第二章 黒鉄の正義

第1話

墨省ぼくしょう 山間部


黒龍一族が治める墨省。その東部、山中上空を黒い龍の姿で飛ぶ者があった。

かく彩華さいか。玄家分家にあたる彼女は、自身の父親の統治地区である山中を見回る事を日課としていた。

両親は頑なに危険だと、止めたが、正義心の強い彩華にとっては、妖魔によって山中が荒らされる事が何よりも心苦しかった。

両親の心配を他所に、妖魔が集まる地点を見つけては討伐し、強い陰の気を感じれば、業魔かもしれないと真っ先に向かった。

業魔を専門に倒す者が存在する事は知っていたが、今は何処の省にも業魔が当たり前の様に出る。


会った事は無いが、皇都よりわざわざ出向いている方は、忙しいに違いないと、友人である獣人族のじんを背に乗せ、今日も空を舞っていた。

その背の上で、手のひらで燼が二回ほど、鱗を叩いた。燼はまだ、あどけなさが残る成人前の少年だが、下手に郭家に仕える者よりも余程従順だった。


「彩華、西の方で様子がおかしい。」


燼の言葉は曖昧で、表現や語彙力に乏しいが、その言葉には信用がある。山に住む獣人族ならではの天性のものか、自分などよりも、山や森を熟知し、気配に敏感だ。

彩華は燼の言葉通り、西に進路を変えた。

目を向ければ、確かに胸に騒つく物があった。


「あそこらには、確か道があった筈だけど……」


墨省と藍省らんしょうを繋ぐ道。旅人や商人が主に行き交い、秋頃から冬かけては妖魔が少ない事から、妖魔狩りに手慣れた者を護衛に付けて利用するものが増えるが、今は春過ぎとその時期にも当たらない。

妖魔は人の気配に敏感らしく、妖魔が集まっていた後には、食い散らされた亡骸を見つける事もあった。

そちらに集中すると、気配が集まっている感覚だけはあった。

彩華は急ぎ、燼が指し示す方へと飛んだ。

近づけば近づく程、気配は濃くなった。


今では、只人すら妖魔狩りを生業とし、毛皮を剥いで小銭を稼ぐ強者もいる。

妖魔を恐れない者が増えてきた中、龍人族である自分が恐れを抱くわけにはいかない。

何より、燼が若さ故か、決起盛んで無茶をしようとする。


彩華は意を決し、陰の気が集中する箇所へと飛び込んだ。

そこは、やはり山道だった。木々が生い茂る山中で、僅かに開けた道がある。

赤髪の龍人族と思しき男性と壮年の男性が、慣れた手つきで、次々と襲いくる妖魔と戦っていた。

春の山中で徒歩とは、中々豪胆だが、そのおかげでかなりの数が集まってしまっている。


背に乗る燼が僅かに心配ではあったが、渦中にいる者達も見捨てられなかった。


「燼、行ける?」

「大丈夫。」


そういうと、燼は黒い熊の姿に転じると飛び降りた。

彩華も、人の姿に戻り、矛を手にそれをそのまま、真下にいた妖魔の頭に突き刺した。

妖魔は、倒れたが、次から次へと何処からともなく湧いて出る。

妖魔の群れの中では、渦中の人物の様華は掴めない。

どの道、自分は目の前の敵と、燼の様子を伺うのに必死で、それどころではない。


「(手練れの様に見えたし、大丈夫だとは思うが。)」


剣を振るう姿は、どちらも熟練の者だった。下手をしたら、自分よりもずっと強いかもしれない。

何より、同じ龍人族ならば、貴族である可能性も高い。


「(お節介だったかも。)」


そんな思考も過ぎったが、今は目の前の敵に集中するべきだと、矛を振い続けた。


――


半刻、戦い続け、漸く最後の一頭を壮年の男性が切り裂いた。

彩華は息が上がり、その場に座り込みそうにもなったが、燼は大丈夫かと心配になった。そちらを向くと、彩華よりも元気な姿を見せてはいたが、妖魔の独特の黒い血で元より毛は黒いが、益々真っ黒に毛並みが染まっていた。


