第17話「どこにでもある正義」

 邪魔に上着を脱ぎ捨てて、パイエティはベクターフィールドへ肉薄する。


 長袖シャツにチノパンという格好は、ベクターフィールド同様に悪魔という言葉の響きからはかけ離れている事だろう。


 チノパンをベルトではなくサスペンダーで吊っているという格好は、人間でも珍しかも知れない。


 ――母親か。


 サスペンダーでパイエティは母親を思い出す。ウエストを締め付けるベルトよりも、肩と繋ぐサスペンダーはボトムを腰の位置で固定できる。その方が動きやすく、また足を長く見せる工夫にも繋がる。


 そのサスペンダーの思い出は、残念な事に母親よりも強いものがあるのだが。


「ッ!」


 ベクターフィールドへパイエティが剣を振り下ろす。


 霊も悪魔も魔王も、共通している事は、思考を司ると、鼓動を司るは急所だという事。


 実体に近い密度を持っているベクターフィールドとパイエティだが、仕組みは霊と同じく、を作ってエネルギーを充填しているに過ぎないのだから、その場を貫通、または両断されれば消滅する。


 パイエティは頭を両断するつもりだった。


 ベクターフィールドも同様。


 剣と剣とがぶつかった。


「!」


 鋭く重い手応えと共に火花が散り、その火花がベクターフィールドとパイエティの場を焼いた。


 その瞬間だ。


 ベクターフィールドには流れ込んできた。


 ――ちょっと二人、並んでみろ。


 小学校の教室で、中年の男性教師が男子児童を二人、呼んだ。


 その一人はパイエティだ。


 ――並んでみたらよくわかるだろ。ズボンにベルトをしてるのとしてないのとだと、こんなに違う。ベルトをしてたら、引き締まって見える。


 サスペンダーでズボンを吊しているパイエティに、次々と嘲笑が飛んでいく。


 ――マザコンみたいなカッコしやがって。


 教師の言葉は、サスペンダーを与えたパイエティの母親をもバカに言葉だ。


「……お互い、厄介だな」


 間合いを計り直しながら、ベクターフィールドは口元を歪めた。人間ならば脳が記憶している事だが、そういった器官を持たないベクターフィールドやパイエティは、場に充填したエネルギーが信号として記憶を保持している。火花が散った事で、パイエティの記憶がベクターフィールドに流れ込んだのだ。


「厄介だ」


 パイエティも、自分の記憶をベクターフィールドが覗いた事を感じ取れていた。


 そんなパイエティへベクターフィールドは笑いかけた。


「近いんだな。お前がいたとこと、ここ。俺が知ってる顔とそっくりだったぜ。あの教師。たに 孝司こうじって名前なら、笑うんだけどな」


「笑え。合ってる」


 パイエティは吐き捨てたのだから、ベクターフィールドの苦笑いは強くなってしまう。


「40人程度の集団を、効率的に統率する手っ取り早い方法は、誰か一人を決めて、全部、何もかも悪い事はそいつのせいにする事……ってやってたな? そっちでも。その一人は誰でも良くて、家が金持ち、貧乏、運動ができる、できない、勉強が得意か不得意か、関係なしに選ばれる」


「そこは少し違うのかも知れなが、まぁ、同じだ」


 衝突がもう一度、起こった。


 今度の記憶は、帰り道だった。


 歩道橋でじゃんけんをして、勝った時に出した手で登れる段数が決まるという遊び。


 パイエティはパーを出し、チョキで負けた。


 ――チョッコレート、チョッコレート、チョクレートはー。


 勝った方ははやし立てるように、CMソングを歌って駆け上がっていく。


 ――それ、ズルだろ……。


 思わず口にしたパイエティは、尻から突き抜けてくる衝撃に顔を顰めさせられる。


 膝蹴りされた。


「教師が中心になってやるイジメは発覚しない。そして、よく統率されているクラスの保護者は満足度が高く、教師の評価も高くなる。腐ってるぜ。谷センセーは、どっかの教頭に出世したか?」


