!?」


 軒轅は、人の姿に戻ると気を失っている鈍色の龍の鱗を叩いた。見た事の無い色だったが、今はそんな事はどうでも良かった。龍の姿のまま気を失うとなると、また、あの影に襲われる。龍を飲み込まんとする影にとって、格好の餌食だ。

 が、どれだけ声を掛けようとも、身体中にある傷の所為か、その瞼すら微動だにしない。


「くそっ……!」


 軒轅は、剣を構えた。鈍色の龍を守るべく前に立ち、影を待つ。


「(どうやって倒す?祝融様の炎が効いていたのかも分からない。どの道、俺に異能は無い)」


 額から、汗が伝う。業魔と向き合った事はあるが、それは、いつも隣に鸚史や薙琳がいた時だ。一人で、しかも、保護対象がいる経験など、一度もない。


「(いや、異能は無いが、俺も祝融様や鸚史様と同じ力が一つだけある……)」


 それは、殺す事は出来ない能力だ。

 龍人族で唯一、眷属神の末裔、黄家。主たる神は、麒麟。

 眷属神の末裔として、神から授かり血によって受け継がれる、封印術。いくつかの眷属神の末裔に受け継がれ、主たる家は姜家、風家、黄家だ。軒轅も、それを受け継ぐ者だった。

 軒轅は、ふう、と息を吐いた。ぶつぶつと、軒轅の口が動いては、呟いている。


「(雲景氏は、こちらへ近付いている。あの楠の男は、動いていない……)」


 二人の気配は、容易に読み取れるが、肝心の影はやはり気配が無い。

 どう動くべきか。そう考えた時、浮かんだのは師にも近い関係の鸚史だった。

 鸚史はいつも冷静だ。一瞬で機を読み、答えを出す。歴戦の経験がそうさせるのか、迷いは無い。そして、薙琳もまた勇猛果敢な様を見せ、軒轅は背後を着いて行くだけで精一杯だ。

 鸚史に比べ、技量も力量も足りていない今、果たしてどこまでできるだろうか。

 軒轅は、目を閉じた。感覚を研ぎ澄まし、僅かな気配を探る。

 燼は言った。訓練次第では、陰の存在の気配は容易に読み取れると。


『神々の影響を受けた陰が溜まった力を吐き出す瞬間、妖魔という形となって命が生まれる。業魔はそれが人の心というだけだ』

『……要は?』

『要は読み取るのは、神の力の残滓ざんしだ』

『……やっぱり分からん』

『肌が、雷が鳴る前みたいにピリピリする感覚さ。それが、指先の甘皮の先にすら感じる』

『それの方が分かり易いな』


 今必要なのは、繊細な感覚だ。燼はそれが生まれつき出来ると言った。恐らく、気配の消える影に対して、一番適しているのは燼だ。が、今は頼れない。

 燼に教わった通り、指の先まで神経を集中させる。

 

「(完璧に気配を消している訳でない筈だ)」


 陰に潜り、そこに身を潜め、こちらの様子を窺っている。

 燼の言葉通り、肌にピリピリとした感覚がある。それは一瞬にして気配を表した。幾重にも陰から黒い糸が張り巡らされて襲いくる。狙いは、軒轅に定まっていた。

 そして、その糸を切り捨てて行く中も、全ての気配を探り続けた。


「軒轅!無事か!?」


 雲景の声が響いた。雲景は黒い糸を切り裂きながらも、軒轅に近づく。


「その龍が目覚めない。連れは?」

「さあな……見捨てたのか、動かん」


 雲景は困り顔と共に、糸を切り続けた。打開策が無い。どうしたものかと思案するも、軒轅が声を上げた。


「雲景氏、祝融様が封手ふうじてを使われた事は?」


 何に、という事が欠けているが、状況を考えて一つしか無い。

 

「……あまり無い。常にかけ続けないと、効果が薄いと」

「では、効かない訳では無いな」


 軒轅の顔付きが鋭くなった。微かにだが、剣を持つ右手が、パチパチと閃光を見せる。

 

