第18話「朽ちゆく恐怖をくれてやる」
「バカ!」
倒れたパイエティに向かって桜井が怒鳴った。
「バカバカバカバカバカ! 何やってるんだよ! お前、何考えてんだよ!」
罵声はパイエティへ向けられているのだが、そのパイエティのすぐ傍に倒れているベクターフィールドにも当然、聞こえている。
「うるさいぜ。でも、まぁ、外れてねェか」
急所を避けて腹を貫いたベクターフィールドは、重傷ではあるが消滅の危機にまでは
身体を起こしながら、桜井が口にした言葉を一部、自分でも繰り返す。
「バカ、バカか。バカには違いない」
そこに反論する余地はないと思っていた。
バイエティもベクターフィールドも、矛盾だらけのバカだ。
契約に固執、堅守する理由も曖昧で、意地としかいいようがない思考も
パイエティもベクターフィールドも、究極的には自己満足なのだ。生き返りと生まれ変わりは違うと自覚しながら、それでも人として生まれてくる権利を
そして、二人が固執し堅守しているという仕事も、胸を張れる仕事でないのは明白だ。倫理に訴えるならば、「母親にいえるの?」と問われても、パイエティはまともに答えられまい。
そんな仕事に、固執も堅持もないものだ。
「夢をオカズに丼飯、食えるのかっていわれるんだろうけどな。バカな事に違いはねェな」
バカと言われる事には、ベクターフィールドにも異議はないのだが、しかし桜井が続けた
桜井からヒステリックな怒鳴り声をぶつけられ続けるのだから、それも膨らむ一方だ。
「何よ。そのマザコンみたいな格好してる奴が、何の役に立ってくれたってのよ。まったく! 何もかも失敗して! 成功したのは、最初だけじゃないの。役立たず!」
その言葉を聞いたのは、ベクターフィールドだけではない。
「それは自白と解釈していいですか?
亜紀も聞いていた。
だが桜井が言葉に詰まるのは一瞬だ。
「……はァ?」
「神矢……誰? 私は何も知らないし、何だったらアリバイでも何でも証明するけど? そうだ、そこに倒れてるマザコンみたいな格好した奴なら、何か知ってるかも。引っ立てればいいわ。ついでに、そいつを刺した奴も逮捕すれば?」
嘲笑。
「でも、そいつを使ってるのって刑事さんだったっけ? あんたも吊し上げられちゃう?」
「……刑事課に所属してないから、こいつは刑事じゃないけどな」
亜紀に肩を借りて立ったベクターフィールドは、亜紀は警察官であって刑事ではないと
そして揚げ足も取れば、ちゃぶ台をひっくり返す力もあるのがベクターフィールドだ。
「神矢クンの魂は返してもらったぜ。そして、もう一つ、策があってな。もし、神矢クンが生き返ったら、どうなるか?」
「はァ?」
意味が分かっていない桜井は、
「神なら、命の摂理を違えることはないんだろうがな。生憎、俺は悪魔だぜ。あと、悪魔が直接、殺してなかったら、冥府が人の死を感知して死神を派遣したんだろうが、悪魔が直接、手を下したから冥府のチェックが遅れた。こいつを生き返らせても、俺は何かされる訳じゃなさそうでな」
桜井の胡散臭そうな顔に対し、ベクターフィールドは桜井が得意だった嘲笑を浮かべて見せた。
「生き返らせると、調整力というか整合性を保とうする力というか、そういう力が働いてな。最後に一緒にいたのは……多分、お前になるぜ? そうすると、神矢クンが行方不明になっていた時の説明がつくからな」
ベクターフィールドが亜紀の臨む結末に到達するために考え抜いて出した結論だ。
「未成年略取は……結構、重罪じゃなかったか?」
ただ生き返らせただけならば、冥府に目をつけられてしまうかも知れないが、パイエティによって殺害された神矢は自然死とは言えず、そして魂を取り戻した今、神矢は生き返れば何の
「重要な参考人として引っ張れるな。何せ、本人がこっちにいる」
「ッッッ」
「後日、お話を伺いに行くかも知れません」
亜紀は極力、感情を抑えていったつもりだった。
それでも桜井を刺激する言葉には違いない。
「あの役立たず! 本当に役立たず! その程度……そんな程度の事くらい考えて仕事しろよ!」
パイエティを睨み付ける桜井は、それ以上の事はできない。
――そう?
