第14話「いい事も悪い事もある一生に」

 ベクターフィールドがソアラを走らせる。


 だが、それはライラックへ向けてではない。


「……」


 助手席の亜紀も無言で、膝の上に載せているに視線を落としていた。


 新品のバスタオルに包まれているのは、道路で車にかれていたネコだ。


「こっちだったか?」


 ルームミラーに目をやったベクターフィールドが声を掛けたのは、後部座席にいる他の者には見えない存在。


 神矢かみやの霊だ。


 どこへ行こうとしているかというと……、


「はい、そこから山の方へ入っていくと、途中にペット墓地があるんです」


 神矢が案内しようとしているのは、ペット墓地。



 事故にあったネコをとむらうためだった。



「地域ネコや地域犬は、管理人さんと相談して、花壇とか木の根元とかに埋めさせてもらってたんですけど、野良ちゃんは、そうもいかないので……」


 神矢が新品のバスタオルを死に装束代わりにし、ペット墓地に葬ってもらうのは、初めてではない。


「ホント、なかなかできない事よ。事故にあった動物をペット墓地に連れて行こうなんて」


 亜紀が背後を振り返るが、神谷の姿は半透明で少しばかり見えにくい。


「野良ちゃんって、ゴミとして処理されるって聞いて……。今まで生きてきて、どれだけいい事があって悪い事があったのかわからないけど、本当の最後までそんな扱いされるの、嫌ですから」


 無料で引き取ってくれる訳ではないし、また全ての野良ネコ、野良犬に対してできる訳ではないが、神矢はこういう事を進んでするタイプだ。


「そうね」


 うんと頷く亜紀も、道路上で事故死した動物がゴミとして処理される事は知っていたし、酷い話だとも思っていたのだが、神矢のようにペット墓地へ連れて行こうという考えまでは浮かんでいなかった。


「私もこれからそうしよう。車の中にタオル一枚、入れてたらいいんだし」


「情けは人のためならず、か?」


 亜紀へ向けられるベクターフィールドの声にも、茶化したような笑いが姿を消している。思えば神矢が動物霊に囲まれていたのも、こういった行動が形となって現れていたのかも知れないと思うのだから。


 ――けど墓地は、あんまり頭がいい選択肢じゃねェぜ。


 それでも口にこそ出さないが、墓地へ向かうという行動は懸念事項がある。


 ――こいつは、あの悪魔に殺されてる。だから冥府が感知してねェんだ。墓地は時々、死神が来るぜ……。


 魂――次に人間として生まれてくる権利を持たない神矢は、死神に発見されるのは拙いのだ。そして神矢を守るためにベクターフィールドが死神相手に大立ち回りというのも、現実的な手段とはいえない。


「道連れにする事はできるけどな」


 一戦や二戦で討ち取られはしないベクターフィールドだが、百人斬り、千人斬りを軽々とこなせる気がしないからこそ、そこだけは口に出た。


「え?」


 亜紀がベクターフィールドへ顔を向けたが、「いや……」とお茶を濁すような言葉で返すのみ。


「着いたぜ。神矢クンは降りるなよ」


 ベクターフィールドのソアラはペット墓地の駐車場に停車した。車の中が安全とは言い切れないが、外に出るよりは幾分、マシだ。


「行ってくるね」


 亜紀もネコの亡骸を大事に抱えてソアラから降りる。


「すみません」


 亜紀が声を掛けると、奥から人の良さそうな中年女性が「はーい」と返事をしてやってきた。


「こちら、交通事故に遭った動物も弔ってくれると聞いて来ました」


「はい、やらせていただいてますよ」


 中年女性はにっこりと微笑むのだから、亜紀もホッとした顔でバスタオルにつつまれた野良ネコを渡せる。


「事故にあったネコちゃんなんですけど……」


「お預かりします」


 中年女性は亜紀からネコを預かると、優しく撫で、


「大変だったね。でも、ここにはいっぱい、お友達がいるからね」


 神矢も、この優しい声に救われたのだろう。


「名前をここにお願いします。あと、永代供養料と埋葬費用は、こちらになります」


 6000円が安いのか高いのかは分からないのだが、少なくとも神矢にとって大金だった事には間違いない。


「はい」


 ペンを取った亜紀が加入した名前は「神矢タマ」だった。ペットの名字は飼い主と同じ名字になる。亜紀の場合は甘粕あまかすになるのだが、この子も神矢のペットとして葬りたいと思ったが故だ。


