第6話

「ねえ、聞いた? お嬢様が殴られたって話。」


使用人達に用意された部屋の近くで、下女達の立ち話が良く響いていた。

いつも道を塞いでは、なんとも賑やかに話す女達は噂や色恋の話に夢中だ。燼は、使用人達と同様の部屋で寝泊まりをし、朝食が用意されているであろう使用人用の食堂へと足を運ぼうとしていただけで、いつもなら横を素通りしていた。立ち聞きするつもりも無かったが、「お嬢様」という言葉で、ぴたりと足を止め、柱に身を隠し、下女達の話に耳を欹てた。


「聞いたも何も、私が手当したのよ。お客様の前だったから、何も聞けなかったけど。」

「何でも、当主様のお顔にも、あざが出来てるらしいわよ。」

「じゃあ、お嬢様もやり返したって事?」

「顔が腫れた上に、酷いあざらしいわよ。」

「意外ねえ、大人しそうな方に見えたのに。」


物騒な話を何とも楽しそうに話すのか。だが、燼の中では、彩華の心配が上を行ってはいたものの、やり返したと言う方は、とても信じられる話では無かった。最近の苛立った様子を見せる当主はともかく、燼の知る彩華は、只々他人に節度と距離を保っている。何故か燼にだけ距離感を間違えるてはいるが、例え家族だろうと、踏み込もうとはしない。


下女達の話が、彩華の話から、いつもの色恋や客人の顔つきの話などに変わった頃、燼は柱から身を乗り出すと、何事も無かった様に横を通り過ぎ様としたが、一人の下女に呼び止められてしまった。


「あ、燼。丁度良かった、あんたお客様と一緒に山に行ったんでしょ? 何処から来られた方なの?」


最近来たばかりの下女だが、誰にでも気さくで気前は良いが、その分お喋りだ。


「俺に言うわけないだろ。意味ない事聞いてどうするんだよ。」

「つまんない事言うわねぇ、話の種よ。それぐらいしか楽しみが無いんだし良いじゃない。」

「あんまり仕事怠けてると、また怒られるぞ。」


そういうと気前の良い下女が適当に、はいはいとだ返事をした。そのまま歩き始めると、残りの二人がコソコソと気前の良い下女に話している声が燼には届いていた。


「(あんた、よくあれに話し掛けるわね。)」

「(あれ、お嬢様のお気に入りよ。良いご身分よね。)」

「(別に只の子供でしょ?)」

「(何言ってるのよ、獣人族に見捨てられた上に、神殿にまで引き取りを拒否されたのよ。何したんだか。)」

「(お嬢様の体に酷い傷跡があるの知ってる? あれ、あの子供が付けたのよ。)」


獣人族は獣同様に耳が良い。そんなことも梅雨知らず、小声でお喋りを続けていた。


「(丸聞こえだ。)」


陰口など、今に始まった事でも無い。ある日突然やってきた獣人族が、屋敷に滞在しているのが面白くない者が居るのは、燼も承知の上だった。


「(お嬢様って、趣味なのかしら。)」

「(止めなさいよ、当主様に聞かれたらどうするつもりよ。)」


馬鹿にした様な、くすくすとした笑い声。嗜めようとしている者も苦笑混じりで、何とも言えない雑音でしかない。


「(五月蝿い。)」


此処で暴れ様ものなら、それこそ彩華が悪く言われるだけだろう。燼もそれが分かっているのか、両手で耳を塞ぎ、腹に怒りを溜め込んだまま、声が聞こえなくなるまで離れるしか無かった。


食堂までは流石に声は聞こえ無かったが、それでも食事の最中も気は晴れなかった。使用人の中で、燼に話し掛ける者は少ない。今も、様子を伺う様な視線がちらほらとある。

彩華と共に居る時間が多いのもあるが、妖魔狩りをしているのを知ってか下手に手を出す事は無い。


嫌われているのは知っていた。

獣人族だからでは無い。子供だからでも無い。獣人族の村でも同様に感じていた、異物を見るような目。

それは、郭家当主と初めて会った日も同じだった。

子供の姿を見せれば、汚い物を見る様な目を向けたかと思うと、獣の姿を見せれば、欲を隠すつもりもない澱んだ目を向けられた。


―これは利用出来る


いくら子供でも、あの目の意味など、容易に汲み取れた。未だに、郭家所属でないのは、彩華の意向だ。

成人するまでは、早いと当主に進言した。燼を見つけてきたのが彩華と言うのもあったが、彩華が当主にもの言うのも珍しかった為、当主はそれを了承し、燼は郭家預かりという特殊な立場となった。


燼にしてみれば、当初はどうでも良い事だったが、今になってみれば、彩華が守っている立場だと印象付けられ、陰口はあっても、直接的な手出しは何も無い。


彩華がそこまで考えていたかは、分からない。ただ、彩華は燼に恩を売るつもりもなければ、何かしらの利益も望んではいないという事だけが燼の知る所だった。

良い家柄に仕えろとは言うが、燼がそうなった所で、彩華には何の恩恵も無いだろう。


純粋に無償の好意。

彩華はよく、燼の頭を撫でたが、その時の彩華の目は、暖かく優しさが詰まっていた。

気恥ずかしいからと逃げてはいたが、燼は彩華のあの目がなによりも好きだった。

誰よりも優しく、美しい金の瞳。母や姉という存在を、その身に感じた事は無かったが、それに近しいものに感じていた。


朝食を終え、使用人用の区域から、本館へと移ると、何やら騒がしい。

閉め切られた応接間から怒声が響き、それが当主の声だと直ぐに気がついた。中の様子は伺えないが、怒声を浴びているであろう相手の声が、ぽつぽつと聞こえた。

当主の怒りに対して冷静に答えるその声は、史賢雄と名乗った男のものだった。


「……から……で……」


声が怒り混じりで、内容がよく聞き取れない。扉近くに立って聞き耳を立てている者達の目もあり、下手に近づく事も出来ず、そのまま彩華の部屋へと向かおうとしたが、背後から燼は徐に手を引かれた。


