第11話

 二体の異形。先ほど切り落とした腕は、既に再生している。昔の記憶通りなら、業魔同様に首を落とせば良いだけだ。

 燼の目に、その二体は鈍間に写った。手足が長いだけで、これといって特徴もない。言葉か音かも判断つかない異音を出し続けてはいたが、のろのろと近づくだけで、何もして来ない。

 いつまでも、考えているわけにもいかなかった。燼は、の背後に回り込んだ。どちらか一体の首だけでも落とせれば――。

 だが、そう簡単にはいかない。の頭だけが一瞬で燼に向いたかと思うと、それまで顔の無かった頭から突如大きな口が現れた。牙を剥き出し、燼の腕を喰いちぎらんと、鋭い歯を見せつけてくる。伸びた頭が、燼の左腕に喰らいつき、鋭い歯が燼の肉に食い込んだ。鋭い痛みが走るも、肉が喰いちぎられないように、の頭を押さえ、力を込めて地に叩きつけた。僅かな隙で、燼の腕に喰い込んだ歯は外れたが、大した傷は負わせていない。はのそりと起き上がると、二体並んで大口を開けて燼を見据えていた。


「(次に隙を見せれば、喰われる)」


 禍々しい瘴気は放つが、殺気が無く、動作も機微が少ない為に、読みづらい。不用意に飛び出せなくなっただけでなく、慎重さも要求される。

 迷っている暇など無い。燼は再び前に出た。

 勢いに任せ、懐に飛び込んでは、の頭が動く度に間を置く。どちらかに向かうと、両方のが同時に動いた。燼の動作が少しでも遅れると、猛追が始まる。しかも、は殆ど、その場から動いていない。


「俺は、考えるのが苦手なんだよっ」


 対処が分からず、思わず本音が漏れた。泣き言を言っている場合でも無いが、手立てがない。どう考えても、燼の手に余るどころか、一歩間違えれば命を落とす。


「(……俺は、自分の命を惜しんでいるのか?)」


 命懸けな事など、最初から分かっていた筈だ。それこそ、祝融に仕える前から。何より、一度は首を斬られる覚悟もあったのだ。


「(今更、命を惜しんでどうする)」


 燼の目付きが変わった。より強く、鋭くなった瞳は、紅色に変化していく。

 止める者は居ない。燼は自分の中の何かが、自身を飲み込もうとする感覚を覚えながらも、今は気付かないふりをした。


――


 静瑛は長剣を地に差し、杖の代わりにしていた。ぜえぜえと荒い息が口から出続けては、言葉を発することすら拒絶している。大事な剣だが、座り込むと立ち上がれなくなりそうな程に、疲労していた。これ程までに疲れた事があっただろうか。

 何とか息を整え、顔を上げると辺りを見渡した。業魔と人の血がそこら中に広がっていた。省軍には大打撃だろう。ここには、将軍だけではなく、多くの武官も居たはずだが、生き残った者の中に無傷の者は殆どと言っていい程にいない。


「殿下、ご無事で」


 左腕から血を流しながら、唐将軍が静瑛に近づいた。酷い傷だが、その程度で済んだのは、彼の実力のお陰だろう。


「唐将軍も、無事で何よりだ。生き残りは?」

「半数が戦死致しました」


 城壁の破損は有っても、都には一体の業魔も入っていない。城壁に群がる無数の業魔に半数の犠牲で済んだのなら、上々だ。無論、悲痛な顔を見せる、唐将軍には口が裂けても言えないことではあったが。

 また墓跡が増える。犠牲無く終わらない事は最初からわかっていた事だったが、静瑛は唐将軍の顔を正面から見る事は出来なかった。

 なにより、まだ終わっていない。

 そこら中で、溜まった瘴気が漂う中、城壁の内側から異常な気配が一つ……二つ。


「戦える者は居るか?」

「……殿下、何を言って」

「私は、そこまで陰の気配に過敏な方じゃない。此方側の業魔に気取られ過ぎて先ほど気づいたばかりだが、中に何かいる」

「そんな……」


 唐将軍は生き残った者達を見渡した。皆疲れ切って、殆どが、その場に座り込んでいる。まともに戦えるも者がどれだけいるだろうか。生き残った者も、傷を負った者ばかりだ。軍としても、機能するかどうかも分からない。


 それは、静瑛も理解していただろう。それでも尚、落ち着いた様子を見せる。唐将軍は皇族と揶揄するつもりは無くとも、静瑛が恭しい身分で有る事が果てしなく遠い存在に見えていた。自分とは違う、高貴な方。

 それがどうだろうか。先陣切って業魔に向かったかと思えば、誰に守られるでもなく無傷の姿で此処に立っている。衣は業魔の返り血で汚れているが、それを気にする様子も無い。皇族として気高くも、此処にいる誰よりも、勇敢なる姿。天命を受けし英雄と称されるのは、彼の兄だけだったが、唐将軍の目には静瑛の姿もまた、英雄として写っていた。

 唐将軍は振り返り、気力が有りそうな者が二人目に付いた。


魏校尉ぎこういふう校尉!」


 名を呼ばれた二人は、一目散に唐将軍まで駆けてきた。

 一人は白髪金眼と、唐将軍と同じ白龍族の風貌だが、唐将軍よりも幼く小柄の女。もう一人は、細身では有るが、しっかりした体格を見せる只人の青年。どちらも屈強とは言えないが、疲れた様子も見えない。

 龍人族独特の落ち着きを見せる林校尉に対して、馮校尉は静瑛を前に、顔を強張らせ、緊張した様子を見せていた。其々が、静瑛を前に頭を下げ、唐将軍は小柄の龍人族を魏校尉、青年を馮校尉と紹介した。


「魏校尉は、将軍の候補にも名が上がった者です。馮校尉は若いですが、殿下と同じく異能の才を授かった不死です。平民出身で、少々不手際があるやも知れませんが、どうか大目に見て頂きたい」

「構わない。私の従者も同じく平民の出だ」


 静瑛は、悍ましい気配がひしひしと伝わる方角を見た。距離が離れているからか、それ以上の情報はわからない。


「すまないが、私の従者達が心配だ。急ぎたい」


 静瑛は再び二人を見た。真っ直ぐで、燼の様に使命感や正義感に満ちた目を見せてくる。


「唐将軍、こちらも瘴気は溜まったままだ。影響する可能性がある、警戒は続けてくれ」

「承知致しました」

「悪いが、二人は生きて返せるかは分からんぞ」


 静瑛の顔つきは険しいものだった。それが意図するものは、容易に想像できる。それは、校尉二人への警告でもあった。静瑛からしてみれば、使命などで命を落とす必要は無いと考えていたからだったが、対して二人は緊張こそ見せたが、死ねと同義の言葉に臆する事は無かった。


「殿下、発言をお許しください」


 それまで、黙って従っていた馮校尉が、口を開いた。訓練されているからか、落ち着き払った顔と、冷静な口調。

 静瑛も、それに答えた。


「許す」

「此処は我々の故郷にございます。命を賭けるには十分な理由です」

「私も馮校尉と同様です。何より、殿下と共の戦える事を光栄に存じます」


 兄の様に為りたいと思っていたのは、一体いつの頃だっただろうか。若く頼もしいその姿に、僅かばかりに、静瑛は心苦しさを感じていた。


「では、行こう」


 その言葉で、魏校尉は龍へと転じ、静瑛と馮校尉を乗せて、飛び立った。

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