「彩華、大丈夫か?」

「私は大丈夫。だけど、燼、そのままだと家に入れてもらえない。何処かで、血を落とさないと……」


転じている姿とはいえ、元に戻っても、同じく血に塗れているだろう。

川にでも行かなければいけないが、それよりも、問題は渦中にいた人物達。

ちらりと横目でそちらを見ると、何やら二人で会話をしている様子。


関係がよく分からない二人に、彩華は首を傾げた。

最初は赤龍一族とその従者かと思ったが、二人で話す内容は聞こえないが、その姿は対等にも見える。よく見れば、壮年の男も身分が良いのか、外套がいとうの隙間から見えた衣は上等なものだ。

今更ながらに、矜持を傷つけたなどと言われたら、どうしようと思い悩んだ。金の眼で龍人族である事など、一目瞭然だ。もし、自分よりも身分の高い方ならば、素直に謝ろう。そう思って、剣を鞘に納める二人に向いた時だった。

壮年の男が彩華に近づくと、大柄な体格がよくわかる。彩華は小さくは無いが、女性としては平均的だ。僅かに男を見上げて、顔を見た。


「助かった。数が多くて困っていたんだ。」


彩華は、横柄では無い、その言葉に安堵した。穏やかで、礼儀も知っている。


「いえ、近くを通りかかっただけですので。」

「主人に代わり、礼を言う。」


決して名乗りはしない。只人だと、此方が龍人族と言うだけで、近寄り難いとへりくだる者が多い。そうして欲しいわけでは無いが、自分の身分が高い事を自負している者だろうか。


「今は春も終わりですが、山中は危険です。山を徒歩で抜けるのはやめた方が宜しいかと。」

「……何、調査で少々山歩きをな。貴女は、この地の者か?」

「エイシン街を統治している郭家子女、彩華と申します。趣味で山中を日々、巡っています。」


彩華は特に意味も無く答えた。横目で、背後に立つ主人と言われた赤毛の龍人族を見るも、此方に目を向けてはいるが、無表情で何を考えているとも分からない。


「それなら、山中に詳しいな。出来れば、調査の御助力を願いたい。」

「調査とは一体?」

「悪いが、それは秘匿事項だ。山歩きの案内だけで良い。」

「構いませんが、先に燼の……私の友人を川に連れて行っても良いでしょうか。あのまま歩かせるのは酷です。」


男は未だ大熊の姿で、彩華の背後に立つ燼を見た。べっとりと黒い血に塗れた姿に、男は少々申し訳なさげな顔を見せた。


「すまんな、確かにそちらの方が先だ。」


――


「燼、大人しくして。」


川辺で火を焚きながら、彩華は熊の姿では手が届かないと、人の姿に戻った燼の髪を何度も布で拭った。年齢的にも、人前で彩華に構われているのが恥ずかしいのか、逃げようとするも、彩華に押さえつけられる形で頭をゴシゴシと布を当てた。

