第四章 白き山と永遠の冬

第1話

 冬。

 この季節、山が眠り、妖魔が鎮まる時、人が動く。

 吹雪だろうが雹が降ろうが皇都に来ては、荷馬車一杯に詰んだ荷物を売り捌く為に、商人達が意気揚々とやって来る。どの季節よりも物で溢れては、物珍しい物が並ぶ季節だ。

 大通りには露店が広がり、暇を持て余した貴族達はこぞって珍しい品を買い漁っては自慢し合うのだ。

 それに便乗して粗雑な品や精巧な模造品を売り付ける者や、適正価格を無視して暴利な値で商売する者も珍しくは無い。目利きも試され、毎年の様に問題が起こっては騒動になるのも定番だ。

 平民街でも同様に騒がしくなり、市場は見慣れぬ商人と品が並ぶ。冬場は楽しみが少ないとあって、節制して生きている平民達にとっても、祭り同然であり、自然と財布の紐も緩んだ。

 そんな平民街を、雪がちらほらと舞う中、燼はいつも以上に気が抜けなかった。前を行く婦人に何かあれば、燼の首は胴から切り離される事は間違いないのにも関わらず、本人は物珍しそうに市場を除いている。その隣を行く侍女の桂玉けいぎょくも、平静を装っているが、内心、口から心臓が飛び出そうな程に焦っている筈だ。

 出来れば燼も、こんな状況など逃げ出し帰りたい所ではあるのだが、婦人……主の妻、槐を置いて帰る事も出来ず、只管に周りを警戒するばかり。


「奥様、帰りましょう」


 桂玉が何度同じ言葉を口にした事か。それでも槐が頷く事はない。


「良いのよ。もう少し見て回りましょうか。何か欲しい物があったら言って頂戴ね」


 本人は呑気だ。そう装っているのかもしれないが、燼や桂玉にしてみれば、そんな余裕は微塵もない。桂玉も平民街は初めての様で、きょろきょろと辺りを見ては動きが挙動不審だ。不安からか、槐の隣を歩きながらも、燼が背後にいるかを何度も確認している。

 貴族街と違って、騒がしい者たちも多い。悪漢が必ずしもいる訳でも無いが、外套を纏っているとは言え、明らかに貴族の姫君が堂々と歩いているとなると、悪事が脳裏に浮かぶ者もいるかもしれない。しかも護衛は一人だ。

 どんどんと人が増える中、流石にこれ以上は拙いと一度、燼は槐に近づいた。


「奥様、せめて貴族街に戻りましょう。そちらであれば、我々も安心出来ます」


 燼は不躾と分かっていても、進言せざるを得なかった。腕っ節は自信があっても、護衛の経験は無い。何より、人が多すぎる。せめて貴族街であれば、皆婦人と同様に護衛やら侍従やら従者を引き連れているだろうし、運が良ければ婦人の顔を知る者いるだろう。

 

「其方に用事はありません」

「護衛は俺一人では不十分です」

「燼の強さは知っています。只人では私に触れる事も出来ないでしょうね」


 何を言っても、にこにこと和やかに笑って返す。淑やかに見えて、中々強情だ。流石は主の妻と言った所なのだろう。

 一筋縄では行かない。燼は、顔を強ばらせた。

 

「此処は人が多過ぎます。俺は護衛に関しては素人も同然。もしもの場合、奥様と桂玉様を同時にお守りする事は不可能です。その時、俺は奥様の身の安全を優先しますよ」


 少々強引ではあったが、それまで微笑んでいた槐の眉が僅かに動いた。だが、最も効果的であり、最も現実的な言葉でしか、この御婦人を動かす事が不可能である事は分かりきった事だった。

 

「嫌な言い方をしますね」

「気分を害されたのであれば、謝罪致します」

「いいえ、分かりました。では、神殿に行きましょうか。そちらであれば、燼も桂玉も安心できるでしょう?」

「……そうですね、神殿なら問題無いでしょう」


 流石と言うべきだろうか、内心不服と思っているかもしれないが、槐の顔の表情は穏やかで読み取る事は出来ない。

 そもそも、槐の計画に燼の存在は無かった筈だ。燼は貴族街で偶々、槐と出会しただけだった。最初は只、貴族街の露店でも見に来たのかと思ったが、桂玉の青ざめた表情が全てを物語っていた。燼が護衛を申し出ると、適当に流し不要だと言う槐に対して、桂玉は反論しない代わりに全力で首を横に振っているではないか。桂玉も、小さい家だが貴族の令嬢だ。今の状況に、口に出せない不安を顔一杯に広げ、何とか燼を引き留めようと必死だった。

