第9話

業魔の標的は、祝融へと移っていた。赤く光る瞳が祝融を捉え、その姿を獣の如く牙を向けた。

喉を唸らせ、警戒を見せる。祝融が動くと、業魔は一斉に祝融に向かった。

祝融は向けられた殺気をもろともせず、怒りに満ち満ちた剣を振るう。

炎を纏った剣は猛威を振るい、業魔の背に飛び乗ると、立ち所に一体の業魔の首を落とし燃え盛る。業魔が倒れるよりも速く、祝融は近くにいた業魔の頭に飛び移った。祝融を捉えようと、業魔が手を伸ばそうとも、ひらりと躱す。その腕を伝い、あっさりと二体目の業魔の首を落としてしまった。


残り一体。そちらに目を向ければ、業魔の腕が溶け出し、鋭い棘が幾重にもなって現れ、祝融に降り注いだ。棘は、硬い地面に突き刺さるも、祝融は間を縫う様に動き、当たる事は無い。

あっという間に業魔の背後に回り込むと、背を伝い、頭に飛び乗り剣を突き立てた。悲鳴にも似た咆哮が洞に響いた。

痛みを感じるかどうかなど、知った事ではない。剣から炎が伝い、頭部が一気に燃えた。

ただ、痛めつけないと気が済まなかった。


「まどろっこしい事は終わりだ。胎に溜まっているものを全て吐き出せ。」


胎がまた、動きだした。どくん、どくんと脈打つ。

蠢動する洞の中、燃え上がる炎とは裏腹に祝融の瞳は冷酷な迄に冷たかった。


――


「彩華嬢。」


痛みに耐える彩華は、身に食い込んでいた牙が離れていく感覚があった。のし掛かっていた、重みが無くなり、声がした方を横目で見れば、手が震え、瞳は鋭いままだったが、人の姿をした雲景が立っていた。


「すまなかった……」


彩華は安堵の表情を見せると、その身は、人へと戻っていた。座り込む事こそ無かったが、ふらつき、首筋からどくどくと血が流れ出ている。

未だ沼は蠢き、誰か一人でも喰らおうと大口を開け、腹を空かせている。燼は無心でそれら全てを跳ね除け戦っていた。

燼一人戦わせるわけにもいかないと、彩華は矛を構えた。


「彩華嬢、洞から出ていた方が良い。」

「雲景様こそ、私が思い切りぶつかってしまったので、お辛いのでは?」


軽口とも取れる言葉ではあったが、雲景も思わず腹を触った。恐らく、肋骨あたりが折れている。龍の本能も完全に鎮まったわけでもない。何より、またも洞が動き始めた。戦力は一人でも多い方が良い。


「では、私と共に祝融様の援護を頼む。」


彩華が眩く揺らめく炎に目を向ければ、先程迄とは同一人物とは思えぬほど、冷酷な表情を見せる男が一人、業魔に剣を突き立て、洞を見下ろしていた。

炎に燃え盛る業魔の頭。洞に響き渡る業魔の声に反応するかの如く、陰が蠢き、今にも生まれ出んとしている。


「先程と変わらない。大物は祝融様に任せ、我々は雑魚狩りだ。決して、洞から逃さぬ様に。」

「承知致しました。」

「貴女はなるべく燼と共に。」


いくら強くても、これだけの瘴気が満ちた場所に子供を孤立させるのは危険だ。雲景の強い瞳に、彩華は静かに頷いた。


「さて、汚名返上といこう。私が不甲斐なさが招いた事で申し訳ないが、主人と子供にだけ戦わせているでは、それこそ恥だ。」


気付けば、雲景の瞳からは鋭さが消え、並々ならぬ強い意志が見えていた。


――


洞全体が揺れ始めた。甲高い奇声にも似た音が何処からともなく発せられた。黒い渦が一箇所に集まり大きいな沼となると、またもわらわらと妖魔が生まれ始めた。祝融は、剣を突き立てていた業魔の首を落とすと、それに向かおうとしたが、それよりも速く、雲景が次々に妖魔に斬り掛かっていた。


そこから少し離れた所でも、彩華と燼が一心不乱に妖魔を狩っている。彩華も雲景も傷を負っているにも関わらず、その片鱗すら見せない。


「無事だったか……」


ほっとしたのも束の間、妖魔とも業魔とも違う気配が沼から現れようとしていた。

後方は任せられる。祝融は自分がなすべき事を視界に捉え、一点を見つめた。

波がうねり、姿を現したのは、一体の黒い獣。狼の如く逞しいが、長く伸びた尾が、垂れ下がり犬の様にも見えたが、目も耳も口も無い。悍ましいとしか言えない姿が、祝融の目に映った。何処を捉えているとも分から無いにも関わらず、祝融は洞のそこら中から、視線を感じてならなかった。

