第5話

「お見苦しい所をお見せしました。」

「いや、中々良い見せ物だった。」


決して見せ物では無かったが、あれだけ派手にやれば、似た様なものだろう。未だにやつく男は、客間で再び酒を楽しんでいた。

斯く言う彩華は、下女の手当てを受けながら、今はお預けの状態だ。薬を塗り終わり、湿布を貼ると、少し滲みた。


「ありがとう、下がって良いよ。」


下女は、何が起こったかなど、何気なくは気付いているだろう。気まずそうに、軽く頭を下げると、客間を出ていった。それを見届けてか、彩華が酒に手を伸ばすと、祝融は見計らった様に口を開いた。


「しかし、龍人族の喧嘩は珍しい。女まで激しいとは思っても見なかった。」

「女とて、時には拳を振り上げますよ。」

「拳で父親を殴る女は少数だろう。」


格のある家柄にとって、当主に逆らう事などあってはならない。彩華もそれを分かっていたが、どうにも抑えが効かなかった。


「いつから話を聞いていたのですか?」

「……さあ、いつからだろうな。」


はぐらかしているにしては、適当で、喉の奥を鳴らす様な笑いを見せる。恐らく、最初から様子を伺っていたのだろう。その割には、止める素振りも無かった。


「勘当されたら、雇って下さいますか?」


冗談混じりの言葉と共に、酒を一口含むと、思いも拠らない返答が彩華の耳に届いた。


「構わんぞ、お前は度胸がある。」

「父親に殴り掛かる女ですよ。」

が丁度、人を欲しがっていた。心配なら、書面にでも書いてやろうか。」


この場に居ないを差し置いて、勝手に決められる筈も無い。男は変わらず、肯定も否定も無いが、彩華の返答を待っていた。彩華は手に持っていた杯を置くと、姿勢を正し、祝融に向き直った。


「本当に度量があると言うならば、調とやらにご同行させて下さい。それでも、私を使って下さると言うなら……」

「良いだろう。に、そう伝えておく。」


祝融は、杯の酒を飲み干し、立ち上がると、そのまま出て行ってしまった。

一人残された彩華は、残った酒を飲もうと手に取るも、杯の中を見つめるだけ。


「(……燼の事を考えないと。)」


この家に残してはいけない。だが、連れて行くにしても、恐らく危険と隣り合わせの仕事になる。

口走って、勘当されたらなどと言ってしまったが、果たしてこの家が簡単に自身や燼を手放すだろうか。

何も問題など片付いていない。お互い、郭家の真っ只中と、濁して会話をしたが、今の返答を聞く限り、賢雄はこの地に業魔が出ると確信している。

彩華の事は疑ってはいない様だったが、上辺だけとも取れる会話ばかりだが、彩華を試しているのは、確かだった。


と言うのが、彼自信を指す言葉なら……)」


未だ、確信は無い。だが、思い当たる家柄は只一つ。

彩華は手に持ったままだった、酒を飲み干し、一気に押し寄せた酔いに、浸りながら天井を見上げるだけだった。


――


祝融が部屋に戻ると雲景は憂鬱そうな顔を見せていた。昼過ぎに帰ってきたは良いものの、日が落ちると、何も言わずにまた出て行ってしまう始末。もう少しばかり、自分の身分を自覚して欲しいものだと言ったところで、聞く耳など持たない事も、昔から良く知っていた。


「遅かったですね、何かありましたか?」

「何も無かった。」


酒臭い。顔にこそ出てはいないが、ほんのひと言話しただけで、その匂いが伝わってくる。


「街では無いとすると……」

「この家は、どうだった。」

「……これと言って。妙に警戒されている事だけは分かりましたが。」

「他家とは言え、朱家相手によくやる。」


笑い事では無いというのに、屈託のない笑顔を見せる主人。何故こうも楽しそうなのか。余程、酒が回っていると言う訳でもないだろう。雲景は、祝融の酒の強さを嫌と言う程、知っていた。一度、酒に付き合ったら、酒樽一つ飲み干すかと言う程、飲み続けた。それでも、顔色一つ変えず、酔っ払ってみたいと宣うのだ。


