Botanical Body In Sanatorium

ウゾガムゾル

Botanical Body In Sanatorium

廊下を歩くとドアが見えた。少女は冷たい壁に打ち付けられたドアに手を掛けた。そしてドアを開けた。


病室の窓は固く閉ざされている。何も見えない。そこに命があることを示す、小さな赤い光を除いては。ピッ、ピッ、と、規則正しく脈を告げる電子音があった。そして消毒液のにおいがした。


暗闇に目が慣れると、ベッドが見えた。君はそこで眠っていた。生きているのか、死んでいるのか、一見しただけではわからない。君はぴくりとも動かず、ただそこにいた。


ふいに心電図計のモニターが灯いた。まぶしい光に少女は目を覆う。その光で君の姿がよく見える。君は全身に管を繋がれている。4つの足のうち1つが折れて傾いたベッドの上で。


*


病名は現代病だそうだ。医者が言っていた。


僕はこの病院に入院することになった。この建物は外から見ると廃墟に見えたが、中はとても清潔で美しかった。しかも他所で診てくれなかった僕を救ってくれた。それだけではなく、サービスも充実していて、やりたいゲームや聴きたい曲、果ては食べ物飲み物まで、言えばなんでも持ってきてくれた。


しばらくここにいた。どれくらい経ったかはわからない。でも一向によくなる気がしなかった。僕はもしかすると一生治らないんじゃないかと心配した。それでも病室から出なかった。サービスに頼っていれば生活できたからだ。ときおり適当なものを持ってきたりもしたが。


ある日、病室に置いてあったモニターが突然光りだした。モニターの隣にはヘッドホンのようなものが置かれていた。これはこの病院の他の病室と繋がっていて、仮想空間で彼らとコミュニケーションをすることができるらしかった。


僕はベッドに横たわりながら、それを着けた。瞬く間に世界が切り替わる。そこはたくさんの人が暮らす街だった。そこはまさに「理想郷」と言って多くの人が想像するような街並みだった。


街の中心には噴水のある広場があって、そこでたくさんの人が談笑しあっていた。大半は世間話だった。だれだれがすごいとか、友達がこんなことを言ってたとか……他愛もなく、平和なもの。


その街ではみながやりたいことをやって過ごしていた。僕もなにかやろうと思って、昔からの夢だったギターで音楽を弾き語った。いとも簡単に習得できた。あの噴水の広場で披露することにした。はじめはだれも聴いてくれなかった。だが少しずつ聴いてくれる人が現れた。


僕はその世界で充実した毎日を送った。ヘッドホンを外すと病室だったが、サービスのおかげで満ち足りていた。もう治らなくてもいい。退院しなくてもいい。そう思っていた。僕は毎日ヘッドホンで仮想世界に入った。


ところがある日、あの世界の噴水で事件が起きた。僕はもうだいぶ有名になっていた。僕が何かを言うたびにそこかしこで話題になった。その日も僕はギターを弾いたあと冗談を言った。その冗談がまずかった。それを言った瞬間、時が止まったように皆が動かなくなる。そして凄まじい炎が上がった。炎は街を文字通り一瞬で焼き尽くした。辺りはぺんぺん草も生えない不毛地帯へと様変わりした。


そっちの世界でのすべてを失った僕は動揺し、ヘッドホンを外した。いつもの病室だった。サービスで水をたくさん持ってきてもらって飲み干した。


それからしばらくヘッドホンを着けるのをやめていたが、ある日好奇心で付け直してみた。するとそこは、一言で言うならば、戦場だった。その辺をぷらぷら歩いているとすぐに石が飛んでくる。草むらから。誰が撃ったかもわからない。味方がいなかった。


ところがある時自分の味方を名乗る者が現れた。そしてそういう人は集まって、自分の敵と戦争をしているらしかった。僕も戦争に駆り出された。ナイフを渡された。これで人を殺せと。その時のために常に研ぎ澄ませておけと言われた。


味方にせがまれ、最初の人を刺した時は恐ろしかった。でも同時に快感もあった。怒りに任せて力をふるう快感。自分に反するものを黙らせる快感。


そして僕はいまさら気づいた。はじめからおかしかったことに。その世界で話していた人たちの声は平坦で感情がなく、皆同じ顔をしていて、話している間一切表情が動いていなかったことに。


