第217話 海の娘ダゴリーヌ

 村人の話によると、どうやらドラン公国と神聖帝国との戦争が始まって以降、海に多くの魔物が発生するようになったらしい。

 

 魔物を避けて沿岸近くを航行すると、今度は海賊船に襲われるハメになるのだとか。


 何故か海賊船は魔物に襲われることがないので、もしかすると彼らはセイジュー神聖帝国軍と裏で結んでいるかもしれないという噂もあるようだ。


 それまでずっと黙ってエールを飲んでいた白髪の老人が、自身の不思議な体験を話してくれた。老人は先日、海賊の目から逃れて漁をしていたときに、遥か沖を行く魔法の船を見たというのだ。


「海賊を警戒して沖に目を向けてみたらよぉ。そいつが音もなく現れたんだよ! 巨大な灰色の魔法の船がよ」


 老人がエールを手に話始めると、その場にいる全員が話すのをやめ、老人の話に耳を傾ける。もしかしたらこの爺ちゃん、村の長老とかかもしれない。


「そいつは恐ろしい速さで沖の海を走って行ったんだよ。風を受ける帆も張ってなかった。ありゃ、帝国の悪魔の船にちげぇねぇ」


「ほんとかよ、マシューの爺さん。どうせまた酔っぱらって夢でも見たんだろ!」


 若者が老人を揶揄うと、年配の女性がその若者を𠮟りつける。


「マシューは確かに酔っぱらいでどうしようもない奴だけど、それは陸の話だ。海の上じゃいつもマシューはいつだってシラフだよ」


「そ、そっか。そうだな。すまんマシューの爺さん」

 

 若者は素直に謝ると、老人にあたらしいエールの杯を渡す。


「ふん。別に構わん」


 老人はエールの杯を受け取ると、俺の方を見た。


「だが貴族の坊ちゃん。魔法の船を見たというのは本当の話じゃ。魔物や海賊だけでもやっかいなのに、あんな怪しい船まで出るとなれば、当分の間、海路を行くものはおらんじゃろうて」


「そうですか……」


 そう言って、俺はがっくりと肩を降ろす。


 どうやら、船でアシハブア王国に戻るのは諦めることになりそうだ。


 若者を叱りつけていた年配の女性が、戦争が始って魔物が出没するようになってからは、南北を行く船は殆どなくなってしまったという話をしてくれた。


「普通の魔物だったら、ここまで船が出なくなることはあかっただろうけどね。レヴィアサンより大きな魔物が現れるようになったって噂だよ。そいつの声には、人の心を狂わせる力があって、聞いてしまった者は自分から海に落ちていくんだってさ」


 レヴィアサンより大きい魔物か……。


 うん。海はパス。


 しかも、そいつの声が人の精神に影響を及ぼすというのも気になる。


 今の俺は超長いレンジ【幼女化】が可能になってはいる。だがそれでも、正直、遠距離から攻撃してくる奴はどうも苦手だ。


 もしかして、女神クエストに上がってたりするかもと考えた俺は、ココロチンにクエスト一覧を表示してもらった。


 すると、それらしき妖異の名前がリストに表示される。  


≫ 〇 妖異ダゴリーヌの狩猟! 報酬:EON1200万ポイント

 

「ダゴリーヌ……」


 前にも名前だけは見た気がするけど、EONポイントは今より全然少なかったように気がする。最近はクエスト報酬のインフレ傾向がずっと続いているが、それだけ妖異の脅威が拡大しているということなのだろうか。


 そのことをシリルに確認してみたら、クエスト報酬は単に妖異の強弱だけでなく、周辺に対する影響の大きさや緊急性も測られた上で算出されるということだった。


 ダゴリーヌによる海上封鎖が、それだけ悪魔勇者に大きなメリットをもたらしているということなのだろう。


 なら倒してしまっても構わんか。


 などと、思わず死亡フラグを立ててしまったので自重する。今は何よりライラを連れてグレイベア村に戻ることを優先しよう。


 そして一日も早く勇者と合流し、悪魔勇者も妖異も一網打尽にしてやる!


 俺の決意を感じ取ったのか、マシュー爺さんが目を見開く。


「ダゴリーヌ……その名前は聞いたことがあるぞ!」


「知っているのかマシュー爺さん!」


「うむ。確かそいつはダゴン教団が崇める魔神のひと柱だ。詳しくは知らんが昔、ローエンで海賊……船乗りとして働いていたときに聞いたことがある」


 ん? 今、この爺さん、海賊とか言いかけなかったか?


 賊即滅殺が身上の俺の右眉がピクリと上がるのを見て、少し慌てた様子のマシュー爺さんが早口になる。


「そそそうじゃ! ダゴン教団! 奴らは魔神ダゴンの教えを広めるために、わざわざ海を越えてこの大陸に渡ってきたと言われておる! その信者は半魚人と交わるいう噂があってな。いやぁ~、若い頃に同じ海ぞ……同じ商船に乗っていた魚面の男は、ずっとダゴン教徒だと陰口を叩かれておったのぉ」


 近くにいた若者が爺さんの話に喰いついてきた。


「ダゴン教団だって!? 俺も聞いたことがあるぜ! ダゴン教団の奴らが俺を勧誘しようとしたときに、父なるダゴン、母なるヒュドラ、海の娘ダゴリーヌって、何度も口にしてた」


 へぇ、海の娘かぁ……


 なんとなく語感からは、胸をはだけた人魚族のアリエラさんが脳裏を過ったが――

 

 ダゴリーヌは妖異なのだから、間違いなく見たら発狂する系だろうな。


 たぶん海の娘というより、深海魚の娘って感じなんだろう。


 うん。


 ダゴン教団はヤバイ奴ら。


 ダゴリーヌは深海魚で近くの海を回遊中。


 そして海路は使えない。


 結局、宴会で得られた情報はそれだけだった。


 翌朝、殆どの村人が二日酔いで倒れている中、


 寝ぼけ眼で見送ってくれた数人に別れを告げて、俺とライラは出発した。

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