 ベクターフィールドの苦笑いから笑いが消えた。


「さぁ? 知らないが、しただろうな」


 パイエティは剣を構え直し、ベクターフィールドに挑むような視線を送り続けている。


 記憶が漏れている事など、どうでもいい。共に元人間の悪魔なのだから、多かれ少なかれ似たような経験をして、自殺という幕引きをしてしまっている。


 それよりも重要なのは、魔王と戦っているパイエティが、まだ戦えている事だ。


 ――俺の立てた算段は、間違ってない。


 パイエティの立てた算段は、算段といえる程のものでもない。



 真っ向勝負――それだけだ。



 ――魔王は絶大な力を持ってる。魔法も、隕石を呼んだり竜巻を起こしたりできる。


 事実、ベクターフィールドが持つ攻撃魔法に、その二つがある。隕石を降らせれば、この市を壊滅させる事も不可能ではないくらいに強い。


 ――でも、それが弱点だ。


 パイエティは、それを見抜いていた。


 ――大規模すぎる魔法しかない。そんなのは、一対一では大した意味がない!


 パイエティの真っ向勝負はとは即ち――、



「魔王を倒すのは軍隊じゃない。勇者だ」



 軍隊を壊滅させる方法と、個人を倒す方法はイコールではない。


 ――俺が勇者だとは、思えないけどな!


 三度目の攻撃。


 最後になるであろう記憶の残滓は、悔しいほど明るい陽の光が射し込む家の中。


 ――コミュニケーションって……そんな……体中、アザができてるんですよ!?


 女が電話に向かって叫んでいた。


 ――転校!? なんで、うちの子が!?


 女の素性は明白だ。


 ――うちの子は何もしてないじゃないですか!


 パイエティの母親だ。


 自分をこの世で最も好きでいてくれる人が、自分の事を原因にして泣いている。



 パイエティは自分を罰するしかないではないか!



「そうか……」


 ベクターフィールドは大きく息を吐き出した。


「お前が、魂を集める理由は、自分の魂か」


「……」


 これにはバイエティも返事をしない。もうやり直しは効かない。パイエティの死は、家族に修復不可能なダメージを残した。生まれ変わりと往き帰りは違うと分かっていても、パイエティはもう一度、母に詫びるために戻らなければならないからだ。


「……いや、わからなくもねェぜ。俺も、まぁ、似てる」


 ベクターフィールドも、魂を集める契約の魔王でいる理由は、似たようなモノだ。自分の魂ではないが、大切な人の魂を求めている。


 パイエティが、どれだけのストレスを抱えようが、どれだけ傷つけられようが、契約を堅守する理由は分かった。


 ――ぶつかるしかねェんだよな!


 友達になれても殺し合うしかない二人なのだ、とベクターフィールドは剣を構えた。


 ――魔王を倒すのは勇者……その通りだぜ。


 ベクターフィールドも、自分が一対一に弱いのは知っている。後れを取った経験もあり、自分が今も存在しているのはラッキーにラッキーが重なっただけだと自覚するくらいに。


 それを加味した攻撃が、四度目の衝突になる。


「ッ!」


 だが四度目は、パイエティが衝突を避けた。ベクターフィールドの構えがあからさますぎたからだ。


 ――横薙ぎの大振りだろ!


 避けるのは容易い。勢い余って背中を向けてしまう程の大振りなど避けて下さいといっているようなものだ。


 だが――、


「ッ」


 パイエティは息が詰まる思いをさせられた。


 ベクターフィールドは強く踵を踏み込むと、背をパイエティに預けるような形にしたのだ。


 ――いいや、刺す!


 振り上げていた剣を半回転させ、切っ先をベクターフィールドの肩へ向けるパイエティ。


 だが刺突はベクターフィールドが速かった。


「これが、俺の意地だぜ!」


 半回転する事が大振りの狙いだった。


 背を預ける事でパイエティの動きを制する。



 そして狙うのは、自分の身体ごとパイエティを貫く事だ。



「ごふ……」


 パイエティの手から剣が落ちた。

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