 だが、今の所、槐の目的は何一つとして知れない。不用心な人物とも思えず、妻が宮から姿を消した事を、主が早く気づいてくれる事を願うばかりだった。

 

 ――


 皇都カラン 神殿 祈りの間


 神々に手を合わせ、首を垂れる槐と桂玉けいぎょくを、燼は苦手な香が漂う拝堂の中でじっと待った。市場に人が集中しているからか、参拝者は少ない。燼としては、安心も出来たが、この後如何するかが問題となっていた。大人しく神殿に留まっていると言う約束をした訳でも無いし、した所で拘束力は無い。燼では、槐に触れることすら叶わず、無理やり連れて帰るなどもっての外だ。神殿に遣いを出してもらうにも、槐が止めるだろう。

 頭を悩ませるも、暫く槐が満足するまでは付き合う事が何より安全であると考えるしか無かった。


「(昼から鍛錬の筈だった。彩華はとっくに向かっただろうし、その頃には流石に祝融様も気付くだろ)」


 むず痒い鼻を掻きむしりたい衝動を押さえながら、槐から目を離せずにいると、ふと幼い頃を思い出した。

 まだ、皇都に来て間もない頃、彩華は忙しく、家で一人で過ごす事が当たり前の日々。そんな中、彩華が居ない時に限ってやって来る来客があった。

 淑やかで、物腰の柔らかい女。龍人族とは、違った雰囲気を放つその貴婦人は明らかに身分は高いが、彩華の友人を名乗っては、燼を家から連れ出しては何かと世話を焼いてくれたのだ。

 成人して祝融の宮に招かれて初めて、それが祝融の婚約者、槐であると知ったが、槐はただ微笑むだけだった。

 あの頃も、槐は護衛を連れていなかったが、時が経ち祝融の従者となった今、それがどれだけ危険な事かを理解してしまった為、尚の事放っては置けない。

 穏和だが、主人と同様に二面性を持っている。淑女を思わせる見た目からは想像もできない程の強かさが、槐にはある。恐らく、槐もある程度の剣の鍛錬を受けている為、腕に自信があるからこそ一人で行動しているのだろうが、それを良しとされない立場なのだ。


「(何を考えてるんだろうな……)」


 桂玉の慌てぶりから見ても、いつもの事では無いと悟れる。十年ほど前ならば、只の風家の令嬢だったが、今は皇孫の一人の妻。僅かな差ではあるが、その差は大きい。


「(祝融様は、敵が多いんだよな……)」


 数年前、風家の事件があってから、皇宮での敵意は増していた。風家の揺らぎの余波は大きく数年経った今でも波紋は残っている。皇宮に暮らす槐が、その事を知らぬ筈も無いだろう。今見えるのは、懇々と神に祈る姿だけだ。


 ――

 ――

 ――


 皇宮の敷地で外宮と呼ばれる区画。そこで宮を与えられるのは、姜一族の中でも、神農からニ親等までとされている。神農の子は皇宮敷地内に住む為、現状神農の孫の内、七人が外宮で暮らしていた。

 その一人、祝融も中々帰れぬ家だが、宮を頂戴し、槐に管理を任せていた。

 それぞれが独立している為、干渉は殆どないが、槐が時々親族の婦人らによる、お茶会に招かれる程度の付き合いはあるのだが、その本質は夫に代わって腹の探り合いに他ならない。

 身内とて、気は抜けない。特に、槐は祝融の不在が多く、気弱な姿を見せれば狐の化かし合いに負けてしまう。隙を見せれば、化かし合いでは済まなくなる。時々、皇宮勤めの官吏になった兄の鸚史が槐の様子を見に訪れる事はあっても、槐が実家に帰る事はない。それこそ、弱味でしかないからだ。

 槐の姿は堂々としたものだった。流されず、情報を集め、敵を見極める。強かに、そして厳かに、その様は天命を受けし者と言われた男の妻として相応しい姿を体現していた。

 