「あれ?」


 珍しい名字だけに、受付の中年女性も首をかしげる。


「教えてくれた子が、神矢かみや孝市こういちくんという子なんです。本人は、ちょっと来られなくなってしまったので、私が代わりに……」


 亜紀は殺された事をいわなかった。


「覚えてますよ。優しい子で……そっか、君は神谷くんのネコちゃんか。ここには、お姉ちゃんやお兄ちゃんが、いっぱいいるよ。遊んでもらおうね」


「……」


 ベクターフィールドが一瞥いちべつした亜紀の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 ――俺は俺の仕事を考えるぜ。


 霊場は自分に相応しくないと外に出たベクターフィールドは、スバル360を駆っていたパイエティの顔を思い出す。


 ――契約を司る悪魔だというのに、誰も知らないか……。


 ベクターフィールドが調べた中では、誰もパイエティという悪魔を知らなかった。


 ――これは異常だぜ。


 悪魔が最も恐れるのは。無限の寿命を持っているに等しい悪魔は、ただ一人で生きていく事に耐えられない者が殆どだ。だから眷属けんぞくを作り、また隷属れいぞくさせる人間や下級悪魔を多く持つ。


 食事中だろうと就寝中だろうと構わず呼び出す亜紀を、ベクターフールドが投げ出さない事も、そんな背景が少なからずある。


 ――悪魔なのに一匹狼か。


 最も叩かれやすい立場である。横にも縦にも繋がりがある悪魔なのだから、無視は許さない者が多い。ベクターフィールドが魔王の称号を得る前に従わされていた魔王は、「嘗められたら殺す」を口癖にしているような男だった。


 ――アレみたいに、自分が他人を嘗めてるのを棚にあげていうような奴がいるからな。


 そんな中を一人で活動していく悪魔。


 ベクターフィールドに浮かぶ単語があった。


 ――か。



 つじモン――仲間内での隠語で、この世界とは別の世界から落ちてきたものの事をいう。


「おまたせ」


 手続きを終えて出て来た亜紀が声を掛けたのと、ベクターフィールドが結論を出したのは同時だった。


「厄介だ」


 その一言は否応なく亜紀を刺激する。


「え?」


 聞き返した来た亜紀に。ベクターフィールドは「いや」と誤魔化そうとしたのだが、首を横に振って考え直す。


「神矢クンをやって、たくみクンを狙った悪魔の事だ。多分、ここじゃない世界から来たんだろうぜ」


「何? それは」


 亜紀が難しそうに眉根を寄せると、ベクターフィールドは開いた手を並べ、


「この世は、層が重なりあってできてる……らしい。俺もよくは知らんし、哲学だの物理学だの神学だの、ややこしいのを組み合わせで解いていかないとダメらしいから、考えるのも勉強するのも放棄ほうきしてる。兎に角、層が重なりあってできてる」


 ベクターフィールドが並べている手は、この世を作る層を示しているのだろう。


「それぞれが属する層っていうのは決まっていて、俺たちがいる層、鬼や化け物がいる層、神や仏がいる層、俺たちとよく似た奴らがいる別世界……そういうのが目に見えない層になって重なってたり、隣り合ってたりする訳だ」


「パラレルワールド? 平行世界?」


「こういうのは、平行じゃなくて並列だといい張った奴がいたが、まぁ、そんなもんなんだろう。俺が分かるのは、こういう理屈だから、深い質問はしないでくれよ。この層は普通の状態じゃ交わらない。だけど、何かの拍子に道ができた場合とかがある。あと――」


 ベクターフィールドは手を合わせ、


「こんな風に交わると、この指と指が触れてるような場所に、違う層に住む奴らが出て来てしまう訳だ」


 左右の指は十字に交わるが故に辻、現れる者は辻モンという訳だ。


「それが、問題?」


 亜紀も理解は早い。理屈をこねくり回すのは重要ではなく、ベクターフィールドが恐れる点は、その辻モンである事、そのものであると感じ取れる。


「あいつは、まだ魔王じゃないが、こういう奴はやたら強い時があるぜ。こっちとあっちじゃ、色んなモノが違うから」


 魔王というのは称号であり、強さを保証するものではないのだ。


「そして、悪魔ってのは孤独が一番、怖い。こいつは、知り合いもツテもない世の中にいるんだから、まぁ……俺でも怖い存在かも知れないぜ」


 孤独に抗う男だからこそ強いし、怖い。


「まぁ、試せる手はある。手だけはな」


 ただベクターフィールドは思う。



 ――別格だぜ、こいつは。



 パイエティはベクターフィールドを格上といった。


 ベクターフィールドはパイエティを別格という。


「……まぁ、今夜、仕掛けようぜ」


 ベクターフィールドは愛車へ向けて歩き始めた。


 別格と格上の戦いは、日が暮れた後にある。

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