澱んだ空気が辺りを包み、不気味に佇む姿に、祝融は剣を構えるも、が動く気配は無い。


「(何を狙っている……)」


このまま向かい合っているわけにもいかない。焦れて動いたのは、祝融だった。恐れる事なく、真正面からに向かい、突き進んだ。

あと一歩、剣のきっさきが届くかと言うところだった。

突如として、沼から祝融目掛けて刃が現れた。あまりの速さに避けきれず、刃は頬を掠め、血が滴り落ちた。

僅かな傷ではあった。それでも、陰の存在相手に傷を負うなど、祝融にとって初めての経験でもあった。

は微動だもせず、殺意すら無い。口火を切るや、どこからともなく現れては、祝融をから遠ざけるように、刃は次々と祝融を襲った。


更には、妖魔がいようがお構いなしと、後方で妖魔を相手していた三人にも同様に刃が襲い狂っていた。この洞全体が、の一部であり、同一体なのだと、思うより無かった。

龍人族を飲み込む事は諦め、殺す事を優先している。


「そんなに俺を殺したいか……?」


言葉が通じるかなど、分からなかったが、は確かに、祝融の挑発に反応した。

幾重もの刃が折り重なり、祝融を殺そうと躍起になった。最初こそ、不意を突かれたが、一度目にすれば、ただ避けるだけだった。剣を振り、刃を切り捨てては、道を切り開いた。

三人が気にならないかといえば、嘘になるが、そちらに目を向ければ、また格好の餌食となるだけだ。前を突き進むしか道は無い。


そして、最後の刃を躱し、の背に飛び乗り、首に刃を振り下ろした。大きな音をたて、その首が落ちると、男が呻く様な耳障りな音が、洞の中に響き渡った。

耳を塞ぎたくなる様な断末魔。祝融は、の頭に剣を突き立て、その身諸共燃やし尽くした。

炎はじわじわと広がり、洞全体を覆い尽くそうとしていた。


三人が居る方へと目を向ければ、意図を理解した雲景が、耳を押さえながらも、彩華と燼を洞の入り口へと追いやっていた。それを見届けると、炎は勢いを増し、黒い沼も残っていた妖魔も、炎は全てを飲み込んだ。


「全て消え去れ。」


人の欲を溜め込み、苗床となっていた洞に静寂が訪れたのは、炎が全てを燃やし尽くした後だった。


――


朝日が眩しく、彩華の顔を照らしていた。重い瞼を開け、身を起こそうとすると、首に痛みが走り、思わず首に手を当て、身を縮こめた。分厚い包帯が巻かれ、薬草の匂いが鼻に付いた。


「なんで痛いんだっけ……?」


つい疑問が口から漏れていた。起き上がる事を諦め、寝台に身を預けた。思い起こせば、鉱山へ行き、妖魔や業魔、更にはそれ以上の存在と多くの記憶が蘇ったが、ここは見慣れた自分の部屋であり、帰ってきた記憶は無かった。最後に見たのは、祝融の炎によって洞全体が燃える所まで。


「(要は、最後の最後に気を失ったと。)」


試せなどと、大見えを切ったにも関わらず、最後に失態を犯すとは。


「(まあ、大して役にも立ってないし。)」


寧ろ、邪魔をしたかもしれない。彩華の脳裏には、朱家に向かって大胆にも体当たりをした記憶が一番強く残っていた。後悔はしていないが、非常時とは言え、格上の家柄相手によく思い付いたものだと、ある意味では自分を褒めたくなっていた。そして、暴走した龍に組み敷かれ、祝融にとって、完全にお荷物の状態になっていた。燼が駆け付けなければ、今頃どうなっていたのだろうか。


「……本当に、勘当されるかも。しかも、職無し……。」


起き上がらなければ。そうは思っても、負の思考が頭の中で巡り続け、首の痛みを我慢してまで、起き上がる気力が、今の彩華には湧かなかった。

だが、気を失ったのなら、燼が心配しているだろう。彩華は溜息を吐くと、首に気を遣いながら、身を捩り、寝台を転がるように抜け出した。

着替えるのが面倒な気もしたが、家の中には客人がまだいるかもしれない。

彩華はまたしても、大きな溜息が溢れた。顔を合わせたくは無いが、そうもいかないだろう。憂鬱な気分の中、彩華は衣服を仕舞ってある棚に手を伸ばし、気分に合わせて、なるべく地味な色合いの衣に手を伸ばした。なるべく包帯が目立たぬ様に襟のあるものを選び着替えると、とぼとぼと部屋を後にした。

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