「この龍は私が守ろう。やってくれ」


 雲景が一歩下がり、鈍色の龍の盾になったと同時。軒轅が動いた。

 軒轅は、言葉に力を込めぶつぶつと呟き続ける。そして、それを剣に込めると、剣に稲光にも近い閃光が纏う。黒い糸を切り裂き、掻い潜り、地面へと突き立てていた。

 剣に纏っていた閃光は、辺りへと広がっていく。そして、それはある一点の陰を捉え、悲鳴にも似た声を上げていた。

 黒い沼が、広がるとその中から影が身体を引き摺りながら這い出てきた。


「(あれが、神血を持つ者の力か……)」


 血は、種類がある。人血じんけつ龍血りゅうけつ神血しんけつ

 姜家や風家といった眷属神の末裔が、人血と神血を持つ者ならば、黄家は唯一、龍血と神血を持つとされる。その血は、神威しんいを宿し、陰を封じる力を持つ。

 その血が陰に生まれた者を苦しめ、影の攻撃は止まった。


「雲景氏、剣を貸してくれ」


 軒轅は、這いつくばったままの影に目線を落としたまま、背後にいる雲景へ手を出した。既に、黒い糸は崩れ落ちている。雲景は軒轅へと剣を投げた。

 突き立てた剣は今も閃光が続き、影は呻き声を上げながら、軒轅に何かを訴えている。

 命乞いか、今も果てぬ欲望に囚われたままか。

 軒轅の目に、迷いは無かった。剣を影へと大きく振りかざすと、首は、ごろりと音を立て、地に落ちた。

 軒轅は地に突き立てた剣を引き抜くと、既に封印術の効果は切れて、閃光は無くなっていた。

 

「そういう使い方は、初めて見たな」

「なんとなくだが、影に潜っているなら使えるかな……と」

「なんとなくか。まあ、最悪一時でも封じれたなら良とは思っていたが」


 軒轅は、手応えの無さを感じていた。


「……大して強くは無かった。それもあるのだろう」


 弱い。確かに異能にも近い能力こそ、反撃すら出来ないものがあったが、一度、恐れをなして逃げ出した後は、弱体化したのかと思う程。


「(……祝融様の炎が効いていたのか?それとも、恐れたからか?)」


 軒轅は、目を落とし、既に形すら失くなった影に目を落とした。


「軒轅、妖魔の気配が強くなってきた。戻りたいが……」

「置いてはいけない……な。どうする、これ」

 

 二人の目線の先は、鈍色の龍。姿形があるならば、まだ龍は生きている。

 雲景は、楠の方角を見た。相変わらず、鈍色の龍の連れと思われる男は、楠からこちらの様子を伺うだけで、動く気配はない。


「(気味の悪い男だ……)」


 陰気な視線だけが、確かに龍を見ていた。


 ――


 金属のぶつかり合う音が響く。祝融は、剣を振るい爪を受け止めるも、普段偃月刀を振る力の比ではない負荷が、祝融に伝わっていた。


「相変わらず、馬鹿力だっ!」


 剣技や技量では、祝融の方が燼よりも遥かに上だ。が、人の姿ですら燼の腕力は異常だった。偃月刀を振り始めた時こそ辿々しいものがあったが、技量を補う様に、その剛腕を見せつける。その力の根源たる姿は、一切の加減を見せずに猛威を振るい、鋼鉄の如く鋭さを見せ、祝融を殺さんと一撃毎に殺意が込められていた。

 背後には、燼に躙り寄り、彩華が時を待っている。その目つきは鋭く、焦りも無い。

 剣撃がぶつかり合うよりも重い音を幾重にも鳴り響かせながら、祝融と燼の撃ち合いは続く。

 どちらも、隙を見せるのを待っている。

 そして、その剛腕に祝融の剣技が一瞬勝った瞬間、燼が僅かに後ろに下がった。

 隙を待っていたと、彩華が飛び上がった。背を蹴り上げ、矛を肩に食い込ませる。


「燼っ!!」


 一瞬、ピクリと燼の肩が揺れる。彩華の声は、微かに届いた。


「良い加減に、目を覚ましなさい!」


 ――

 ――

 ――


 黒い、黒い沼の中で、燼は呆然と天を見上げていた。浮いているのか、沈んでいるのかも分からないまま、波に揺られている。その目は焦点を捉えず、その暗闇すら映してはいない。憎悪の濁流に呑まれ、精神は虚い漂うままだ。

 燼の指先が何かの気配に反応して微かに動く。

 それは、変わらない姿で、虚う燼を見てにやりと笑う。沼の上を何気なく歩き、燼を見下ろしている。


「どうした、覇気がないな」


 人の心を操り、思うままにする男は、かくも楽しそうに笑っている。虚な目が微かに揺れた。


『何が……目的だ……』

「何、余興だ。優美な虎の姿が醜く変わる様は、圧巻だったろう」


 それが見てみたかった。

 男は、その為に命が一つ犠牲になった事など、気にも留めず笑い続けている。


『……今度は、俺に何をさせたい』

「邪魔をするな……それだけだ」


 不意に肩に鈍いが痛みがある。その感覚に引っ張られる様に男が遠くなった。不敵に笑い続ける男は、暗闇の彼方へと消えて行く。そして、燼も又、目を閉じた。

  

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