第10話

郭家当主叡齋えいさいは、鉱山の入り口の前で、そわそわと行ったり来たりを繰り返していた。

鉱山内部も、地響きや封鎖区域からの異形と思しき咆哮が響き渡り作業どころではない。鉱夫は全て、街へと帰され、残っていたのは、鉱山の警備に当たる者達だけ。いつも冷静で冷厳な様を見せる当主とは別人の様子に、息子二人さえも、どう声をかければ良いか悩む程だった。


当主が燼を背に乗せやってきた事で、誰もが目を丸くしたが、到着と同時に燼は周りの目などお構い無しと坑道に飛び込んだ。当主もその後を追おうとしたが、坑道に一歩足を踏み入れようとした瞬間に、僅かに隠の気配が漂った。

畏怖が全身を駆け抜け、足は全くと言っていいほど動かない。武器を手に取らなくなって、一体何年が経っただろうか。行ったところで足手纏いにしかならない。そう思うと、暗闇の中に見えなくなった、燼に託す他無かった。


それから、暫くして男の声にも似た断末魔が響き渡った。奇妙で、異質なその声に、誰もが耳を塞いだ。ぞわぞわと何かが体を這うような感覚に、気味が悪くて仕方が無い。だがそれも、僅かな時間で鳴り止んだ。そして、松明を手にした燼を筆頭に、朱雲景と、彩華を腕に抱えた姜祝融が姿を現したのは、それから間も無くの事だった。


「血を流しすぎている。直ぐに手当てをしなければ。すまないが、私の従者も怪我を負って飛べない。手を貸して欲しい。」


そう言った男の衣には、汚れこそ見られたが、目立った外傷はない。反対に、朱雲景は脇腹を抑え、足元も覚束ない。確かに、これでは人を乗せてどころか、単身で飛ぶのも難しいだろう。

手を貸しいて欲しいとなれば、要は背に乗せて欲しいと同義だ。誰も彼もが、顔を曇らせた。今この場で祝融が何者であるかを知っているのは、当主ただ一人。同族である、彩華はともかく、誰かも分からないものを背に乗せるなど、龍人族としての矜持が許さなかった。


「私が、お連れしましょう。」


言うが早いか、叡齋はあっという間に龍の姿に転じた。息子達は、反論しようと前に出るも、龍の姿の父に睨まれ、口を継ぐんだ。


「お前達は、交代で鉱山の警備にあたれ。この分では、山にも影響があるかもしれん。数名は、そちらに向かい様子を伺え。」


それだけ言うと、客人達を乗せ、当主は颯爽と鉱山から飛び立った。鉱山から郭家の邸宅までは龍であれば大した距離は無い。それでも、当主は急がずにはいられなかった。死ぬ程の傷では無いとは分かっていたが、娘が心配で堪らなくなっていた。


「(どうして、今までこの感情を忘れていたのだろうか。)」


それまでは、鉱山の事で頭が一杯だった。

―山など、放っておいても、獣人族や妖魔狩りの者が勝手に掃除をしてくれる。それよりも、鉱山が心配だ。

―鉱山があれば、街は潤い、郭家も安泰。

―彩華は一体、今の状況の何に不満を抱いているのだ。

―勝手に山を巡っては、心配を掛けるような事を自ら進んで行うのだろうか。

ほんの昨日まで、頭に巡っていた思考が、自分とは別の誰かの考えに思えて仕方が無かった。あの奇妙な声が途絶えてからというもの、更に頭の中はすっきりとしていた。


そして、一夜明け、応接間で上座に座る男に、当主はただただ頭を下げた。それは、目の前に座る朱家の男に対しても同じだった。

龍人族ともあろう者達が、鉱山の陰の気配に誰一人気付かずに、欲に飲み込まれ、ひたすらに金を掘る事だけに没頭していた。何とも間抜けな話だ。

傲慢な態度にしてもそうだ。皇族とは知らずとも、朱家相手になんとも抗戦的だったと、反省するばかり。


「あの洞には、最早何もいない。このまま、金を掘り進んでも問題はないと思うが、神子瑤姫様が一度訪れたいと仰られた。判断はその後だろう。」

「承知致しました。」

「だが、管理区域の山々の方も怠る事は許されん。それも、小領主である其方の仕事なのだろう。」

「御尤もで御座います。」


平身低頭。昨日までの警戒は何処へやら。祝融が皇孫である事を知ったからというのもあるだろうが、一夜にして人が変わったものだから、祝融は、これはこれでやり辛いと、頭を捻った。