「燼、こっち。」

「彩華……あれ、大丈夫なのか?」


そのまま手を引き、その場から逃げる様に引き摺られた。


「良いよ、放っておけば。」


どう見ても大事だが、話を聞かれたく無いのか、そのまま、力任せにずるずると引っ張られる。その顔は澄ましてはいるが、頬に湿布が貼られており、下女達の話通り、殴られたのだろう。


「それ、何があったんだ?」


自身の左頬を指差しながら、彩華に問うと、気にしないでと流されてしまった。


「今日も、山へは行かないから、自由にしていて良いよ。」

「明日、調査に行くんだろ?」

「うん、その予定。休んでおいて。」


そうは言っても、彩華自身が客人に連れ回されて休んでいない。


「今日も、客人のお供?」

「そんなとこ。」


はっきりとは言わない。彩華の顔を除くも、いつも通りの澄ました顔しか見えない。


「客人と何してるんだ?」

「案内しているだけ。今日は、鉱山に行きたいんだって。」


燼は鉱山へは行った事が無かった。彩華には関係が無い場所と、特に用事が無いのもあったが、見るからに人の手が入っている為、妖魔が湧きにくい場所である事など容易に想像出来るだろう。妖魔の調査に来たと言うのに、何故その様な場所に興味があるのかが、燼には些か疑問だった。


「妖魔の調査に来たのに、鉱山って変じゃないか?」

「皇都から来た方には珍しいだけでしょ。」


そう言われると、そうなのかと納得してしまいそうだった。どの道、これ以上口を挟む訳にもいかない。


「俺、これ以上本読んでたら、獣の姿を忘れそうだ。」


付いて行きたい、彩華が心配だ。そうは思っても、口には出せない。遠回しに勉強は嫌だと言ってはみたが、彩華が燼の望んだ言葉を口にする事は無かった。


「何言ってるの、たった二日じゃない。偶には、勉強しないと。」


そう言って、使用人の区画手前まで戻されてしまった。笑顔で、勉強頑張ってと言う彩華に、これ以上の我儘は言えず、渋々自分の部屋へと戻るしか無かった。



「(嘘は、何一つ言っていない。)」


少なからず、罪悪感が湧く。騙した訳でも無いが、目的を言えば、ついて行くと言うのが分かりきっていた。朝方、突如、賢雄に告げられた内容から想像するに、危険が伴うだろう。

燼は危険を顧みない。尚更、連れていくわけにはいかなかった。


「(説得は、出来たのかな。)」


高位の客人相手に、部屋の外まで聞こえる大声で、態度も隠さないとは、醜態を晒しているとしか思えない。普段は落ち着き払っている様子の父親からは想像もできないものではあったが、何とも間抜けとしか言えなかった。


彩華は本館へと戻ると、人だかりは消え、応接間から賢雄が姿を表す所だった。


「終わりましたか?」

「あぁ、問題無い。其方も、説得できたのか?」

「部屋に追いやっただけです。気付かれる前に出た方が良い。」


嘘が付けない。気まずさを見せ、顔にまで書いてある。


「直ぐに出立しよう。」

「では、外でお待ちを。矛を取ってきます。」


――


西方、エイシンから一刻程歩いた距離にそれはある。真っ暗闇を松明だけが入り口近くだけを照らし、後は懇々と闇が続く。坑道の入り口が、大きく口を開けて待っているとしか思えなかった。


明け方には、既に鉱山の仕事は始まっている。街の男衆は既に坑道の奥深くだろう。入口からでも、響く岩を削る音だけが、甲高く鳴り響き、人の気配もを思わせた。


「彩華、何を考えている!」


鉱山の警備にあたっている、郭家長兄蔡沢さいたくが、彩華の前に立つ客人を無視して、彩華に詰めようとするも、それも雲景に阻まれた。


「我々は皇宮より、調査に参ったと当主には告げているはずだ。本日も、当主の承諾を得てここに居る。異論があるなら、私に直接言えば良い。」

「坑道の中に妖魔など出はしない。それに、皇宮の誰の命だと言うのだ。」

「我が主人は、皇孫こうそん姜祝融殿下。皇帝陛下直々に業魔討伐の命を受け各地を見て回られている方。異論があるので有れば、皇帝陛下の命に反する事になるが、如何する?」


朱家の仕えている家柄は、姜家。そればかりは、龍人族で有れば、常識にも等しい程の話だが、姜家の中にもそれなりに身分差がある。

わざわざ地方の小さな街に妖魔調査に派遣されるぐらいだから末席の者だろうと、たかを括っていたのだろう。思わぬ名前が出た事で、蔡沢の顔色は青く染まっていった。


皇帝には子が三人、孫が九人いる。

それを証明するものは何も無い。だが、当主はそれを信じ、此処に入る許可を出した。

蔡沢に、最早道を譲る以外の考えは浮かばなかった。


「……で、ですが……お見せするものなど、何一つとして……」


たじろぎ、蔡沢が挙動不審な姿を見せ始めた頃、坑道内部より、郭家次子才媛さいえんが松明片手に出てきた。


「兄上?」


場の様子に訝しむも、何が起こっているかなど、理解できず、兄に問いただそうとした。


「此処から近いな、中に入るぞ。」


最初に一歩踏み出したのは、朱雲景ではなく従者の方だった。


「兄様、松明を貰っていきますよ。」


彩華が奪い松明を持ち去るも、呆然とする事しか出来ず、三人が坑道に入っていく背を、見届けるだけだった。

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