第16話

「燼君、神子様とお話しは如何でしたか」


 聖廟の外では、紹神官が控えたままだった。苦い顔をして現れた燼の顔を覗くも、ただ一言、「お茶でも飲もう」と言っただけで、何も聞かなかった。

 いつもの部屋で、いつもなら白湯を出す所を、神子の客としてもてなせるからと、紹神官自ら茶を振る舞った。


「俺に高級な茶を出しても、勿体無いだけですよ」


 冗談めいた言葉を口にするも、表情は授業の時に見せる顔とは違い、何か疑念を抱えたまま。

 それでも、教師と生徒の様で、僅かながらに友人と呼べるほどには言葉を交わした相手が気を遣ってくれていると思うと、気分も和らいでいた。


「何、燼君の将来性を思えば、安い品ですよ」


 そう言って、紹神官も湯呑みを揺らしては香りを楽しんでいる。

 皇族である祝融の家に招かれる度に出されるお茶は上等なものばかりだ。だから何気なくなら、それが良いモノであるかぐらいは判る。だが、燼には細かい味の違いが解らない。それが良いものであるとは判っても、何となくの感覚的なものでしか無かった。

 温かい湯呑みを握りしめ、中を除いた。そこに映っているのは、只人と変わりない姿をした男がいるのみ。

 自分が何者であるか知りたかった筈なのに、瑤姫の言葉を信じたくない自分がいる。


「(俺に信仰心が無いから、信じたく無いのか?)」


 あの夢の正体を、知りたかっただけだった。

 自分が何者かを、知るべきだと思った。

 あの男は何の為に、姿を表すのか、意味を求めたかった。

 神子にそれが問えたなら、答えは容易に出て、全てが解決するのだと思っていた。


「(祝融様の言う通りだった……)」


 祝融は、神子に会えた所で、解決するかは別だと言っていた。実際、何も解決していないどころか、状況は悪化している気がしてならなかった。神に使命を与えられただけならば、どれだけ安心出来た事か。それならば、自分が異質な存在でなく、神に施された力と飲み込めた。意味を求めた甲斐はあった。矢張り、そうだったのだと、より自身を奮い立たせる事すら出来ただろう。

 だからこそ、受け止めきれない現実を前に、神子の答えを否定する考えばかりが浮かんでいた。

 

「何やら、蟠りが増えた様ですね」


 湯呑みを見つめながら、悶々と考え込みすぎたのか。それとも、燼の顔が分かり易いからか。燼は、慌てて紹神官を見るも、変わらず穏やかな人物が座っているだけだった。

 ふと、考えてしまった。神を信ずる者ならば、神子の言葉をどう受け止めるのだろうか、と。

 

「……紹神官は、神子様の言葉は、全てが真と考えていますか?」

「言葉とは、人によっては力を持ちます。地位や身分、権威によって、その力は様々ですが、それは、あくまで人の言葉です。神子は、文字通り神の子とされています。人の胎を介して生まれてくる存在であり、神の存在を知らしめる為に我々人の前に現れるとも言われています」

「神子の言葉は、神言かみごとと同義だと?」

「信仰では、そうなりますね。ですが、訊ねたいのは、そういう事では無いのでしょう?」


 いつの間にか、紹神官の表情は無くなっていた。

 紹神官から神学を学びながらも、その是非を考えようとしている。いい加減、紹神官に見放されても仕方がないまでに、愚かな発言だ。


「私は、君を良く知らない。獣人族でありながら、皇孫祝融殿下の従者と言う事は知っているが、所詮ただの情報です。そんな程度の関係の者に、君は神子の不審を口にする。それは、君が軽率か、それとも主人にすら報告出来ない事を言われてしまった……どちらでしょうか?」


 それまでにない、厳しい顔つきに燼は再び湯呑みに映る自分を見た。愚かで浅はかな男ではあったが、誰でも良かった訳でもなければ、同情が欲しいでも無い。

 

「……どちらも該当する様に思います。俺が浅慮である事は、俺自身がよく理解していますから」

「君の主人は偉大な方だ。それでも話せないと?家族にも?」


 燼は答えられなかった。死んでも良いと思っていた筈なのに、それを祝融に伝える事を躊躇しているのは確かだった。神子は祝融に話すだろうか。もし、彩華にまで伝わってしまったとしたら、彩華は一体どんな目で自分を見るのだろうか。

 それが、何よりも恐ろしい。

 