「それで、御息女の傷は問題なさそうか?」

「傷は深いですが、命に別状は無いだろうと。……しかし、殿下。あれは、妖魔に傷付けられたのでしょうか。」


普段から、妖魔の相手をしている彩華が、そう簡単に怪我を負うだろうか。その目で見たが、大きな獣の咬み傷の様だった。それも、背後から襲われたと見える。何とも状況が読めず、祝融を見るも、答えたのは雲景だった。


「御息女の怪我は、暴れる私を鎮めようと負ったものです。不名誉な傷では有りません。」


龍人族が暴走する話は、滅多に聞かないものだ。何が発端で起こるかも分からないことが、狭い坑道で起こったのであれば、彩華が負った傷も納得できる。試した事が無いだけに、龍の牙は鱗をも貫くのかと、当主は妙な所で感心すら示しそうになっていた。


「それで、調査とやらは終わり……と考えて宜しいので?」

「あぁ、我々は、明日にはここを去るつもりだ。世話になった。」

「こちらも、大変無礼を働きました故、何卒ご容赦頂きたく存じます。」

「こちらも中々に強引だった。気にするな。それと、一つ二つ、当主に頼みがある。」

「何でしょうか。」

「其方の娘を私の従者に迎え入れたい。当主として、許可が欲しい所だが。」


その瞬間に、それまで滑らかに動いていた当主の口がぴたりと止まった。


「殿下にお仕え出来るのであれば、大変名誉なことでは有りますが……」


返事こそすれど、はっきりと答えない。


「心配か?」


畏れ多くも断る訳にもいかないが、はっきりと首を縦にも振れない。祝融がを鑑みれば、名誉だけでは、おいそれと娘を差し出せなかった。


「……殿下の噂は予々、耳にしておりました。業魔相手に、娘は戦えるのでしょうか。」

「問題無い。中々良い働きぶりであった。」


遠回しに、娘に危険な真似をさせたくは無い。そう言ったつもりだったが、祝融はその意を汲み取っていないのか、それともわざとかは分からないが、何とも明朗快活に答えた。


「中々に度胸も有る。良い人材だ。」


立場上、お世辞など必要無いだろう。本心で娘が評価されていると思えば、叡齋の心は決まっていた。


「ならば、私が異論する事は有りません。」


ふと、祝融が一つ二つと言った事を思い出した。


「もう一つとは?」

「燼の事だ。彩華同様、こちらで引き取りたいが、成人していないと聞いている。」

「あの子は、彩華の言う事しか聞かないでしょう。彩華の傍に置き、成人の時、殿下にお仕えするかを、決めさせるのが宜しいかと。」

「意外に考えていたのか。」

「いいえ、靄が晴れた様に頭が冴えています。昨日までは、私は燼を山に縛り付ける事しか考えていませんでした。彩華が私を殴ったのも、それが原因です。」

「考えが一夜で変わった……か?」

「そんな所です。」


憑き物でも落ちたとでも言うのか、何とも落ち着いた様子を見せる当主の顔は、穏やかに微笑んでいる様だった。


――


部屋を後にし、彩華が最初に向かったのは、父親がいるであろう執務室だった。だが、それよりも先に、彩華の部屋に向かって歩いていた下女が、彩華の顔を見るなり、大慌てで彩華に詰め寄った。


「まだ横になっていた方が宜しいのでは……?」


不安気な顔に、龍人族は頑丈だからと説明するも、顔色は変わらない。


「平気だから。父様は居る?」

「今、応接間で、ご滞在されて居るお客様と、お話されていますが……。」


やっぱり、部屋に戻ろうか。そんな思考も過ぎったが、どうせなら、一気に終わらせるのも有りだろう。

彩華は意を決し、行き先を変え応接間へと足を向けた。


応接間の中からは、知った声が静かに話をしている様だった。意を決したつもりではあったが、いざとなると扉を開けようか悩む。腕を組み、扉の前で悶々としていると、扉が勝手に開いてしまった。いきなりの事で肩が竦み、慌てて顔を上げれば、疲れた顔をした父親がそこに立っていた。

