第8話
「叔母上、燼が目覚めない。神子王扈であれば、何かご存知の筈。至急連絡を求める」
窓際で、祝融が語りかけた言葉を乗せて、神子瑤姫がいる皇都へと、志鳥は飛んで行った。
祝融は、志鳥の姿が見えなくなると、背後に目を向けた。その目線の先には、寝台の上で、ピクリとも動かない燼の姿がある。気だるそうに近づき、傍に用意された椅子に腰掛け、燼の首筋に手を当てれば、規則正しく脈打つ感覚が男が生きているのだとか告げていた。それが無ければ、死体同然の男を祝融は眺めた。
「燼……お前、今、何処にいる」
何処とも知れない、夢の果てを彷徨う男に問い掛ける。当然返答は無いが、その代わりとでも言う様に、一羽の志鳥が、背後から祝融の肩に舞い降りた。
『薙琳が姿を消した。悪いが、暫くは薙琳を探す。先ずは薙琳の故郷がある桜省南西部の山間に向かうつもりだ。……なぁ、祝融。燼と薙琳、同時に事が起こった。これは、
鸚史の声で不穏を告げた志鳥は消えた。
予想以上に問題は大きく揺れ動いている。夢の世に関しては、祝融は無知だった。と言うよりも、この世に無い場所とあって、一切の手段が講じられない。祝融の知る限り、その力を持つのは神子と目の前に眠る男だ。夢見の力を持つ者は探せばいるのだろうが、見つけたところで解決の糸口になるかも分からない。
そして、もう一つの問題も生まれてしまった。永く付き合いのある薙琳の失踪。
薙琳は、祝融も良く知る女であり、付き合いも長い。若き頃より、何かと力になってくれた人物で、気心が知れた仲と言っても過言ではなかった。
平民でありながらも、誰に対しても遠慮がない薙琳は、臆さず祝融と接し、よく静瑛に叱責されていた。もちろん、それで素直に言う事を聞くかと思えばそうでもなく、彼女は態度を改めなかった。そんな、快活な女の姿が祝融には見ていて清々しいものだった。何よりも、勇ましく虎の姿で駆け回る姿は、誇りある獣人族そのものを体現していた。
そんな、過去の記憶が、祝融の中に堂々巡りの様に蘇っている。過去を思い起こす程に、鸚史の言葉が頭の中で根付き続けた。
―これは、偶然か?
偶々、二人同時に、それぞれ問題が起こったと考えるべきか、別の場所にいる二人が同じ問題に突き当たったと考えるべきか。
その答えを知るのは、矢張り、目の前で眠る男だ。そして、もう一人の答えを知る者からは、果たして返答は得られるのだろうか。
悶々と、答えのない問いかけを考えていると、扉が何の伺いもなく開いた。扉の隙間から顔を見せた女は、いつも通りの澄ました顔を見せていた。
「祝融様、此方にお見えだったのですね」
「あぁ、これといって、変化は無いがな」
彩華は、様子見に来たのか、祝融の隣に立つと、じっと燼眺めるだけだった。
落ち着いている。何年も前に、燼が大怪我を負った時は、彩華は取り乱し、燼が目覚めるまで側を離れなかった。今は、その片鱗もない。眠っているだけと理解しているからにしても、その表情は祝融から見ても普段通りで少々、妙だった。
「今回は、あまり心配していないな」
その言葉でも、彩華の表情に大した変化は無かった。小さく、相槌を打ったかと思えば、ぽそりと本音が溢れていた。
「燼の役目を思慮すれば、いずれ目覚めるかと」
冷淡とも言える考えだった。その言葉の裏に隠されたのは、「特に心配などする必要は無い」。祝融にはそう聞こえていた。
「燼の使命は複雑です。私が介入する余地は無いでしょう。ならば、待つのみです」
人の考えは些細な事で変化する事がある。彩華にしてみれば、自分が拾った子供に使命があるなど考えもしなかっただろう。偶然と取るか、神意と取るか。その冷静な姿は、彩華の心の奥底を浮き彫りにしていた。それ故に、淡々と述べる姿は無情にも見えるが、普段の態度は何ら変わらず、今も様子を見には来ている。単純に、冷静に状況を捉える視点を得たとも言えた。
「皇都に戻る予定でしたよね、如何されますか?」
眠ったままの大人を抱えたまま、龍の背に乗って飛ぶのは、少々骨は折れるが出来なくはない。急ぎの案件でもあれば、それも一考しただろうが、丁度手は空いていた。
そして、現在滞在している場所は、鸚史が向かうと言った先から然程距離もない。
現状を考慮すると、止まる事が最良に思えていた。
「暫く戻れないと思ってくれ。もしかしたら、そのまま次に指示が入る可能性もある」
「何か別の問題でも?」
「雲景がいる時に話そう。あいつは今何処に?」
「仮眠を取っています。呼びますか?」
「……いや、起きてからで良い」
夜は、彩華と雲景が交代で燼の側に付いた。何も無ければそれまでだが、
「神子王扈とは、連絡が着きませんか?」
「あぁ、先程、神子瑤姫にも連絡を取ってみた。返って来るかどうかは、分からんがな」
流れが悪い。祝融はそう感じながらも、何もできない状況が歯痒かった。思案を巡らそうにも、答えを導き出す為の要素が、あまりにも少ない。そして、その要素を知る人物達は、悉く姿を消すか、物言わぬ状況へと追い込まれている。
―これは、偶然か?
再び、鸚史の言葉が脳裏に過ぎった。
偶然である筈がない。祝融の中で、
――
――
――
皇都 金聖廟
神々の神威を体現するかの如く、金細工が細やかに飾られたそこは、視界が霞む程に香が焚かれている。神々の偶像が見下ろす中、聖廟の中央に置かれた祭壇の上に、王扈が深く眠っていた。その四方には、四人の神子がそれぞれ、眠る女を見下ろしている。瑤姫は、王扈の頬を両手でそっと包み込んだ。
「愚かな選択をしましたね」
物悲しげに、優しく触れる手は震えている。王扈も又、燼と時を同じくして、目覚めない。哀れな末妹の姿に、
その中で、
「瑤姫様、助ける事は出来ないのでしょうか」
「
「では、待つしかないと?」
「……我々が動けば、警戒されます。代わりの者を遣いに出しましょう。……
金聖廟の奥、吊るし行燈の灯りも届かぬ暗がりで、一人の少女が姿を表した。幼い顔つきに、緊張からか、噤む口元はあどけなく、まだ成人前を思わせる。
「お呼びでしょうか」
肩まで伸びた髪を揺らしながら、見様見真似で身につけた作法で頭を下げると、髪飾りの鈴がリンと鳴った。
「祝融殿下より、御助力を頼まれました。桜省へ向かって頂きます。良いですね?」
「わかりました。私の力が役に立つのであれば」
背筋をピンと伸ばし、幼くも、その目には強い意志が宿っていた。
「
巫である彼女達は、神子の世話を任された者達だ。神子にその身を捧げ、生涯尽くす事を使命として、神殿で暮らしている。時折その中に、夢見の力を持つ者が現れる事がある。その力故、神殿に導かれたと言う者もあるが、その力を持つ者は、より神子に近い場所で、その身を費やすという。四飛も又、夢見の力を宿した者だった。
「幼い貴女を向かわせるのは、少々憚られますが、その力は確かなもの。どうか、我らが姉妹と弟を助けて頂けますか?」
「勿論です」
四飛は、儚く佇む女達を前に、強く頷いたのだった。
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