「……俺は、不可視の存在よりも、信じている者がいます。家族とも、友人とも言える存在です」

「ふむ、絶対的な存在ですか。血縁では無いのですか?」

「種族すら、違います。彼女が居なければ、俺は此処に居ません」


 心酔や狂信では無い、確かな信頼。身近な存在の様で、それ以上。


「それが、君が神を信じれず、神子の言葉を口に出来ない理由だと?」

「俺は、神よりも、主人よりも、彼女に見放されるのが、何よりも恐い」


 燼は、思わず胸を押さえた。

 もしも、彩華に刃を向けられたなら――。


「俺、死ぬのは怖くないんですよ。一月前、死に直面しても、簡単に受け入れていました。でも、神とやらは俺が死ぬのは赦さない」

「君が死んだ所で、何も解決などしないでしょう。それこそ、君の友人が悲しむ」

「……どうでしょう。俺にとっては、絶対だけれど、彼女から見た俺は、足手纏いかもしれません。俺が、勝手に慕って、勝手に後をついてるだけなんです」


 燼は徐に掌を見つめた。子供の頃の様に手を繋ぐ事は無くなった。母か姉の様に温かった手の温もりは今でも覚えている。


「彼女は、主人に心酔しています。だから、俺も従者になった。そして、今日、俺にも使命があると知りました。とても、偶然とは思えない……神は、俺をから導いていたのでしょうか」

 

 全ての胸の内を晒した燼は、呆然と窓を見た。自分が進むべき道を見据えられず、無気力とも言える表情がそこにある。

 紹神官は小さく息を吐いた。

 燼の主人を知った今、彼に使命があるならば、それに追随するするものかとも考えたが、燼の今の表情からも、明らかに違う使命なのだと読み取れる。


 悩める若者であるなら、ただの簡単な助言で良かっただろう。

 だが、目の前の男は違う。恐ろしい程に重い使命を背負って生きねばならないのだ。

 ほんの一刻前まで、神子に対面する許可が降りたことを、僅かでも羨ましく思った自分の方が、余程浅はかである。とても、自分の持っているもので、彼を納得させられるだけの、人生経験があるとも思えない。

 紹神官は湯呑みの中身を味わいもせず流し込むと、再び口を開いた。


「神官として私が言える事があるならば、神の言葉をどう解するかは、人それぞれぞれだ。君のこれまでの人生も、導きと取るか、ただの偶然と考えるかは、燼君次第でしょう」


 結局、神を信じるかどうかの話になってくる。信仰心があれば導きと捉え、無ければ偶然と言う。何と都合の良い解釈だろうか。

 紹神官の仕事上仕方がない解答ではあった。答えを出すのは結局自分であり、経典通り信仰を試されているのだと考えるよりないのだと、燼は僅かに顔を背けた。だが、思いも寄らず、紹神官の言葉は続いた。


「ですが、私個人の言葉で言ってしまえば、どちらでも構わないのではないだろうかと思ってしまいますね」


 紹神官の口から出た言葉に、燼は思わず呆気に取られてしまった。

 

「……それは、貴方らしくない解答だ」


 そんな燼の顔を見てか、紹神官は何とも楽しそうに笑った。

 

「全ては結果がものを言う場合が有るのですよ。君が前に言っていたでは無いですか。良い方向に事が進んだものを神の手柄にしているだけでは無いのかと……見る方向、見る人、聞く人によって、解釈が違うなどと言う事はよくある話だ」

「それでは、俺は何の為に神学を学んでいるのでしょう」

「知識は必要でしょう。神を知らずに、ただ否定するでは、無知でしかない」


 確かに、燼は学ぶ事にも否定的だった。向いていない、理解出来ないと最初から諦め、目を逸らし続けた。

 

「……それを考えて、主人が学ぶ機会を与えたと?」

「純粋に時間があるなら、学ぶ事に時間を使えという事かもしれません」


 燼は思わず、二人に主人の顔が浮かんだ。口煩く言うのは静瑛だが、どちらも時間を無駄にする事を嫌う節がある。

 

「そっちな気がする……」

「兎に角、君は大事なものがあるのでしょう。運命にしろ偶然にしろ、その方への気持ちが変わらないので有れば、それで良いのでは?」


 燼は目を伏せた。

 そうだ、昔から何一つとして、大事な物は変わっていない。彩華に巡り逢えた、その答えで十分だった。

 

「確かに、貴方の言う通りだ」


 燼は冷め切った茶を飲み干すと、そこに迷いは消えていた。


「ありがとうございます。漸く腑に落ちた様に思います」

「お役に立てた様で、何よりです」

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