「笑っている場合ではありません。これだけ警戒する理由も分からないのですよ。」

「この家の住人、使用人、すれ違った程度ではあるが、今ひとつだ。あと見ていないところとすれば……鉱山だけか。」

「そこばかりは、個人の所有地ですから当主の許可が要ります。」

「だよなぁ。」


そう言って、長椅子に横になる。何とも行儀が悪いが、ここには口煩く言う弟がいないと言うのも、大きいのだろう。


「それで、彩華嬢は如何でしたか?」

「勘当されたら、雇って欲しいと言われた。勿論、了承しておいた。」

「勘当される予定がある様に言いますね。」

「されるかどうかは分からんが、当主を殴り倒したのは事実だな。先に手を出したのは当主だが、煽ったのは彩華だな。」


見物でもしていたのか、その目で見ていた様に言う。

ただ、彩華に関しては雲景も意外だった。龍人族も腹を立てるし、それなりに感情はある。従者として忙しい身である雲景に覚えは無いものの、龍人族だからといって喧嘩自体は珍しいものでも無いのだろう。妖魔に立ち向かう時は勇ましいが、彩華は見るからに穏和で、おっとりして見えた。

殴り合うほどの事があったという事だけが事実なのだろう。


「喧嘩をした事はなさそうだな。妖魔を相手取る勢いで殴っていた。」


それが、彩華の本気かどうかはわからないが、矛を振る姿から、中々鍛えている様にも見える。龍人族とは言え、執務に追われる当主では、精神的にも肉体的にも相当な負傷だったのでは無いだろうか。


「貴方も人とは喧嘩などした事も無いのでは?」

「確かにな。」


またも笑っている。これには、笑うしか無かったのだろう。立場上、殴り合いで物事を解決する手段を選ばない家柄に生まれたと言うのも大きいだろう。

龍人族とはいえ、他人の家庭事情に踏み込む機会も中々無い為、ある意味でも面白いと言うのが、本音だった。


そこへ、壁をすり抜け、一羽の白い鳥が舞い込んだ。ばさばさと羽音を立てては、祝融の胸元へと降り立つと、嘴を動かした。


『こちらは、無事終わりました。飛翔が怪我を負いましたが、問題無く飛べそうです。鸚史も滞り無く終えたとの事ですので、合流次第そちらに向かいます。』


志鳥は消え、静寂が残った。祝融は、静瑛や鸚史達が無事な事には、安心出来た。

祝融はごそごそと袖を探る。白玉を手に取り、現れた志鳥に話し掛けた。


「飛翔が怪我を負ったのなら、あまり無理はさるな。此方に、中々良い人材を見つけた。心配は無用だ。」


飛び立つ志鳥を見届けると、溜息混じりの言葉を吐いた。


「……目覚めが近いな。」


雲景はそれが何を意味するか察した。同じ朱家である飛翔が怪我を負ったのは心配だが、様子から別の地に居た業魔は現れ、事態は終息したのだろう。

祝融は起き上がると、真剣な眼差しを雲景に向けた。先程までとは打って変わって、威厳を持った表情に皇宮と変わらぬ姿がそこにあった。


「最早、残すは鉱山のみ。明日、当主を説得する。」

「私では、反抗的な態度を示すのでは?」


雲景が朱家という家柄を明確にしているにも関わらず、当主はあまり良い顔を見せていない。最初から玄家を通していれば、そこまで問題でも無かったのだろうが、時間も無かった。どの道、今の当主の様子では、大して変わらなかったかもしれないが。


「俺が直接交渉する。回りくどいのは終いだ。」

「御意。」

「それと、彩華を連れて行く。どの程度まで、業魔と戦えるのか、試さねばならん。」

「彼女を連れて行くのならば、子供も付いてくるのでは?」


これには、雲景も仕方ないでは済ましたくは無かった。成人前の子供にさせる仕事ではない。妖魔との戦いぶりで、燼の実力は見たが、雲景や彩華の上を行くのは、見るも明らかだった。子供特有の恐れの無さが、武器とも言えたが、諸刃の剣ともとれた。いくら実力があるとは言え、危険が伴う。何より、恐れを知らないと言うのが、危うい存在としか言えなかった。


「彼を遠ざける事は出来ないものでしょうか。」

「……彩華に、それとなく言ってはみよう。」


祝融も、燼を連れて行く事だけは躊躇していた。実力は惜しいものがあったが、成人していれば、彩華から多少なりとも、自立した考えを持った者であれば……。


「幼い頃より、妖魔と戦っていたのだ。これ以上、苦行を強いるわけにもいかん。彩華も同意するだろう。」


夜目覚めるか、明日日が昇ってから目覚めるかは分からない。

今はただ、目覚めを待つのみ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る