怒られる。子供の様な思考が浮かんだが、意外にも父親は、彩華を見るなり憂いをた顔に変わっていった。よく見れば、目の下には隈まで出来ている。そう言えば、殴り合いの喧嘩をした後、一度も顔を合わせて居ない。顔に腫れは無いようだが、僅に痣が残っていた。適当に言い訳でも、と思ったが、父親が口を開いた事で、それも打ち消された。


「……中に入りなさい。」


疲れ切った顔と静かな声に促され、部屋へと足を踏み入れると、洞の中での冷酷な顔が嘘と思える程に、穏やかな顔を見せる男が上座に座っていた。従者である雲景がその場にいる事は何ら不思議でも無かったが、雲景の隣には、縮こまり、居心地悪そうに彩華に目を向ける燼までもが、その場に居た事に驚いた。


「では、私はこれで。」

「時間を頂き、感謝する。」


祝融に頭を下げると、父親は彩華をじっと見た。


「無事で良かった。」


ぼそりと呟いた言葉は、確かに彩華の耳にも届いた。思っても見ない言葉だっただけに、呆然と立ち尽くすしか出来なかった。そうしている間に、父親は彩華の横を通り抜け、部屋から去っていった。

さて、どうしたものかと、立ち尽くしていると、祝融が手を小招きをしていた。仕方なしに横付けされている長椅子へと腰掛けると、一体、何の話をしていたのかを聞きたかったが、それよりも先に祝融が口を開いた。


「顔色は、悪くなさそうだな。」

「ご心配をおかけしました。」

「何、あれだけ血を流せば、倒れて当然だ。お前の働きで雲景は肋骨が折れただけで済んだのだ。気にする事は無い。」


何とも穏やかに話す姿に、彩華は、心なしか安堵していた。


「それで、先程、当主と話を終えた所だったのだが、約束通り、お前を俺の従者として迎え入れたいと思っている。」


姜一族ひいては皇帝の孫。玄家の一分家でしか無い郭家に生まれた彩華にとって、これ以上名誉な事など無いだろう。だが、実力が伴っていればの話だった。


「……ですが、私は足手纏いだった様に思います。考え無しに突っ込み、より危険な状況を作り出したのも私です。」


雲景が飲み込まれそうになった時、彩華は後先など考えていなかった。勝手に体は動き、気付いた時には、龍に転じ、雲景に向かっていた。結果も良とは言えない。

自信無く目を伏せる彩華の姿に、祝融の顔付きは真剣なものへと変わっていった。


「何を言う。お前が居なければ、俺は暴れる龍と陰の存在二つを相手取らなけれならなくなっていた。下手をすれば、雲景は飲み込まれていたかもしれん。雲景は従者だが、俺にとっては友人でもある。友を救ってくれた事に、感謝している。」


自分を卑下する事しか考えていなかった彩華は、途端に恥ずかしくなった。元々、評価というものに慣れていないのもあってだが、それでも、真っ直ぐな言葉を向ける祝融の言葉が、何ともむず痒かった。


「改めて、名乗ろう。第八皇孫姜祝融だ。郭家子女彩華。是非とも俺の力となって欲しい。」


彩華に断るという選択肢は無くなっていた。そもそも、分不相応とすら考えていた訳だが、それでも、彩華は祝融の戦う姿が脳裏に焼き付き、忘れられないものとなっていた。感情が昂り、過去の恐怖すら打ち消した。

あの時思ったのだ。この方ならば、と。

彩華は、徐に立ち上がると、祝融の前に膝を突き首を垂れた。余に突飛な行動で、それまで見守っていた雲景と燼は、彩華の姿に呆気に取られていた。祝融だけが、彩華のその姿を静かに見つめていた。


「身命を賭して、貴方にお仕え致します。」


それは、正式な誓約の言葉だった。

今の時代では、滅多に口にする者はおらず、殆ど廃れた文化でもある。書面のみで契約を交わし、従者や臣下として仕える者たちばかりだ。何より、口約束に近いと誓約の言葉を信用しない者もいる。それでも彩華は、それほどまでに感銘を受けたのだと、祝融に示したかったと同時に、決して、この方の前で恥を晒しはしない。そう自分に立てた誓いでもあった。

静寂の中、祝融は頷き、ただ一言。


「……許す。」


そう答えた。

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