少し固まった血がしつこく、布が段々と黒く染まっていく。


「(怪我が無くて良かった。)」


燼は、人の姿では子供らしく小柄だが、一度熊の姿になれば、同じ獣人族ですら、その姿に慄き一歩引き下がる程大きな熊の姿を持つ獣人だった。

力の扱い方を知らず、獣人族の村人達と些細な諍いを起こしてしまい、それから村には帰っていない。

山中を巡っていた彩華は、偶々、まだ幼かった燼を拾っただけだった。

獣人族の村に戻そうにも嫌がり、神殿所属の孤児院も気性の荒い獣人族は手に余ると、引き取りを拒否された。


そこで、仕方ないと、彩華が引き取った。

両親は快く思わなかったが、燼の獣人の姿を見るや、力のある者は歓迎すると、掌を返した。

その代わりの条件として、礼儀作法を身に付けさせ、力の振るい方を教える事が提示されていた。

力の振り方に関しては、問題ないが、礼儀作法は殆ど身に付いてない。


燼は大人しい子だったが、勉強だけは逃げ回っていた。

燼の将来を考えれば礼儀を身につけた方が良いが、彩華も自身に、そこまでの将来展望を持っている訳でもないと、口煩く言うことも無かった。


「終わったよ。」


彩華の手が止まり、黒く染まった手拭いを川で洗っていると、燼は此方の様子を眺めている二人を一瞥し、彩華の隣に座った。


「……あの人達、本当に調査に来たのか?」

「さあ、どうだろう。此方が名乗ったのに、名乗り返さなかったって事は、名乗る必要も無いぐらい此方の身分が低いと判断されたか、名乗ってはいけないと主人に言われているか。どちらにしても、玄家を名乗れない黒龍族を分家を下と判断したなら、赤竜一族朱家の方なのかも。従者の方も、私より身分が高い可能性がある。下手に問いただすと、後々面倒だし、今は話を合わせておくかな。」


髪色と金色の瞳は、種族の違いを見分けるのに一番重要とされる。

特に龍人族は分かりやすい。瞳の色を見て金色であったなら、それは龍人族の証だ。更に、髪色で別れる。

逆に、不死、只人、獣人族は見分けがつかない。獣人族は転じて初めて、それと分かり、不死など何年も共に過ごすか、本人から言われねば、誰にも分からない程だ。

従者の男が何者かは分からないが、主人の方が玄家の分家を格下と見たのだとしたら、朱家の可能性が高い。


「本当に手伝う気?」

「朱家の方なら、断れないもの。嫌?」

「……俺には、良く分からない。彩華に従う。」


本当は、彩華もどうするべきかが、判断できていなかった。一度街に戻り、父に判断を仰ぐべきか、とりあえず従順な姿勢を見せるべきか。だが、わざわざこちらの要望を飲んで、待っていてくれるのなら、狭小では無いのだろう。


「(まあ、特に疑われる事があるわけでも無いし、適当に付き合うか。)」


手拭いを洗い終わり、今まで縮こめていた腰をぐっと伸ばすと、待ちくたびれたであろう、御仁達に向いた。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません。」

「此方に付き合ってもらうのだ。待つのは当たり前だ。」


相変わらず、主人の方は喋らない。何かしら事情でもあるのだろうか。


「では、まず何を探りましょうか。」

「妖魔の湧く位置に案内してもらいたい。勿論、大まかで構わない。」


妖魔を湧く位置を調べるなら、妖魔が来た方角を辿るのが一番だ。手間は掛かるが、徒歩で自分を囮にして、妖魔が来るまで待つ。

先程は、四方から来た為、結局分からなくなってしまったのだろう。


「それで、歩きだった訳ですか。」

「それも有るが、主人の背に乗る訳には行かないだけだ。」


「(他にも龍人族を連れているのかな?)」


全ての龍人族が戦いに向いている訳ではないし、中には飛ぶのが下手な者もいる。足手纏いは、宿にでも置いてきたのだろうか。


「……特定の妖魔が湧くとしている場所は無いと考えていますが……」


彩華が山中を見回る様になったのは、ここ数年の事だが、数を減らせば良いとしか考えておらず、特定の湧く場所など予想も出来ないと、燼を見た。


「燼、現状でそれらしい場所って分かりそう?」

「……空から見た限りだと、さっきの場所から南側が一番騒がしかった。」


彩華は迷う事は無かった。燼がそう言うならば、間違いは無いだろう。


「では、とりあえず其方に向かってみましょう。調査と言われましたが、妖魔の数を減らしたいので、歩きでも構いませんか?」


男が赤髪の方を向くと、主人は頷くだけだった。


「問題無い、元より、そのつもりだ。」


何とも大らかな方達だ。龍人族とその従者とだけあって、何か疑っているわけでは無いが、違和感が拭えない。


「あの、失礼に当たるのは承知の上ですが、これから行動を共にします。お名前を伺っても?」


またも、男は主人の方を向いた。念には念を入れているのだろうか。

主人がまたも、頷くと、男は明朗快活に答えた。


「主人は、朱雲景。俺の名は、賢雄けんゆうだ。」

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