ゲームだと思った。ゲームだと思えば平気で人を刺せた。とくに平然とその辺を歩いてる人とか、犬みたいに吠える人とか、同じことを何回も繰り返し放送している人とか、あるいはすべてを逆にするロボットなんかは格好の対象だった。反撃できなくなるまで叩きのめした。そのたび自分が優位に立ったような気がした。


僕より攻撃力の高い武器を持っている人もたくさんいた。銃なんかで撃ってくる人もいた。時には全面対決をした。たくさんの味方が援護してくれた。火を放ったこともある。放たれたこともある。何度も傷つきぼろぼろになっても、一度ヘッドホンを外して、次の日に付けたときは傷はわからなくなっていた。


このあたりから、病室に戻ったときの体調がおかしくなった。せき込み、熱が出る。あの現代病とかいう病の発作か。こんなに長く入院してるのに治らないのか。これは死に至る病なのか。いろいろ考えた。だが考えはぐるぐると同じところをめぐるばかりだったし、それよりもいかに多くの敵を倒すかのほうがはるかに興味があった。


だが敵は敵だけじゃなかった。敵のふりをする味方、味方のふりをする敵。気づかないうちに敵になっていた味方。そんな人が現れる度に内部で争った。それが繰り返され、集団は分裂を繰り返した。そしてとうとう僕の仲間はひとりもいなくなった。


病室での僕の動きはだんだんと鈍っていった。息が苦しくなり、人口呼吸器をつけた。ご飯を食べるのが難しくなって、点滴を打つようになった。排泄もできないから管を刺された。こうして僕は人間濾過機になった。


どんどん動きは鈍くなる。その一方で思考は加速していった。一人になり、自分がよくわからなくなった。その不安でナイフを尖らせた。これを研ぐことこそ自分が自分である証明だと思い込んだ。研いで、研いで、研ぎすぎたナイフはもう針のように細くなっていた。ついに折れた。


そしてとうとう、僕は完全に動けなくなってしまった。意識はあった。はっきりしていた。でも体が動かせなかった。声も出なかった。要は感覚を一方的に感じるだけの人間になってしまったのだ。インプットはできるけど、アウトプットはできない状態。


その日看護師さんが来て、僕に呼びかけた。大丈夫ですか、大丈夫ですか、と何度も。僕は答えようとしたが、喉が動かなかった。看護師さんはいくら揺さぶっても反応がないのを見て、医者を呼びにいった。


しばらくして医者が来た。感覚があるかを確かめるために腕を叩かれ、爪で皮膚をひっかかれた。激痛が走る。だが何もそれらしき反応を表現できなかった。僕は植物人間ということになった。違う。意識ははっきりしてるのに。


だれか気づいてくれ。必死に手を動かそうとした。微動だにしない。


ふと、あの世界が気になった。だがもうヘッドホンを取ることはできない。


そして気づいた。この病室は、病院は、ぼろぼろだった。今まで幻覚を見ていたのか? わからないけど僕が思っていたよりいい場所ではなさそうだった。じゃあなんだったんだ。この病院は、いや、廃墟は、あの世界は、いったい何だったんだ。何でも希望を叶えてくれる魔法? 人々が笑い合う理想郷? やりたいことができる夢の舞台?


それとも、わけもわからず殺し合う戦場?


それからのことは、体は動かなかったが、意識はあったから、すべてを記憶していた。僕は自分という牢獄に閉じ込められたまま、無限とも思える月日を過ごした。


*


彼女は君を目の前にして、かわいそうだと思った。しかし同時に、うらやましいと思った。何も考えなくても生きていられる。何もしなくても誰にもとがめられない。


そしてなにより、待っていればじきに死ぬ。


*


僕は彼女をうらましいと思った。世界を自由に動ける。やりたいことを何でも好きにできる。


そして、死に方を自由に選べる。


*


頼む 僕を殺してくれ


その管を切るんだ そして 電源を抜いてくれ


*


心電図が急激に乱れていく。数字は0になり、波形は一直線になる。


天井からロープを吊るす。君が眠るベッドに乗り、しばらく見る。


首を通す。




勢いよく体重をかける。

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Botanical Body In Sanatorium ウゾガムゾル @icchy1128Novelman

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