第15話「状況:突入」

 港と駅が徒歩圏内にあるという珍しいロケーションの中にライラックは存在する。


 埋立地に整備された、長引く不況で空き地が目立つ商業地帯。


 その中に建つ、ガラス張りのショールームを備えた5階建ては、闇夜に横たわる獣にも見えていた。


 ウォーターフロントといえば聞こえはいいのだが、住宅地として整備された区画ではないのだから、日が暮れるとたちまち、寂しい場所になってしまう。


 ただ人通りが少なくなると、駅から逆方向へ向かった区画に立つマンション群が放つきらめきが目立った。


「市内屈指の夜景スポットだぜ」


 寒かろうが暑かろうが、いつもコーラを飲んでいるベクターフィールドは、ソアラのフロントガラス越しに夜景を見ていた。


 ウォーターフロントに高級スポーツカーという組み合わせは、前世紀末の好景気を思い出させる組み合わせであるが、ベクターフィールドは夜景に愛車という組み合わ

せに興味が薄い。


「昼間の方が好きそう」


 助手席の亜紀がいう通りだった。


「白い車は、青い空が似合うぜ。特に、海辺は海の青、空の青があるから、白が良く栄える。こう……、清潔感があってな」


 そういうと、横目で亜紀を見ていたベクターフィールドは吹き出す。


「あんパンと牛乳みたいな、相性のいい組み合わせだぜ?」


 助手席の亜紀が頬張っているものが、あんパンと牛乳という、吹き出してしまう組み合わせだった。


「何か、その組み合わせ、セクシーでもダンディでもないよな? どっちかっていうと――」


「細かい事が気になる警部の、最初の相棒だって肉体派だったでしょ」


 ベクターフィールドの言葉をさえぎった亜紀は、今でも刑事ドラマが好きだった。亜紀の父親が好きだった荒唐無稽なアクション系がなくなったのは残念だが、今もバディものは多い。


「肉体労働は、俺の仕事のようにも思うんだがな。まぁ、いいぜ」


 ベクターフィールドはドアを開け、車外へ出る。


 午後8時――ライラックの閉店を1時間、過ぎた頃だった。


「あの悪魔と契約しているのは、桜井さくらい あやって女だった。今夜は残業になってるはずだぜ」


 パイエティと契約している相手は調査済み。



 その相手を突けばパイエティと出会でくわすという寸法だ。



「悪魔が持ってるか、その女が持ってるかは知らないが、神矢かみやクンの魂を取り戻す。まずは、それだぜ」


「でも、そこからは……?」


 亜紀が口にした疑問は当然だ。


 このまま進めてパイエティを打ち倒したとしても、この事件は解決しない。


「神谷くんは変死。原因、経緯もともに不明なんて終わり方は、解決じゃないでしょ」


 仇討ちはできるのかも知れないが、パイエティだけを討って終わりにするのは、亜紀の感覚では凶器を処分して犯人を見逃すようなものだ。


 桜井も何らかの形で逮捕してこそ、この事件は解決といえる。


「手は考えてるぜ。ただ、俺もハッキリとと説明はできない。運を天に任せるしかない所が多くてな。ただ――」


 ベクターフィールドも、そこは心得ている。亜紀とベクターフィールドの契約は、「亜紀が必要だと思った事件には、全ての力を発揮して協力する事」だ。


「信じる」


 亜紀も頷き、車外へ出た。



***



 本来の手続きを踏むならば、午後8時を過ぎての事情聴取はギリギリだ。午後10時以降は違法になる。


 午前5時から午後10時までとされているが、それも日中という言葉を含む場合もあるため、午後8時すぎという時間は常識の範囲外ともいえる。


「時間は、俺がいるんだから問題ないぜ」


 何とでもしてやる、とベクターフィールドはフッと笑った。事実、警備員への話はあっさりと通る。


「初めて来たけど、凄いね」


 閉店した店内に入ると、亜紀は何度も目を瞬かせられた。


 ライラックは敷地面積4300坪という巨大な空間だ。


「これで従業員数50人なんてのは、少なすぎるぜ。販売員やピットクルーを含めての事だろ?」


 亜紀に向かって、ベクターフィールドが向ける視線には、「俺のいった通りの事が起きるだろ?」と告げている。


「ここで旧車は買わない方がいいわね。確かに。特にイタリア車なんてダメね」


 亜紀も納得した。


 車やバイクが荷馬車の延長にある日本と違い、欧米では軍馬、愛馬の延長にあるが故に日々、当然のように行うメンテナンスが存在する。


 ただし、それだけの手間を掛ければ、例え壊れやすいといわれるイタリア車であっても日本車と同程度には壊れないのだが、それを怠った場合、あっさりと故障する。


「この雑さ……、旧車をリストアするには不適切よ」


 見えないところは雑にされているというのは悪徳強者のやり口だといった亜紀だが、これを見ると、雑になる原因は人手不足からくる問題だと思わされた。


「まぁ、経営、運営は客の知った事じゃないし、俺たちの仕事とも関係ないぜ。買わなきゃいい。関わらなきゃいい」


 それよりも、とベクターフィールドは店舗奥を指した。残業で灯りが点っているのが見える。


「行きましょ」


 オフィスへ繋がる廊下へと入る亜紀。


 その廊下で最初に出会した社員のネームプレートにあった名前は、果たして幸運といえるだろうか?


 不幸としかいいようがないだろうか?


「……そいつだ」


 ベクターフィールドが気付いたネームプレートには桜井 文。


 本人だ。


「ちょっとすみません。警察です。私は県警の甘粕あまかす亜紀あき。こちらはベクターフィールド」


 胸の内ポケットから警察手帳を取り出す亜紀は、十分、警戒していた。


 その警戒と、そして桜井が悪魔との契約者である事とが合わさると、桜井に結論を出させるのは早い。


「チッ」


 火の着いたタバコを投げ捨てた桜井は、この二人がパイエティのいっていた相手だと判別できている。


 ポケットに突っ込んだ手は、折り畳まれた紙片を掴み取った。


「ヨッド・ハー・ヴァル・ハー」


 そして呪文。


 紙片に書かれていた文様と呪文は、ここを決戦の場に設定した。

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