亜紀には、パイエティがミスをした、とは思えていなかった。亜紀がパイエティを見たのは、ただ数十秒に過ぎないが、神矢を殺したという一点を除けば、パイエティは憎むべき怨敵、恐るべき強敵であっても、軽蔑すべき相手ではない。
――パイエティは、ベクターフィールドと走った時もブレーキテストとか、進路妨害とか、モータースポーツで危険な反則になるような事を一切、しなかった。今だって、ベクターフィールドとは真っ向勝負したじゃない。
悪魔らしくない悪魔だった事は間違いない。
神矢を殺したのが、何かの間違いではないかと思った程に。
「多分な、神矢クンの件は、俺と同じ事を考えていたんだろうぜ」
ベクターフィールドからフォローが来る。
「冥府に察知されない死は、生き返らせる事ができるって」
だからだというベクターフィールドは、真っ向から桜井の神経を逆なでした。
「こいつら……こいつら……!」
震える桜井だったが、その頭上にパイエティから放たれた光が灯った。
「!?」
桜井が見上げた光の正体は、ベクターフィールドも目を剥かされる魔法であり、亜紀にもヤバイものだと感じさせられるものだ。
「何? あれ」
「通路だ。辻を開く」
亜紀の問いに答えたベクターフィールドだったが、その背を冷たい汗が流れ落ちていた。
――この門は、そう簡単に開かないはずだぜ!? 平行ならいつでもどこでも開けられるのに、いつでもどこでも開けないから、平行じゃなくて並列世界だっていわれてたのに。
この時、この場で偶然、条件が揃ったのかも知れながら、だとしたら運が悪い、もしくは運が良いにしても、極端すぎる幸運と不幸ではないか!
それも、急所を
「逃げろ」
倒れたまま魔法を操るパイエティは、精一杯の声を張り上げた。
「それを通って、あっちへ行っても、あっちはあっちで調整力が働く。俺が残していったものがあるはずだから、それも使っていい。あっちで生き延びろ」
桜井を逃がそうというのだ。
「パイエティ……こうなっても、お前はそれをするのか? 消滅しかけてるときに、そこまでするのか?」
ベクターフィールドの目には、パイエティという男に対して尊敬の念すら抱いている光がある。
その尊敬の念が、立つだけで精一杯のベクターフィールドに最後の力を与えた。
「
対抗する手段を行使する気になったのだ。
ただし、これはギャンブルでしかない。
「手があるの?」
いわれた通り伏せた亜紀へ、ベクターフィールドは「ある」と頷く。
「あるが……これは狙ったところに当てられないんだ。それに時間がかかる。場合によったら、俺やお前に当たるかも知れないぜ」
ベクターフィールドの声にある震えは、恐怖だ。
コントロールできない魔法だが、それ故に切り札となる威力を持っている。
「竜巻だ」
隕石と並ぶベクターフィールドの大魔法。
しかし竜巻を直接、使うのではなく、パイエティの魔法を打ち砕く必殺の一撃を生み出すために使う。
ウォーターフロント――海辺である事が幸いした。
――湿度の高い空気を集める! それを高速で旋回させる!
湿度の高い雲を形成し、それを旋回させる事で水分同士を衝突を呼び、静電気を溜めていく。
即ち、間接的にであるが、ベクターフィールドは霊に対する切り札である雷を操れるのだ。
ただし落ちる場所までは限定できない。自分に落ちるかも知れないし、亜紀に落ちるかも知れないというのは、そういう事だ。
賭けになる。
だが――、
「パイエティは賭けた! ならば俺も賭ける!」
ベクターフィールドは、宿敵が賭けた勝利ならば、自分も賭ける男だ。
黒雲に青白い光が走り始め――、
「
落ちろと念じたパイエティの門。
青白い光は――、ベクターフィールドに味方し、門を打ち砕く!
「役立たず!」
桜井の絶叫を、パイエティは聞いていただろうか? それとも、もう聞けなかっただろうか?
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