 そんな第八皇孫の宮の敷地内。祝融、雲景、彩華の三名が小さいが鍛錬場に集まっていた。

 寒空の下、仕事が減る冬場でも気を抜かない為に鍛錬を宮の敷地内で行う予定だったのだが……始めようにも、顔を出さない人物が一人。

 

「彩華、燼はどうした」

「それが、市場に行くと言って帰ってこなくて……直接此方に向かったかとも思ったのですが……」


 燼は勉強は苦手だが、怠ける事は無い。彩華は、燼を叱った経験が無いというのは、そう言った事も含めてだ。特に体を動かす事に関しては、何よりも得意とする。そんな人物が、予定を忘れているとも思えず、皆が首を傾げていた。


「忘れて市場を彷徨ってる……とかじゃないよな」

「買いに行ったのは蜜柑だけです。それに、燼は人混みが嫌いですから、この時期に市場に長居する事は、まず無いかと」


 約束の時間は過ぎつつある。そんな中、風鸚史が姿を現した。その姿は、道楽者の姿は無く文官そのものだ。

 だが、その姿も一瞬で、堅苦しいと襟元を緩めては上着を適当に脱ぎ捨ててはその辺に放っていく。土で汚れようがお構いなしで、その衣の価値をそれとなく知っている彩華は静かに拾っていた。


「見学に来たのか?」

「槐に今日集まるって聞いてたからな。偶には剣振らねえと、鈍っちまう」


 とても、文官とは思えぬ言葉使いをしたかと思えば、傍で控えていた侍従に剣を持ってくる様に命じる始末。


「それで、始めないのか?」

「燼が来ていない」


 その言葉に、鸚史は辺りを見回すも、もう二人の顔なじみも見当たらない。


「静瑛と飛唱はどうした」

「間に合えば後で顔を出すそうだ」


 そうこうしている間に、時刻を知らせる鐘が二回鳴った。定刻になっても燼は現れず、祝融は始めるかと、口を開こうとした瞬間だった。滅多に鍛錬場に顔を見せない女官長が祝融の前に姿を現した。


「旦那様、奥様がどこにお出かけかご存知でしょうか?」

「……自室に居ないのか?」

「それが、お声を掛けても返事が無かったので、中を覗いたのですが、お見えになりませんでした。誰も奥様の居所を知らなくて、旦那様ならご存知かと……」

「桂玉はどうした」

「桂玉も見当たりません」


 女官長の言葉に、祝融の表情が一転した。頭を掻く仕草をしたかと思うと、目線を地面に落としている。


「おい、祝融……何した」

「いや、ちょっとな……」


 誰にも言わず、宮から消えたなら慌てても良い筈なのに、祝融は落ち着いているが、決して鸚史と目は合わせない。珍しくも、動揺した祝融の姿何か事情はありそうだと、彩華は前に出た。

 

「槐様を探すのでしたら、お手伝いします」

「いい、俺が行ってくる。この場は使っても構わんから、そこの暇な官吏の相手でもしてくれ」


 祝融は彩華と雲景を静止すると、指差したのは妹が姿を消したと言うのに、剣を振ろうとしている鸚史の姿があった。


「鸚史、頼むから異能ちからを使って此処を荒らすなよ」

「手練れの龍人族二人が相手じゃあ、確約は出来ないな」


 妹夫婦の家といえど、節度は守らねばならないのだろうが、鸚史にとって、冬場は祝融達が宮に戻ってきる頻度が高くなり、鬱憤が溜まりに溜まった鸚史にとって、絶好に憂さを晴らす機会でもある。

 祝融も義兄という感覚は無いにしても、友人の事情を思うと、それ以上強くも言えず、お目付役としては頼りない二人に任せるしかない。

  

「……雲景、彩華、悪いが頼む」

「承知しました」


 二人は応えるも、自信は無いだろう。特に、彩華は既に顔に出始めている。嫌な予感しかしないが、祝融は、急がねばならなかった。


「じゃあ、行ってくる」

「祝融様、お一人で行かれるのですか?」

「問題無い。皇都で俺に直接手を出す馬鹿は居ないからな」


 祝融の行先は既に決まっていた。宮を出ると、向かう先に迷いはなかった。

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